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工事帽

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 古い雑居ビルの三階にある試験会場は、古びたビルの外観とは打って変わって、近代的な設備で埋め尽くされていた。

 ピカピカに磨かれた硬質の床に、足元の間接照明が光が反射する。壁も家庭的な壁紙ではなく材質のよく分からないタイル貼りだ。天井には四角い照明パネルがついている。


「受験票を拝見します」


 入口に立つ係員に言われるままに、バッグから受験票を取り出す。

 仕事で出かけるときに使おうと買っておいた革製のビジネスバッグは、今日が初めての出陣で、バックの口は堅くて開け難い。もっと柔らかくなるように準備すればよかったかもしれない。自宅で一人バックをパカパカするわけだ。具体的には百パカくらい。


「拝見しました。席は受験番号で決まっておりますので、お間違えの無いようお願いします」


 いくつものデスクの脇を通って、自分の席に着く。

 広めのデスクにはモニタが乗っていて、画面にはユーザー名とパスワードの入力を促すウィンドウが表示されている。ユーザー名もパスワードも分からない。一応、受験票を見直してみても記載はない。適当に打ち込んでハッキング出来ないか試したい衝動に駆られる。カタカタカカ、ターン。いや、やらないけど。試験端末だ、ログイン出来なくなったら困る。

 他の席に座っているのは老若男女、というには多少若者の比率が高いだろうか。若者と言っても学生ではない。社会人の中での若手、二十代のことだ。


 VR構築士。という資格がある。

 VR空間用のアバターやオブジェクトを作るクリエイターの資格だ。

 現在は、VR構築士の資格を持っていない者がアバターやオブジェクトを作ることは許されていない。

 正確には「ユーザーがログインするVR空間内の」ではあるが。


 資格が出来たのは、それほど古い話ではない。

 きっかけになったのはVR技術の進歩。

 現実と区別がつかないほどに発達したVR空間において、事件や事故はそれなりに個人に影響を与えた。VR空間でのことだから、当然ながら現実の肉体には傷一つつかない。それでも、限りなくリアルな空間は精神面への重大な傷を、心的外傷後ストレス障害PTSDを発症するには十分な現実味を持っていた。


 そして制定されたのがVR構築士という資格だ。

 安全性に考慮したルールに従ってアバターやオブジェクトを作成する。それが出来ない者には、VR空間の創造に携わることは出来ない。

 そうしてVR空間の安全は確保されるわけだ。実際には、作成したオブジェクトは全てツールで安全性のチェックを行うから、資格者である必要があるのかという議論もある。少なくない国家資格と同様に、天下り先だの金集めだのと揶揄されることもある資格だ。


「時間となりました。これより試験について説明をさせて頂きます」


 そう言ったのは、部屋の正面、大きなディスプレイの横に立つ男性だった。

 長く白いヒゲを伸ばし、髪も真っ白の男性はどこか浮世離れしている。まるで物語にあるような神様か仙人のようだ。

 いつの間にそこに立っていたのかは分からない。ずっと前を注目していたわけでもない。別に大きいとか派手なわけではない。でもどこか存在感の強い男性だ。

 まあVR空間の構築なんて、仮想世界における神のような立場だ。試験官が神っぽい人でも驚くほどじゃない。


 彼を3Dモデルで表現するならどうだろう。見た目で特別なものがないように見えても、重要キャラだとパッと見で分かるような造形というのは、かなり難しい。

 昔から人は、その地位や財産を服や装飾品で示してきた。だが、男性の服装は白のシャツに白のスラックスという飾りの欠片もない代物だった。それとも、髪やヒゲと合わせて真っ白なその色が存在感につながっているんだろうか。


「……春の法改正により試験内容も一律のものから個別の課題へと変わっています。皆様はログイン後、画面に提示される課題を作成し、提出して頂きます。これは……」


 存在感の強い真っ白な男性が試験の説明を続けている。

 間接照明が白い髪に反射して、彼自身が輝いているようにも見える。


「……このように、創造と破壊は表裏一体であります。安全性に留意した創造を行わなければ、周囲をも巻き込んで破壊が行われることをよくよく心に留めて、モノ作りに携わっていただきたい」


 試験の説明だったはずが、いつの間にか意義だの心得だの、訓示みたいになっていた。朝礼の校長先生じゃないんだから、試験に必要なことだけで終わりにして欲しい。

 意味があったのは試験内容が共通のものから個別へと変わったという情報だけだ。それだって意味はないとも言える。カンニングでもする気がなければ、他人の課題なんて気にする必要もないものだ。

 なるほど、つまり話全部が無駄だったか。


「試験時間は一時間です」


 やっと正面の大きなディスプレイにユーザー名とパスワードが表示される。

 微妙に小さくて見難い文字に目を細めながら入力する。私はロボットではありません。パスワードが見難いとなぜかこのフレーズが思い浮かぶ。ああ、いけません。このタイミングは止めて下さい。急いで入らないと、人数制限が、人数制限があるんです。


 ログインした画面には課題が表示されていた。


『可愛い猫のオブジェクト』


 猫。猫か。


 前までの試験では、円柱や四角柱を組み合わせた幾何学なオブジェクトの指定だった。形が提示されて、これと同じものを作れだったから、あとは時間内に作る能力があるかどうかだけだったのだ。

 今回は形が決まっていない。いきなり難易度が上がった気分になる。

 しかも『可愛い』って誰が判断するんだ。試験官が納得出来るまで作り直し続けるクソクライアント・ムーブを仕掛けてくるんじゃないだろうな。大分前にあたったクライアントは「うーん、なんか違うんだよねー」としか言わないクソ客だった。アレと同じことをやられたら、試験官を殴ってしまうかもしれん。


「試験内容がおかしいぞ!」


 どこかの席で声が上がる。少しして試験官と話している声が聞こえる。

 年配の男性が言うのは「『獰猛な犬』なんて時間内に終わるわけがない」「前の試験はもっと簡単だった」という文句だった。

 試験が難しくなったということには同意するものの、試験のレベルなんて試験を実施するところで決めるものだ。しかも国家資格であるこの試験は、全国で実施されている。この試験会場で文句を言ったところで課題が変わるとは思えない。


 それでも文句を言い続けている男性の声は、頭のすみに追い出して、造形を考える。

 猫を馬鹿正直に作っては試験時間の一時間には到底間に合わない。

 ならどうするか。

 デフォルメだ。

 猫の特徴、毛、肉球、猫目、ヒゲ、四足歩行、猫耳。どれか一つ二つを拾うだけで、大分それらしく見えるものだ。


 少し考えて球をメインに、三角の耳をつけることにする。

 目やヒゲなんかはテクスチャ、つまり絵を張り付けて誤魔化す。手足も胴体もなし。猫に見えればいいのだ。

 あ、文句を言っていた男性が連れ出された。

 一気に試験会場が静かになる。


 マウスのクリック音とキーボードを叩く音。

 それだけの静かな空間で作業を進める。


 球を配置したら、球の上部にエッジを追加し、少し引っ張り出して耳の形にする。複雑な形状なら、別にオブジェクトを作って結合することもあるが、今回はこっちのほうが早い。

 次に張り付けるテクスチャを作る。ってペンタブがないじゃないか。マウスで絵を描けと、鬼だな。

 無いものは仕方ないので、マウスでちまちまと絵を書く。線が歪むので何度も書き直しだ。拡大してドット絵のように細かい作業をする。


 なんとかそれっぽい絵にしただけで疲労困憊だ。

 これなら3Dオブジェクトを作って結合したほうが早かったかもしれない。

 張り付けて見るとどうにも歪んで見える。だが、絵の修正をマウスでやるのも限界だ。少し考えて、球を潰して楕円のように変えてみる。

 崩れた感じが適度に合わさってブサカワ的な見た目になった。ゆっくりしていってね。


 最後にツールのルールチェックをかける。

 安全性に考慮したルールの通りに作れるのかの試験で、ルールチェックを掛けれるのはズルいようにも見えるが、そんなことは関係ない。このツールにチェックの機能があるのだから当然使うに決まっている。

 簡単なオブジェクトにしたことで、ルールチェックは何も問題なく終了する。

 後はこれを提出すれば試験終了だ。


 と、そのとき、視界が消えた。


 停電か? 始めはそう思った。試験会場には窓がなかった。停電になれば真っ暗闇になるはずだ。

 だが少しして何か違うと感じた。

 周りを見渡しても、どこも暗闇で何も見えない。

 それでも何か違うと感じた。


 何も聞こえない。


 少しだけ聞こえていたマウスのクリック音とキーボードを叩く音。それがなくなった。

 停電になってマウスもキーボードも使う意味がないのは分かる。パソコンの電源も落ちているのだから。目の前にあるはずのモニタすら見えないのだから。

 だが人はどうだ。

 何人もいた受験者が誰一人として、一言も話さない。真っ暗な空間で。悲鳴の一つもない。停電を怒る声すらない。


 そんなことを考えている間も、周囲は恐ろしいほどの静寂だ。

 いや、静寂だった。


 カツン。と、音がした。


 反射的に音のほうを見る。

 するとそこには白い、真っ白な人の姿があった。

 試験官の男性だった。


 長く白いヒゲを伸ばし、髪も真っ白の男性はどこか浮世離れしている。さっきは神様か仙人のように見えたその姿は、真っ暗な中では幽霊のようにも見える。

 真っ暗な中で、その姿だけがハッキリと見えた。


「試験お疲れ様です。提出された課題について、数点確認をよろしいですか」


 何言ってるんだコイツ、と思った。

 いつの間に現れたのか、どこに居たのかもどうでもいい。だが、この暗闇で試験の確認? そういう状況じゃないだろう。先に停電をどうにかしろよ。


「この課題、手足がなく、動けない物に見えますが」


 当然だろう。課題は『可愛い猫のオブジェクト』。オブジェクトは物体、置物であって生き物ではない。動かしたいなら猫型のアバターとか、せめて動作可能オブジェクトって書けよ、クソ客か。いや、本当の客なら確認してから作るけどね。予算とかスケジュールとかいろいろと。


「ふむ、ではアバターの制作も問題ないと」


 もちろん作れと言われれば作る。ただ、VRは出来ることが広い分、リアル追求なのかデフォルメなのかだけでも工数が一桁は変わる。出来上がってから文句が出ないようにすり合わせはキッチリするし、書面にも残す。でなければ数カ月の作業を「気が変わった」でひっくり返すクソ客がいるからだ。最悪でも、裁判で訴えて費用と取り立てれるだけの証拠が必要だ。


「よろしいでしょう」


 真っ白の男性が下を手で示すと、そこには青い惑星があった。

 地球型と言っていいのか、宇宙から見た地球の映像は見たことがあっても、同じかどうかなんて断言出来る知識はない。大陸の形だってうろ覚えだ。だから似たような何かとしか言い表せれない。

 というかなんだこれ、試験会場の床はディスプレイだったのか?

 机や椅子、試験中に使っていたものに視界が遮られるわけでもなく、下には地球のような何かが見える。


「この惑星にはまだ生命がありません。生命とは動物も植物も、微生物もです」


 何を言っているだこのおっさんは。


「この惑星に多種多様な生命を創造してください。ツールはこちらを」


 少し離れた場所にデスクと椅子が、そして試験で使っていたのと同じようなモニタやキーボードなどが現れる。


「それではよろしくお願いいたします。納期はとりあえず一万年としましょうか」


 その言葉を最後に真っ白な男性は姿を消した。

 真っ黒な空間に浮かぶデスクと、足元に見える青い惑星、そこにただ一人取り残される。

 わけがわからない。

 ただ一つ言えることは、


「あいつ絶対クソ客だろ」


 ということだけだ。

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