第3話 私は子どもだった女
妹のおもらし事件を含む一件が、小学生だった頃の最大の思い出である。
そしてその思い出をしゃべろうとすると、なぜか必死に止められる。
「そういう事はするのは十五年は早いの!」
「十五年?」
その思い出の後に言われた十五年と言う言葉の意味は、その時はわからなかった。
そして私が十五年どころかたった十三年でそれをしたと知った時には、母は怒るでも泣くでも嘆くでもなくああそうとため息をこぼしただけだった。
その事を小学校卒業までに叩きこまれてから、私はその事をしゃべらないようにした。結果小学校時代の思い出は何もなしと言う事になり、淋しい人と言われた。
淋しいぐらいならまだましで、いじめに遭っていただの虐待を受けただのと言われもした。
「噓くさいなあ」
その事が耳に入った母から様々な思い出の候補を次々に提示されたが、正直どれもまるで記憶に残らない。仕方がないのでよそ行き用の思い出話を作り上げたが、へたくそなアドリブばかりでひとつもつじつまが合わない。
聞くたびに話が変わるならまだしも、同じ話の中で三回も矛盾が生じてツッコまれた事もある。噓くさいと言われるのはまったく当たり前だし、その事を反省する気もない。
「本当にいじめられてなかったの」
そのピント外れな質問に対し首を横に振る度に、両親のため息が出る。
ない物をあると言って何か利益があるのか?この両親を安堵させられるのだろうか。いじめなどない方がいいに決まっているじゃないか。
それ以外ではさしたる問題がなかったと言われている私が起こしたらしい問題に、父も母も相当に心を乱されたようだった。同じことをするのではないかと言う恐怖に取り付かれたらしい母は、自分の両親に必死に頭を下げて私たちのお世話をさせたようだ。
それでも、両親からなぜかわからないがひどく説教されてそれなりに成長したつもりの私はその記憶を封じ込めながら、その為にいったい何が必要か考えるようになった。そしてその真摯な行動がある一点に結びついている事を察したらしい母は、途中からあきらめの心境になって行ったようだ。
どうすればいいのか、どうにもならない。避けさせたいが、避け続ける事もできない。そのジレンマに、父母は私が知らない内に苦しみ続けた。
結果として、大学時代に週三で喫茶店でアルバイトする以外賃金労働を避け続けたまま主婦になった人間が出来上がったのは、いったい誰のせいだろう。
身重になった今年はまだないが、それ以前は最大四人の子供を連れて実家によく帰っていた。無論夫同伴の帰省であり、年中行事の一環としてである。
去年の正月は、子どもを四人連れて実家で過ごした。
弟は不在だったが、妹はいた。今年で共に二十七歳、そろそろと言う考えを抱くのは当たり前だろう。
私が二十七の時には雄三とかなたをお腹に抱えていてまともに動けず、ずいぶんと義父母をてこずらせた物だ。まあその時はまだひろみもいなかったし、一朗たちと共にゆっくりと帰郷できた。
「それにしてもね、言っちゃ悪いけどずいぶんと古い服ね」
「着られるからいいじゃない」
妹と共に実家でこたつを挟みながら、私はみかんをつまんだ。なぜか知らないけど十一月十二日になると出て来て、三月二〇日になると片付けられていたこたつ。子どもの時からそのままの経緯を保ち、私が主婦になってからもその期日をなんとなく守っている存在。そのずいぶんと小さくなったこたつを囲みながら、妹は相変わらず無愛想な顔をしていた。
四児の母となる前から着ていた服はさすがにサイズが合わなくなった、という事はなくその時も平気で着ていた。さすがに妊娠中期からはマタニティウェアであったが、それももう何年も着ていてかなり色が薄くなっている。
季節を無視すれば、子どもを孕むとマタニティになり子どもを産むと数年前の服に戻るというサイクルを数年間くり返している。
「お姉ちゃんって昔からそうだよね、おしゃれな服を着てたのは大学に通ってた時ぐらい。それもすぐやめちゃって」
「やめてないけど」
「十年前におしゃれだったのが今もそのまんまな訳ないでしょ!」
「着られなくなるまでは着るべきだと思うけど。とりあえず我慢しててよかったわ」
さすがにもう無理だと思いながら残していた雄三とかなたの、と言うか一朗と萌の服。お下がりのそのまたお下がり、色あせた子供服も雄三とかなたはさほど嫌がる節はない。
ほつれた分にはまた適当に縫えばいいし、どうにもならなくなったらクズ布として雑巾やらにすればいい。これはそんなに間違った発想なのだろうか。
「お母さんも言ってたでしょ」
「何て」
「もう少し遊びとか覚えた方がいいって」
「ババ抜きでもする?」
トランプと言うのも不思議な物で、何十どころか何百通りもの遊び方がある。
私が幼稚園児の時に買ってもらって勝手に持ち出した嫁入り道具のひとつであるトランプの遊び方を記した本は、未だに生きている。一人より二人、二人より四人の方が楽しいのは当たり前の話だ。でもそうやって本と同じように持ち出したトランプカードを見せると、妹はまた深くため息を吐く。
「本当に、お姉ちゃんってそんなんだよね昔から」
「昔からどうだったのおばさん」
「おばさんって、私はまだ二十六歳、よ………」
一朗の不用意な発言に妹は一瞬怒りを起こしたようだが、すぐに私の顔を見てため息を吐いた。まるで私の子どもだからしょうがないとでも言いたげな有様で、何か怒りを起こした事を後悔しているようだった。
「姉さんってさ、本当になんて言うかもったいないって言うか」
「もったいない?もっと長くこの服も着た方がいいの?」
「モデルとかできたと思うよ。あとそうでないとしてもキャリアウーマンとか」
買いかぶりすぎという言葉を口に出す気にもなれない、もう一体何回そんな言葉を口にしたのかさえも覚えていないぐらいだから。モデルとはどんなモデルなのか、キャリアウーマンとはどこに勤めてどれぐらいの業績を上げられる物なのか。とんと見当もつかない。わかるのは、私が才能をあたら無為にしているのだと言いたいという事だけである。
「姉さんは今の生活、つらいと思った事とかないの」
「全然ないけど」
「もっともっとさ」
「ああそうだった、お母さんのお手伝いしなきゃ」
「ああはいはい!」
だいぶ長い距離を移動して来た事を盾にこたつにこもっていた私がしまったとばかりに立ち上がると、妹も釣られるように腰を伸ばした。
こたつには萌とかなたが私の席に入り、雄三は妹の側に入り込んだ。
「あなたって本当にもう、話聞いてたの」
「聞いてましたよ、でもそれでも用意できることはあるでしょう」
こんな自分を大学まで行かせてくれた母親に対し、礼を尽くすのは当たり前の事だ。ましてや、その期待を卒業間際に裏切った身としてはなおさら重要なはずだ。正月と言ってもすでに三が日は過ぎており、特別な料理がある訳でもない。
こんな時だからこそ家事の手伝いをしようとするのだが、母は孫たちが来るのだからと宅配ピザを二枚も取っていた。それでも、普段三個しか使わないコップやお手拭き、飲み物の調達とかする事は山とあるはずだ。
「お父さんに頼みましたよ、スーパーでコーラとオレンジジュースのボトルを買ってくるように」
「明日から仕事始めなんでしょう」
「ですから、それに合わせて休みボケを解消してもらうためよ」
なるほど、私の夫もまたしかりだ。軽いお使いで任務を達成させるという作業を思い出させ、エンジンをゆっくりとかけさせる。
なるほど、さすが主婦歴三十年以上のベテランだ。
「やはりスーパーだとコンビニや自販機より安いですからね、ましてやピザと一緒に頼むのなんか」
「あなたは今日は娘なんだから、座って子どもたちの相手をしてあげなさい」
「娘って、私はお母さんの」
「じゃあお客さんでもいいわよ、私が全部やるから」
「でもまたこんな時に」
「コップ出してちょうだい」
そして駄々をこねる私の扱いもうまい。
親として、どうしても無理矢理に割り込んでペースを崩そうとしてしまう私の扱いも手慣れた物だ。こう言う所はどんどんと見習わなければならないと思ったが、それは言えなかった。
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