第13話 悪魔と踊ろう1

「船の結界はどうなっている!? 奴等の攻撃で船が揺れるなんて、あってはならん事だぞ!」


「通常通りだ。闇の民の数が多すぎるんだ」


 船内の喧騒は増すばかりで、いつ不安によってパニックが引き起こされてもおかしくない状態だった。

 ユリスはマリア達をちらと見て、彼女らの安全を目視で確認した後、脇目もふらず操縦席へ向かった。目の端にマリアがついてくるのが見えたが、今は構っている余裕はなかった。


 船が落ちれば、乗員全員がたちまち闇の民の餌食になってしまう。

ユリスには、自分達を守るだけの魔力はあるつもりだったが、いくら潤沢な魔力があるからと言って、船内に居る全ての人間を守り通せるとは限らない。どんなに強力な魔術を用いて見方を守ったとしても、綻びは必ず生じるからだ。


――それよりは――。


 飛行船全体を覆う魔術による結界は、操縦室で魔装機械によって貼られている。まずは、船内の誰かが言っていたように「結界は正常で闇の民の数が多すぎる」のが本当かどうかを確認しなければならない。


 一同の乗った飛行船はこじんまりとした造りだったため、ユリスはすぐに、操縦室に至る扉の前まで辿り着いた。

 扉の前には船員と思わしき少年が立っていた。彼の双眼はせわしなく動き回り、落ち着きがない。目に見えて狼狽えている少年を前にして、ユリスは、冷静に話が通じますようにと祈りながら、言った。


「俺は魔術師だ。光の魔法も習得している。何か助けになれないか? 責任者と話がしたい」


 船員の少年が言葉にならない何かを口にしながら背後を振り返ると、まるで全てを見ていたかのようなタイミングで


「入ってくれ」


 と、返答が飛んできた。同じタイミングでマリア達が「彼の仲間です」といいながら追いつく。一同は示し合わせたかのように、操縦室に入った。


 操縦室には五名の船員が居た。魔装機械が並ぶ操縦席に座り、主な運転を行う船長キャプテンとそれを補佐する副船長が室内の最深部――船体の最前部とも言う――に陣取り、こちらを見返していた。


 ユリスらの申し出に返答をしたのは、船長である年配男性だった。困り眉が印象的な女性――座っている位置によると、彼女が副船長である――が当惑した様子で船長と、ユリスらを交互に見ていた。

いかつい体躯を制服に包み、撫でつけられた品の良い白髪が印象的な船長は、副船長の視線には応えず、まっすぐ少年らを見定めて言った。バリトンと言っていい、聞きほれるような低音の声だった。


「あなたは先程、ご自身の事を光の魔法を習得している魔術師とおっしゃいましたね。それは本当ですか?」

「本当です。信じていただくには――実物を見ていただいた方がいいでしょうね」


他の船員が息を飲む中で、ユリスは堂々と、運転席の最深部にあるモニターに目をやった。飛行船の先頭を映すモニターの画面には夥しい数の闇の民が群がっていて、もはやその液晶はモニターとしての役割を果たしていない。


ユリスの目に星粒が瞬く。


マリアは息を飲んだ。おそらく少年は、モニターが船のどの部分を映すのか、この夥しい数の闇の民を薙ぎ払うには、どの程度の威力の魔術が必要なのかを“視て”いるのだろう。理解の無い誰かがユリスの邪魔をしないように、マリアは思わず身構える。

唐突に表れた謎の少年を胡乱な目で品定めする者、命が助かるのなら藁にでも縋りたいという本音がありありと顔に出ている者、多様な視線がユリスを追う。

船員クルーは表立って態度にこそ表さなかったものの、突然協力を申し出たユリスを歓迎してはいない様子だった。もっとも、そんな事を言っていられるだけの余裕は、その場に居る誰もが持ち合わせていないのだけれども。


 ユリスはモニターをじっと見つめたまま、指揮者のように空中で右手を動かした。少年の指先を追うようにして、光の筋が空中に紋様を描く。その場の誰もが、その紋様を読み解こうとしたその刹那、絹を裂くような女の悲鳴と聞き紛う断末魔の叫びが、船内のあちらこちらで響き渡ったのだ。あまりに多い呻き声の中には、マリアにも聞き取れる共通語で呪いの言葉をつぶやいているものもあって、少女は心底震えあがる思いを必死に押し隠した。


「し、信じられない、モニターに群がっていたはずの闇の民が――いえ、それだけではありません、船内全体の結界にへばりつくようにしていた闇の民達の姿が、一体残らず消えました! 光の魔術による致命傷が原因で、その姿を保てなくなったと思われます!」


 副船長が慌てて操縦席に戻り、空中に浮くキーボードを素早く叩いた。すると、前を映していたモニターの画面は分割され、さまざまな角度から船の様子や外界を映し出す。先ほどまで視界を埋め尽くさんばかりに蠢いていた闇の民の姿は、確かに一体も見当たらなかった。


「魔術の対象はモニター越しにしか見えないはずだ。肉眼で見えていてもこの数を標的に魔法を当てるのは骨が折れるはずなのに……!」


「あいつ、あんなに強力な魔術を使うのに演唱しなかったぞ、どういうことだ、熟練度の高い魔術しか無演唱で発動出来ないはずだ」


「あの規模の魔術を、マスターしていると言う事……? あの、子供が……?」


 室内に走るどよめきが、ユリスが行った事の稀有さを象徴している。どっしりと構えていた船長ですら、モニターの前で唖然としていた。

船内のささやき声が一つ一つ消えてゆき、痛いほどの静寂が垂れこめる。ユリスは口を開いた。


「一時的に闇の民を殲滅させたにすぎません。奴らはすぐにまた、やって来るでしょう。

 俺――失礼、私は“光の民”ではありません。“光の民”であれば、“闇の民”を完全に消滅できた。そういう肉体(器)の民族です。俺ができるのは、闇の民の器を壊して、奴らの魂を混沌に還す事だけ。消滅していない闇の魂は、混沌で再び器を見つけ、地上に降りてきます。つまり、私には、奴らを完全に消し去ることは、出来ません。それでも、どこかの空港に上陸して避難するための時間稼ぎにはなる」


「十分すぎる実力です。あなたは一体……!?」


 歓喜の声が挙がる訳でもなく、救世主の登場に喜びの声が挙がる訳でもなく。ただただ巨大な力を前に恐れおののく船員の姿を見て、ユリス少しだけ悲しそうな顔をした。その表情に気が付いたのだろう、船長ははっとして、


「失礼をお許しください。我々は魔装機械と共に生きる混血です。これほどまでに強大な魔術を見る機会など、めったにないのです」


 と言い、姿勢を正した。ユリスはつと下を向いて息を吐き、再び船長に向き合い、言った。瞳の色は瑠璃色に戻っていた。


「教えてくれませんか? この船に何が起きているのかを」



 船長は以下のように状況を説明した。

 飛行船の結界に不具合は無い。同乗者が推測した通り、襲いかかってくる闇の民の数が多すぎるため、この船の魔装機械では処理しきれないと言う。


そもそも、この飛行船の定員は三十名程度。小型だが小回りの利く客船であり、戦闘に向いている訳では無いとの事だった。ある程度の防衛設備の整っている公営の飛行船は軒並み運休である。しかし、どうしても大陸間を移動したいと要望する者や、冒険者は後を絶たない。国の意向に反する形で――平たく言えば、違法で――運営している業者も少なくないという。


(どうりで、いつもよりチケットが高いと思ったんだ)


 心の中で毒づきながら、ユリスはそれを表面に出さないよう気を付けながら船長に問うた。


「結界を生成しているマシンを見せてくれませんか」

「もちろん、構いません」


 ユリスの魔術を見た後に、彼をうさんくさい目で見る船員は居なかった。皆遠巻きながらも、ある種の期待を押し隠しているように見える。「もしかしたら助かるかも知れないぞ」と。


 マリアは誰にも気取られぬよう息を吐いた。警戒するあまり、体の至る箇所に力が入っていたのだ。何気なさを装いつつ固くなった体をほぐしていると、振り返ったユリスと目が合った。

まさか見られるとは思っていなかった少女は、あわてて小さく縮こまる。己の仕草が、力自慢をしている動物のように感じられたからだ。

ユリスはふいと目を反らしたマリアを不思議そうに見て、思わず噴き出したようだった。先ほどよりもはるかに穏やかになったその表情を誰にも気取られないよう気を付けながら、少年は魔装機械に向き合った。


「よかった、この型だったら魔術師による魔力の介入を拒まない」


 ガラスドームに覆われ、チカリチカリと電子回路が発光する巨大な水晶型の魔装機械を見て、ユリスは安堵した。


「どういう事? 何をしようとしているの?」


 マリアが眉を潜めて尋ねる。


「この魔装機械に魔力を注入すれば、結界の威力を手動で上げることができるんだ。もしこれが、外部からの介入を受け付けない機種で、結界が今の威力のままだったら、俺たちは船を揺さぶられながら闇の民を討伐しなくちゃならなかった。不幸中の幸いとでも言うかな」


ユリスの言葉を聞いた船長の顔色がさっと青ざめた。


「手動で結界の威力を上げるだと!? 無茶です! いくら魔力の総量の多い白の民とて、そんな無茶な事をしたら失神してしまいます! 確かに、貴方の実力は本物です。しかし――しかし、人には限度というものがあるはず。貴方も無事ではすみますまい」


 それは、先ほどまでの物腰の柔らかさからは到底考えられない程の声量だった。ユリスは困った顔をして、返答する。


「私はそういう教育を受けているのです。結界の出力を上げた後、闇の民の討伐に加わる事も可能です――と言っても、信じてはいただけないでしょう。ですから、例えば他の乗客にも協力を仰いで、闇の民を迎撃するチームを組んではいかがでしょうか。そうしたら――そんな事は起こりえないと私は主張し続けますが――私が魔力の使い過ぎで倒れてしまっても、他の乗客たちが残党を始末してくれる」


 船長はカッと目を見開いたまま、ユリスを凝視した。


「我々を見くびらないでいただきたい。冗談につきあうつもりはありませんよ」

「――貴方たちが俺の事を信じなくても構わない。突飛な事を言っている自覚はあるのでね。

 しかし、何もしなければいずれ全員、闇の民の餌になってしまいます。どうか、力を貸してくださいませんか」


 しばらく、誰も口を挟まなかった。

 すると再び、ドオンという音がして船体が揺れた。一同はひっくり返らないよう身構える。


「さっきまでいた闇の民は、ユリスの魔法で殲滅したはずなのに……」


 マリアの呟きに、船員全員の顔がさっと青ざめる。現状維持ではどうにもならない事は明白だった。


「船長、このままではいずれ船体が破損してしまいます」


 困り眉が印象的な副船長が、切羽詰まった声で言った。報告を聞いた船長は眉間に皺を寄せながら苦し気に目をつぶり、言った。


「力を貸していただくのは我々の方です。どうか――助けてください」


「……ありがとうございます」


 ユリスはふと緊張を緩ませた双眸で少しだけ笑うと、船長と今後の計画を相談し始めた。一連の流れを遠くで見ていたレーゼが、マリアに尋ねる。


「ユリスはそんなにおかしな事をしようとしているの?」

「……わからない」

「あなたたち、あの男の子がどんなに突飛な事を言っているのかわからないの?」


 苦し気に答えるマリアを珍獣でも見るような目で見ていたのは、先程声を上げた、困り眉の副船長だった。

 作戦会議に加わらず、マリアとレーゼのもとへ歩いてきた所を見るに、“救世主”の仲間をも歓迎しようとしてくれたのかも知れない。しかし、マリアは悔しさで胸がいっぱいでそれどころではなく、何も言えなかった。己の熱くなった耳たぶに意識を取られ、危うく副船長の言葉を聞き逃す所だった。


「人間が保有出来る魔力の量では、魔装機械の結界の威力を多少上げられても、この数の闇の民から船体を守るほどの効力は出せないはず。無理して魔力を放出してしまえば、術者本人も無事じゃすまないわ。船長はそれを心配されたのよ」

「でも、ユリスは出来るって言った。そういう教育を受けたとも」


 今まで黙っていたレーゼが、唐突に反論する。副船長は、困り眉をさらに困らせて誰に話しかける訳でもなく、つぶやいた。


「確かに、あの凄まじい威力の魔術なら勝機はあるのかも……――いえ、それはやはり考えにくいわ。ざっと見積もって、三十人もの人間をたった一人で闇の民から守るなんて、可能なのかしら。

 ……軍の人間で、大掛かりな魔術を扱い慣れているのなら、或いは。でも、それにしては幼すぎるわね……」

 ほとんど独白のようなそれを聞くうちに、ユリスの事が良く判らなくなってくる。自分が思っている以上に、彼の実力は高いのだろう。マリアはそう考えるうちに、少しずつ冷静になっていった。

脳裏によぎるのは、「あなたは一体」と慄かれて、悲しそうなユリスの表情だった。それはとても、才気あふれる英雄がするような顔ではなかったのだ。

 副船長はマリア達など眼中に無いかの如く、言葉を続けた。


「私は白の民の内情に詳しいわけじゃないけれど、聞いたことがある。

 白の民の故郷――『ゴッズ・ブレス』では、魔力でこの世界の秩序を書き換えようと試みた宗教団体が存在したと。その団体は人体実験を重ね、“ノア”を創りあげたと聞くわ。魔力を高めるためにはどんな犠牲もいとわないという、あの過激な人たちなら、何か特殊な魔法教育でも生み出したのかも知れない――」

「ノア?」

「おい、何をしている」

「は、申し訳ございません! ただいま参ります!」


 マリアが疑問を口にしたのと、副船長が船長に呼ばれるのが同時だった。彼女はマリア達を操縦室に招き入れると、バタバタとユリスたちの方へ走って行ってしまった。とてもではないがこれ以上、少女らの疑問に答えてくれそうには無い。

少女は疎外感を感じながら、レーゼを見た。明確な答えが得られなかったのが不服だったのだろう、彼女もまた、不満気な顔をしながら頬を膨らませていた。


「よくわからなかった」

「私もだよ、……仕方ない、私は私の仕事をしよう。レーゼちゃんは、危ないから下がっててね」

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