第3章 始めの一歩

おじいちゃんはじじバカ

 その日、実はユエを連れて家の中を歩いていた。

 ある一つのドアの前で止まるとドアを軽くノックして、返事も待たずにドアを開ける。



「じいちゃん、いる?」



 開いたドアの隙間から室内を覗くと、イリヤとユリアス、そしてエーリリテの姿があった。



 机に座って難しげな顔をしていたイリヤは、実を見るなりパッと表情を輝かせる。



「おお、実。遠慮しないで入りなさい。」



 心底嬉しそうな顔をして、イリヤは実に向かって手招きをする。



 イリヤとユリアスは大事な会議が立て込んでいて、最近はずっと屋敷を空けていた。

 帰ってきたのは、昨夜のことだ。



 実は一つ頷いて、ユエと一緒に部屋に入る。



「ああ。話に聞いていた子は、その子かな?」



 ユエを見たイリヤが、小首を傾げる。

 すると、その視線を受けたユエが、途端に実の後ろに身を隠してしまった。



「え……ちょっ……」



 それに焦りを見せたのは実だ。



「ユエ、だめでしょ。悪い人じゃないからちゃんと挨拶しようねって、部屋で約束したじゃんか。」



 自分の後ろに隠れるユエの前にしゃがみ、実は困った表情でそう言い聞かせる。



「うん…」



 ユエは呟いて、実の肩越しにイリヤとユリアスを見つめた。



 それにイリヤが微笑みを返すのだが、ユエは口を戦慄わななかせると、実に抱きついて顔を伏せてしまう。



「……ごめんなさい。」



 実の肩に顔をうずめて、ユエは実の服をきゅっと握り締める。


 

 一方の実は少し悩んだものの、やがてどうにもできないと判断して肩を落とした。

 ユエを抱いて立ち上がり、イリヤとユリアスに頭を下げようと振り返る。



「じいちゃん、ユリアスさん。ごめん、やっぱり―――」



 イリヤたちを振り返って、実は目をぱちくりとさせてその場に立ち尽くした。



 その反応に疑問を持ったエーリリテとユリアスは、実の視線の先にいるイリヤを後ろから覗き込む。



「父さん……顔。」

「さすがに気持ち悪いわよ。」



 呆れた表情をするユリアスと、頬を引きつらせるエーリリテ。



 実があんな反応をするのも無理はない。

 イリヤは、でれでれに笑み崩れていたのだから。



「えぇー? いいじゃないか。」



 満面の笑みのまま、イリヤは実たちを見つめている。



「仲睦まじい兄妹みたいで、なんとも可愛らしい幸せな光景だと思わないか? いやぁ、一瞬で癒されたよ。疲れが吹き飛ぶって、こういうことを言うんだなぁ。」



「……馬鹿じゃないの?」

「ほんとに。」



 実がにべもなく切り捨て、エーリリテがそれを肯定する。

 しかし、イリヤは傷ついた素振りを全く見せなかった。



「馬鹿で結構だよ。私は、自分で自分がじじバカだと認めているからね。孫が可愛くて可愛くて仕方ないことに、何も悪いことはないだろう?」



「なっ…!? 気色悪いこと言わないでよ!」



 実はほのかに頬を紅潮させて一喝し、イリヤの前まで歩を進めた。



「それはともかくとして、ごめん。これでも、ここに来るまでは頑張ってたんだけど、もう限界みたいで……」



 怒られると思っているのか、ユエは実にきつくしがみついたまま小さく震えている。

 イリヤは首を横に振ると椅子から立ち上がり、ユエの頭に優しく触れた。



「全然気にしてないから、無理させないであげなさい。ねぇ、ユリアス?」



「そうだよ、実。それにどっちかっていうと、私がその子に怖がられてるんじゃないかと不安なんだが……」



「ははは。ユリアスは私に似て子供好きのくせに、子供を前にすると顔が強張ってしまうからなぁ。」



「え、そうだったの?」



 実が軽く目を見開くと、ユリアスは少し照れたように視線を横に逸らした。

 どうやら、図星らしい。



「そういうことだ。実が謝る必要はないし、実もこの子みたいに素直になっていいんだからね?」



 イリヤは、実の少し赤らんだ頬に触れる。



「いつもそんなすまなそうな顔をしなくても、ここは実が帰ってきてもいい場所なんだから、遠慮しないでいいんだよ。」



「………っ」



 実は思わず、自分の顔に手をやった。

 自覚は全くないのだが、自分はいつもそんな顔をしていたのだろうか。



 確かにここに厄介になってばかりなことは申し訳ないと思っていたし、居心地がいいと感じてしまっていることに躊躇ためらいもあった。



 だが、それを言っては余計に気を遣わせるだろうと思って、わざと厚かましく振る舞っていたつもりだったのに。



「ばれてたんだ……」



 無意識のうちに、気まずい本音が零れてしまう。



 イリヤはくすりと笑い声を漏らして、こちらの頭を愛おしげになでてくる。

 そんな仕草に、どうしようもなく頬に熱が集中してしまう。



 やっぱり、こうやって優しくされるのは苦手だ。



 どうやって気持ちを受け取れば相手に嫌な思いをさせずに済むのか分からないし、この優しさに何をどう返せばいいのかにも困る。



 いつだって自分は、周囲から与えられるものに戸惑ってばかりだ。



 赤く染まる頬を隠すようにうつむいた実に、イリヤは深い笑みをたたえる。



「まったく、素直なんだか違うんだか。まぁ、そんなところも可愛いのだけど。」

「可愛いって言わないでよ。」



 さらに赤面してイリヤの手を振り払う実に、またイリヤが笑み崩れる。



「またそんなに赤くなって。おじいちゃんはいつだって、孫至上主義だぞぉ?」

「声音まで変えるなよ! もういい!」



 これ以上ボロを出したくなくて、実は逃げるように部屋を後にした。



「ふむ、怒らせてしまったかな? 本当のことしか言っていないのだけど。」



 あくまでも笑顔で半開きの扉を見つめるイリヤ。

 そんなイリヤに―――



「分かっててやってるくせに……」

「まぁ、父さんの気持ちは分からなくもないけど。」



 深々と溜め息をつくエーリリテと、少しばかりうらやましそうな顔をするユリアスなのだった。


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