3月29日

 目を開けると、レースの白いカーテンから、青い光が差し込んでいた。鳥の鳴き声が聞こえる中、昨日の出来事が思い出される。睡眠をとって少しすっきりとした頭で考えてみても、あれはいったい何なのか、全く見当がつかない。そもそも、あの少女には何も見なかったことにしろ、と念を押されたが、そう都合よく記憶を抹消出来ない。


 洗面所で顔を洗い、髪形を整える。リビングには大量の段ボールが残っており、今日捨てないとまた次の回収日まで待たなくてはいけなくなる。詰みあがった段ボールをひもで結びながら、これからの身の振り方を考える。


 僕にとって、この一人暮らしというのは妹から逃げるという、情けない理由だけで始めたわけではないのだ。とはいっても、その理由は、特別なものではない。ただ、普通の学校生活を送ってみたいというものだ。というのも、慶花は、僕に対しては少し甘すぎる対応をするが、それ以外の人物に対しては中々に厳しい。


 慶花は一つ下の学年でありながら、僕の学年の生徒にもその名が知られていた。それは慶花が美人だったというのもあるが、大部分はそのスペックの高さにある。定期テストではほとんど満点、部活動の成績も優秀、まさに完璧な存在だった。そんな彼女が僕の妹だと分かると、話したこともなかった他クラスの子に急に話しかけてきたり、手紙を渡してほしいと頼まれたりと、色々と慶花への取り次ぎが多くなった。


 慶花は「私に直接渡さず兄さんにラブレターを渡す時点で、もうアウトです」と取り付く島もなかったが、慶花への取り次ぎは留まるところを知らなかった。下手をすれば一日の大半以上が、僕ではなく慶花目当ての人と話すときもあり、いつしか友達だと思っている人も、本当は慶花に少しでも好印象を与えられるように、僕と付き合っているだけではないかと思い始めた。


 僕を間に挟んで交流を持とうとする人間を、慶花は酷く軽蔑していた。そんな彼らは、慶花にそんな態度を取られ、その鬱憤を僕に流した。僻みやら嫉妬が明け透けの人に、悪意をぶつけられることも多々あり、嫌がらせも結構多かった。とはいっても、受験期になるとそれどころではなかったのか、そういったことも少なくなっていったのが不幸中の幸いというものだ。


 全員が慶花に夢中ではないことは分かっている。けれど一度そう疑ってしまったら、全員がそう見えてしまった。僕を表現する言葉には、必ず、あの上沢慶花の兄という呪いのような肩書がついて回る。

 

 そして困ったことに、慶花は学校でも僕の近くによく来るのだ。本人は、薄汚い魂胆が透けて見える人と行動したくないと言っていたが、それにしても登下校から昼休みまで来るというのは、どうなのだろう。嬉しさももちろんあったが、空いた時間にはいつも慶花が隣にいたので、まともに恋人はおろか、女子の友達すら出来なかった。


 だが、高校では慶花という存在を知る人間はいない。もしかしたら、部活や模試の結果などで知っている人間もいるかもしれないが、それと僕を結びつけることは不可能に近い。今度こそ、ちゃんと友人と呼べる関係と、出来れば恋人を作ってみて、青春を謳歌したいのだ。


 結び終わった段ボールを手に持って、ドアを開ける。自然と、目が隣の部屋の扉に向かった。あの少女は、今もこの先にいるのだろう。きっと、少女の言うように、あの時のことは忘れるべきなのだ。夜のランニングも、朝に行ってしまえば問題ない。もうこれ以上、彼女と関わることは辞めるべきだ。


 全ての段ボールをリサイクルボックスに入れ終わり、部屋に戻る。まだ僕は、この日のうちに、あの少女と切り離せない関係になってしまうことを、知らない。


-------------------


 『以前受けた模試の結果が帰ってきました。兄さんの高校もA判定です』


 受験生になってからまったく遊んでいなかったテレビゲームをしていると、慶花からメッセージが来ていた。添付された画像を見ると、本格的な模試だというのに、全ての教科でほぼ満点、相変わらずの天才っぷりを見せつけてくる。


 おめでとうと返すと、爆速で既読が付いた後、そこから数秒で返信がきた。文字数が多く、どうやってこの短時間で打ったのか疑問だ。これを要約すると、こんな文章だけの褒め言葉ではなく、きちんと面と向かって褒めてほしいので、やはり今度そちらに行きます、というものだ。


 実家では慶花の言うことも、全部僕に気を使っているから出てくる発言であって、内心ではきっと軽蔑しているに違いないと思っていた。しかし、家を離れると慶花は以前と同じように、もしかしたらそれ以上の頻度で交流を持とうとしてくる。


 本当に、僕は慶花に慕われていたようだ。昼の一時辺りから、今返信した8時まで、30分刻みで簡単な文章が送られてきており、そんなに模試の結果を褒めてもらいたかったのかと、少しほっこりした。


 きちんと許可を取ったら、いつでも来て良いと返信をして、そこで気づいた。先ほど言ったように、今の時刻は午後8時、昨日のあの光景が思わず脳内で再生された。しかし問題なのは、僕の今の状況だ。


 僕は部屋の整理が終わった後、段ボールの中に入っていたゲームソフトと本体を発見。やることもなかったので、久しぶりに遊んでみることにした。そのゲームはとても面白く、つい食事を忘れて今の時間までやりこんでしまった。


 大切なのはここからだ。僕は引っ越してきたばかりで、生活用品のまだ揃いきっていない。もちろん、トイレットペーパーやら洗濯機の洗剤など、そういったなくてはならないものはある。問題なのは、食料品を一切買っていなかったということだ。


 昨日、コンビニの弁当を買ったのは、思っていたよりも生活用品が買出しの荷物を圧迫し、食料品を買う隙間がなかったからだ。なので、今の冷蔵庫には本当に何も入っていない。しかも僕は今日、昼飯を抜いている、普通に腹が減った。


 計画性の無さがここに来て露呈してしまった。いつもなら、家には冷凍食品や晩飯の残りが保管されていて、食うに困ることが少なかった弊害だろう。改めて、実家のありがたみと、もっとしっかりせねばいけないということを自覚した。さて、どうやって夕飯の調達をしようか。今の時間に外に出るというのは、あの少女と遭遇する可能性がある、それだけは何としても回避しなくてはならない。


 かといって、今日何も食べずに寝るというのは、中々に厳しい。昼飯を抜いただけでこんなに腹が減って頭も回らなくなってくるとは、如何に食事が大切かが分かった気がする。そんな調子で、いい案が出るはずもなく、食べ物のことしか頭にない僕が選んだ結論は、時間をずらして外に食べに行く、というものだった。


 そうして、水道水を飲みながら飢えに耐えていると、隣からガチャっと、扉が開く音が聞こえた。時刻は午後8時半、昨日は気にも留めていなかった音が、今は息が止まってしまいそうだった。コツコツと、あの少女が歩く音に耳を澄ませて、その音が聞こえなくなってからも数分ほど、扉の方を凝視してしまった。


 すぐに、僕の頭は状況を整理する。時刻は午後8時半を過ぎて、僕はとてもお腹が空いている。そしてあの少女はどこかに出かけた。もし仮に、少女があの事件になにかしら関連、または首謀者であったとしても、人通りの多い場所では事件は起こさない、と願いたい。


 要するに、昨日は人通りのない公園に行ったせいで、あのような状況に遭遇してしまったのであって、今のうちに駅前に行ってしまえば、少女とは遭遇せずに済むのでは? そこまで考えて、もはや食欲に支配された僕の行動は、早かった。


 どうせすぐ風呂に入って着替えるのだからと、昨日と同じジャージを着て、夜の駅前に向かった。携帯と財布だけを持って、かなり全力で走った甲斐もあり、駅前にはすぐについた。駅前の牛丼屋に初めて入ったのだが、空腹もあって死ぬほど美味かった、また来よう。


 だがよく考えると、何故外食するのにこんなにも少女に気を使わなくてはいけないのだろう。なんだか、あの状況に対する怒りすら湧いてきた。普通は、巷で噂の事件らしき現場に居合わせるなど、考えもしない。それなのに、僕は見てしまっただけで、外出すら気を張らなくては行けなくなった。


 とはいっても、僕に少女を責める資格など無い。僕は脅されて仕方なく従ったという理由を盾にして、少女の行動を止めようとも知ろうともしていない。そんな僕が少女のために出来ることなど、あの光景を忘れて、誰にも話さずにいるくらいしかない。


 変に意識していては、それこそあの光景を忘れることなど出来はしない。ならば、次にあの少女に会ったのなら、初対面の振りをして、気さくに挨拶でもすればいい。それで、この話は終わり。少女も安心して夜の街に繰り出せるし、それによって事件が続こうとも、僕の責任ではない。


 疑問は確かに残っている。仮に彼女があの外傷の一切ない死体の犯人だとして、どうやって被害者を殺害しているのかとか、動機はいったい何なのかとか、気にならないと言ったら噓になる。しかし、そんなものを知ってどうしろと言うのだ。


 見られたからと言って問答無用で始末せずに口止めでとどめているのだ、それだけでもう十分だろう。昨日見たことだって誰かに説明しても信じてもらえないのが関の山だ。慶花なら信じてくれそうだが、それは論外だ。


 結局、僕は僕が引っ越したくないから、隣の住人の明らかな異常性を見逃している。そんな僕に、少女を糾弾する資格などないのかもしれない。駅前からの帰り道、そんな不毛とも思えることを考えていると、携帯が振動した。どうやら、今日も慶花が電話をかけてきたようだ。


 「もしもし、兄さん? 今大丈夫ですか?」


 「ああ、大丈夫。模試の結果見たよ、また一位取ってて凄いな」


 「いえそんな、大袈裟です。今回は県内だけの模試でしたし、全国だったら十番以内に入れるかどうか,,,」


 「そう,,,けどその成績なら、もっと上位の高校も狙えるでしょ。なんでわざわざ僕と同じ高校を志望してるの?」


 正直、慶花が追いかけてくるのは嬉しい反面、また比べられることに不安と劣等感を刺激されるので、出来ればもっと上を目指してもらいたいものだが,,,


 「偏差値や学力だけが学校の全てではないでしょう? 兄さんも高校は、偏差値ではなく設備や進路の多様性を見て決めたと言っていました。実際、あの学校は私もいい学校だと思いますよ」


 「あー-。まぁうん、そうだね。でもほら、父さんと母さんはさ」


 「関係ないです。私の進路は私が決めます。二人に反対されても、絶対に説得して見せます」


 「うん,,,まだ時間はあるから、ゆっくり考えてみてみたら? そしたら、気が変わるかもしれないし」


 「いいえ、変わりません。私は自分が行きたい道を進みます。そのためには、たとえ両親であろうと、障害となるなら排除するまでです」


 慶花は変に頑固なところがあるから、一度こうと決めたら引かない。こうなったら僕や両親が必死に説得しても、自分の意見を曲げないのだ。であれば、僕から言うことはもうない。ここで変に反対でもすれば、そのうちへそを曲げてしまう。いくら大人びているといっても、慶花はまだ14だ。まだまだ両親や僕に甘えたい年頃なのだろう。


 「はぁ,,,なんでそんな頑ななのさ」


 「逆にどうして分からないのですか?」


 全く、それは兄さんが,,,と電話口から聞こえたところで、僕の視線はある一点に絞られていた。その光景は、昨日見たあの状況よりも残虐で、頭がくらくらしてくるものだった。電話はまだ繋いだままで、スピーカーからは慶花の声らしきものが聞こえるが、全く意味を理解することが出来ない。


 だっておかしい。昨日はあの異様な雰囲気をまとっていたあの少女が、家の近くの街灯の下で、体の色んな部位から血を流して壁にもたれかかっている。腹部、両足、右手の全てに、黒い何かが突き刺さっていて、軽い血だまりが出来ている。全てが異質だった。


 おかしい。あの事件の犯人は、恐らくあの少女だと思っていた。それなのに、その少女が今、致命傷を負っている。どういうことか全く理解できない、事態を呑み込めない。けれど、今はそれどころじゃない!


 「ごめん! またかけなおす!」


 「え? ちょっと兄さ」


 すぐさま携帯を切って、少女の近くに移動する。僕は特別医療行為に精通している訳ではない、そんな僕でも分かるほどに、少女は危ない状態だ。息は辛うじてしているようだが、とにかく出血が酷い。目は閉じていて、応急処置などどうすればいいか分からない。


 「うっ,,,くそ、大丈夫か! 今救急車を呼ぶ!」


 嗅いだことのない、濃い血の臭いに当てられて、さっき食べた牛丼を出しそうになった。それに、震えが止まらない。とにかく何も考えずに飛び出してしまったが、目の前で人が死にかけているのだ、混乱しない方がどうかしている。それより、早く助けを呼ばないと。


 スマホの電話帳を開いて三桁を押す、もしくはロック画面の緊急ボタンを押して同じことをするだけ、たったこれだけの作業にもたつく自分に嫌気がする。ようやく誰でも知っている三桁を押し終えて連絡しようとしたその瞬間、今までピクリとも動かなかった少女が、急に僕を突き飛ばした。


 「え?」


 強い衝撃を受けて、体が後ろに飛ぶ。ただ、そんなことよりも異様な光景が僕の目に映っていた。僕を突き飛ばした少女の胸に、体の色んな所に刺さっていたのと同じ黒い何かが、突き刺さった。少女はそのまま、道路に投げ出されて新しい血だまりを作り始めた。


 僕は、名前も知らない少女に、助けられたのか? 僕が見ていた時には、胸には何も刺さっていなかった。つまり、僕はこの少女を助けるつもりで、見事に足を引っ張ってしまったということか。助けも呼べていないどころか、少女の傷を増やしてしまった。


 「##########!!!!!!」


 異様に高い音が聞こえて、そちらを向くと、喉元に包丁が深く食い込んだ、片腕しかない人のようなものが立っていた。それは、腹からあの少女に刺さっていたものと同じものを、どういう原理かは分からないが取り出していた。


 「ははっ,,,死体は外傷が一切ないんじゃなかったのかよ,,,」


 僕は少女が、件の死体事件の犯人だと思っていた。そんな少女が、今は正体不明の化物に襲われて今にも死んでしまいそうだ。分からない、一体何がどういうことなのかさっぱり分からない。今分かることは、僕に少女を救う手立てはないということ。そして、その化物は今度は僕を襲うことにしたということだ。


 「##########!!!?!?」


 「っ!」


 化物は、黒い何かをこちらに向かってぶん投げてきた。咄嗟に右に避けたつもりだったが、左肩に深々と突き刺さった。今まで骨折もしたことのない生粋の現代人なのだ、こんな痛みは体験したことがない。声になっていない苦悶の音が漏れるだけで、痛いのか痛くないのかすらよく分からない。


 左肩がすごく熱くて、自然と涙が出てきた。きっと今はよく理解できてないだけで、物凄く痛いのだろう、涙で目の前が霞んできた。きっとあの化物は、今度こそ僕を仕留めるために、第二投を用意している。このまま何もしなかったら、今度こそ行動不能にされてしまう。


 ,,,こんなところで終わりなのか? これから新生活が始まって、友達や仲間なんか作って、それで人生で初めての恋人が出来たらいいなとか、期待でいっぱいだったのに。僕の人生は、ここで終わってしまうのか?


 ,,,いいや駄目だ。駄目だ駄目だ、こんなところで終われない,,,! まだやってみたいことが色々ある、まだ僕は何も成し遂げてない。きっと、僕が死んだら両親も悲しむと思う。それに、慶花は少し僕に依存気味だ、きっと悲しむ。10代の内から彼女にトラウマを残したくない。


 まだ死ねない,,,あの少女ももしかしたら助かるかもしれない、それなのに僕が今倒れたらあの化物は少女を確実に仕留めに行くだろう。あの化物は何なのかとか、あの少女は何者なのかとかは、今はどうでもいい。問題は、あいつをどうやって無力化するかだ。


 「##############?!?!?!」


 右手で涙をぬぐって化物を観察する。それの顔はぐちゃぐちゃで、表情なんか分からないはずなのに、にやにやと気持ち悪く笑っているように見えた。その証拠に、腹から黒いものを取り出すのを、悠々自適といったように、ゆっくりと取り出している。


 くらくらする頭を必死に動かして、化物の姿を見ていると、それはかなりの深手を負っているように見えた。喉元に刺さった包丁からは血液のような液体が漏れているし、左の腕がもげている。社会人が身に着けているようなスーツもボロボロで、傷だらけだ。


 僕は、あの投げものに対応できない。もっと近づけば、それこそ頭や足に当てられて、間違いなく行動不能にされる。けれど、一本道で脇道のないここを逃げることは出来ないし、家に逃げ込むことが出来ても、ドアくらい軽々破ってくるかもしれない。それにもし家に逃げられても、少女は確実に殺されるだろう。


 ,,,,,,正気の沙汰じゃない、今脳裏に浮かんだ作戦は、作戦と呼ぶにはお粗末すぎるものだ。それにもかかわらず、僕はこの作戦を実行しようとしていた。きっと脳内物質が出まくって、馬鹿になっていたのだろう。今際の際が近くなって、心臓はドクドクとうるさいのに、思考だけは冷静になっていた。


 「ッ!!」


 一息入れて、化物に向かう。左腕が動かないせいで、走り方がおかしいが、走れてはいる。それは、黒いものを取り出し終わって、ちょうど投げる態勢に入っていた。時間の流れがゆっくりになったように感じられて、化物の一挙手一投足が見えた。


 僕は今、人生の中で最も集中している。化物を無力化なんて甘い、動かなくなるまでしっかりと殺しきる。化物が、手に持ったものをこちらに投げた。それを見て僕は、体を捻らせて、左手が顔を覆うように移動させた。


 遠心力で左手は視界を遮る。力の入らない腕は重力に従って元の位置に戻ろうとするが、すぐさまそこに黒いものが突き刺さった。顔に血液が飛び散る。もう痛みなんて麻痺していて、訳が分からないが、目論見は達成した。


 作戦といっても、運任せの出たとこ勝負だった。化物が狙う場所の当たりをつけて、その場所を使い物にならない左手を盾にして突き進む。素面では思いつかない狂気の作戦だ、もし頭以外の、それこそ両足のうちのどれかや、内臓や残った右腕なんかを狙われていたら、一巻の終わりだった。だが、化物は完璧に僕を殺しきるため頭を狙った。一発で決めようとしたお前の判断ミスだ。


 「#############!????????!」


 「死んどけこのゴミカス!」


 左腕が悲惨なことになったが、結果的に、化物のそばに右手を残したまま近づくことが出来た。汚い言葉を吐き捨てながら、喉元の包丁に手をかける。そのまま引き抜こうとするが、よほど深く刺さっているのか、少しづつしか抜けない。


 「##########!!!!!!!!!!!!!!!」


 「うっさい! とっととくたばれ!」


 気合いを入れて包丁に力を入れる。突き刺さった部分から、血液のようなものが絶えず吹き出て、量も増えている。化物の声も、耳がつぶれそうなほど大きく、切羽詰まっているようだ。残った力を振り絞って、包丁を引き抜く。三回目の挑戦で、包丁を引き抜くことに成功した。


 「よし! これっ,,,,,,あ?」


 包丁は引き抜けた。化物の喉元から水道の水みたいに体液が噴出している。もう不快な声も聞こえない。けれど、化物の手には僕が包丁を抜くのに手間取っている間に腹から出したのか、化物は確かに、僕の腹部を黒いもので突き刺していた。


 「ごぶっ,,,ぐ、ぐそ」


 もう自分でも分かる。これは助からない、血が出過ぎた。口からも血が出てきて、体が冷えてきた。最後のあがきで、僕も手に持った包丁を、化物の腹部に突き刺した。それで、化物は倒れた。


 「ハァッ,,,ハァ,,,,,そんな甘くは,,,ないか」


 朦朧とする意識で、自らの馬鹿さ加減を呪う。腹に一発突き刺さっただけで、過不足なく死ねるのだ、あの少女もきっと死んでしまっただろう。あの少女にかばわれたからといって、変な義侠心など出さずに、さっさと見捨てればよかった。


 ああでも、最後に少しいいことが出来た。女の子を助けようと死ぬなんて、それはそれでありだ。でも、慶花を残してしまうのだけが、心残りだ。きっと、泣くだろう。小学生の頃に泊まりで一日家を空けただけで、帰ってきてからずっと引っ付いてくるほどだったのだ。永遠に会えないなんて言ったら、どうなってしまうのか,,,最後まで慶花に迷惑ばかりかけて、本当に申し訳ない。


 最後まで、僕は妹のことばかりだ。けど、それほどまでに、慶花の存在は大きかった。僕は、残してしまう妹に謝りながら、目を閉じた。もう何も聞こえないし、感じない。死がそこまで迫ってきていた,,,

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る