第12話 禁じられし知に触れし者』と『媒介者』


 ――世界が求める「普通」という規範から、自分が外れていると気がついた時、ほとんどの人たちは、好きでそうなったわけじゃないと思うんだ。

 ”気がついたら、自分は「普通」じゃなかった”というのが多くの人の感想で、望んで世間一般のレールから外れてしまったわけじゃない。

 その後、人とは違う自分を好きになって、望んで「普通」の概念を破壊しながら躍進する人々もね、みんな最初は「普通じゃないことを選べたわけじゃない」と、僕は思っている。


 即ち、志願して『世界の誤情報』バグになった人なんて居ないというわけだよ。わかるかい?


 殆どの世界の誤情報は、散々周囲に傷付けられてきた。故に、君に攻撃的な態度を取る者も、心を傷つけようとする者もいるだろう。でも、どうか忘れないでほしい。彼らが周囲に牙を剥かざるを得ない理由がある事を。


 君は、僕たちの宝であり、希望なのだから――



 それは、記憶の奥底に封じ込めたはずの声だった。埃が舞うように、ユリスの脳裏に蘇ったそれが引き金になって、濁流のように湧き上がった感情に急いで蓋をする。薬入れを取り出そうと荷物を弄ったところで、今朝方、依頼人の連れてきた猫に壊されたことを思い出した。

少年はぎりりと拳をきつく握りしめて、ゆっくりと息を吐き、リグの実を服用したい衝動性を宥めた。


 『世界の誤情報』バグの多くは、こども時代から『呪われ子』カースチャイルドと呼ばれ、忌み嫌われている。


 ヘレン・シッカートの物語の主人公である、『勇者カース』の名前の由来も恐らく、『呪われ子』カースチャイルドだろう。

何故なら彼は孤児であり、莫大な量の魔力を保持しているにもかかわらず、そのコントロール法を教育されなかった描写があるのだ。

なお、通常の家庭に生まれたなら、魔力と精神のコントロール法は義務教育で学ぶのが一般的である。


カース少年は大胆な行動を取る一方で精神的に脆弱であり、仲間が傷付けられると我を失い逆上する、苛烈な性格とも書かれている。おそらく、『柱』が勇者を選ぶ際に、負の感情から脱しにくい人材を選んだのだろう。

そうでなければ勇者はただただ世界を救うヒーローになってしまい、『柱』の真の目的である、世界を洗い流す『魔王』にはならないからだ。


 もちろん、創作の全てに現実を見出すのは野暮だろう。どこまでがヘレンの創作で、どこからが現実の要素を織り交ぜたエピソードなのか、判断することは難しい。

 しかし、ユリスはある可能性を否定しきれないでいた。


アルバート・シッカートだけでなく、ヘレンもまた、世界の誤情報バグだったのではないかという仮説を。


 アルバート、そしてユリスのバグである、『禁じられし知に触れし者』は、”自らの住む世界”の、隠された真実を知ることができる特殊能力である。おそらくヘレンは、このバグの持ち主に該当しない。


 ユリスが考えていたのは、『媒介者』という特殊能力の持ち主であった。

 『媒介者』とは、”自らの住む世界”とよく似た”別の世界”にアクセス出来るという能力である。中には、”別の世界線で生きる自分”に意識が乗り移る、『巫女』のような能力を持つ者もいる。


創造主の祝福を受けている、『アクア・パレス』の『水の巫女』と呼ばれる皇女が、もっとも有名な『媒介者』であろう。


 それほど強い力を持っていなくとも、『媒介者』の素質を持つバグは世に吐いて捨てるほどいるが、そのほとんどが精神病者と区別がつかず、社会問題となっている。

ただでさえ、『媒介者』は精神を病みやすい。何が真実で、自分が存在すべき世界がどこにあるのか、判らなくなってしまう者が多くいるからだ。


 いくつもの世界が平行して存続し、決して交わることなく各々の時が進むのがこの宇宙の理である。

しかし、その異なる世界に干渉できる『媒介者』のヘレンが、”どこかの世界”をモデルにこの児童文学を書いたとするならば――『勇者カース』の仲間として登場する『マリア』や『ダルット』なる人物の名前と、彼らが持つ力が酷似しているのにも説明がつくかもしれない。

 加えて、ダルット本人がいうとおり、彼の名前はかなり珍しい。全てヘレンが生み出したキャラクターだとは到底思えなかった。

 無論、アルバートが不都合な真実を”視て”、それを元に妻が創作をしたという可能性は捨てきれないが、そうだとすると、自ら命を絶ったのは何故かと疑問が残る。


(想像から真実は生まれないか)


 ユリスは本を閉じ、もう一度大きく肺の中を酸素で一杯にしてから、ゆっくりと空にする作業を繰り返した。


 いっそのこと、この小説がどういう経緯で書かれたのか、『禁じられた知に触れる』ことで”視”れば真相は明らかになるだろう。しかし、万が一この本に罠でも仕掛けられていて、本の存在そのものがバグを炙り出すトラップだったとしたなら、後が面倒だ、と、ユリスは本を荷物の中に突っ込んだ。

そんなトラップを全国の書店にばら撒けるほどの資本がシッカートにあるかどうかは知らないが、用心するに越したことはない。

「罠発見」の魔法をかけることすら、「本を怪しんだ」と報告されてしまうことになるかもしれない――考え出すと止まらなくなりそうだ。


(それにしても、”浄化の焔”ねぇ)


 とんと、心当たりの無い能力の名前だった。そもそも、出会った頃に”視た”記憶によれば、マリアはバグではないはずだった。隠された特殊能力があった覚えもない。

確かに、彼女の炎の魔術の威力は凄まじいものがあり、その点はユリスも買っているが――強火以外で料理出来ないという謎の欠点は改めて欲しいところである――ともかく、その炎の魔術も、特殊な術式を使っているというわけではないのだ。

勇者カースの仲間であるマリアについては、創作上の人物なのかもしれない。


 ユリスはそこで思考を止め、万年筆でノートに記録した。その刹那。

 ドンという大きな音とともに、船内が激しく揺れた。ノートが座席の下へ飛んでいってしまったが気に欠けている余裕は無く、慌てて身構えて周囲の様子を伺った。船内の誰もが動揺を隠しきれず、さざなみのように不安が伝染してゆく。

「闇の民だ!」

 客室に響き渡る悲鳴を皮切りに、その場が混乱に飲み込まれた。

 窓の外に、飛行船にしがみついた夥しい数の闇の民の姿が在ったのだ。

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