第7話 星降る夜の道標
とても、粗雑な性格のユリスが作ったとは思えないような、繊細な盛り付けの料理を目の前にして、レーゼは大きな目を溢れんばかりに見開いた。恐る恐るパスタを口に運ぶと、愛想の無い表情がぱっと輝く。
その微笑ましい光景を目の前に、料理を作った当人のユリスは少女が食べ物を飲み干す様を、微笑むわけでも、いつものように軽口を叩くわけでもなく、アイスティーを飲みながら観察していた。
一人だけいつまでも食事に手をつけないユリスの様子を不審に思ったマリアは、少年の顔を見て、喉元まで出かかった「どうしたの?」という一言を慌てて飲み込むことになる。
ユリスの目つきは、食欲が無いにしては――あるいは、レーゼに見惚れているには不釣り合いな程、鋭かったからだ。
しかし、白髪の少女が一口、二口と食事を楽しみだした途端、ユリスの瑠璃色の双眼からは警戒の色が抜け――マリアの視線に気がついていたのだろう――こちらをチラリとみた後
「悪いけどサラダとってくんない? やっと腹減ってきたわ」
と、笑った。その笑顔はマリアにはとって、本心を押し隠した仮面に見えた。
思い思いに食事をとっていると、自然と今後の方針について話が及ぶ。
「行き先は占いで決めようと思う」
白身魚のソテーをナイフで切り分けながら、ユリスは言った。
呆然としているレーゼを尻目に、ひょいと魚を口へ運び、
「勘違いするなよ、俺をそこらのインチキ占い師と一緒にするな。『禁じられた知』の力を借りて、どこに行けばいいのか“視る”んだ。驚くなよ、当たるって評判なんだから」
と、言ってのけた。
少女はしばらく何かを考え込んでいたが、今朝方、ユリスに自分の名前を言い当てられたことを思い出したのだろう、
「私はユリスに従う」
と言ったきり何も言わず、黙々と残りの料理を平げた。
マリアとダルットも、使うことのなかったレーゼを説得する言葉たちと一緒に、食事を飲み干した。チームクラウンズの中では、ユリスの占術は信頼されているのだ。
一同が食事を終え、浮遊魔法が使用済みの食器を下げた後、ダルットが用意したアイスフレーバーティーを飲みながら、ユリスは壁にかけてあった、大きな乳白色の板をテーブルに設置した。
仕事場から持ってきた大量の荷物の中にある、使い古された世界地図をばさりと板の上にひいて、これまた古びて黒ずんだ色の小箱を脇に抱えたユリスは、サイドテーブルにフレーバーティーを避難させてから、ギィと音をたてて椅子に座った。
小箱を板のそばに置き、その表面を何度か、紋を描くかのようにスルスルとなでると、カチリと錠の外れる小さな音がして、小箱に隠されたからくりが作動した。
なんの変哲もない小箱に見えるそれは、小さな立方体が組み合わさって出来た物で、その表面に魔力を込めて紋を描くことで持ち主を認識し、右へ左へ生き物のように、分解された立方体となった小箱のパーツが移動すると、鳥が羽ばたく姿に変形する。そうして初めて、箱の中身が取り出せるという仕掛けになっている。
箱の中から出てきたのは、手の平にころりと乗る大きさの宝石が十種類であった。あるものは煌びやかにカットされ、あるものは艶やかに磨き上げられているそれらの石は、紛うこと無き本物である。
その貨幣価値がどの程度のものなのか、マリアには到底想像も出来なかった。そもそもマリア達は、それらの宝石について”大掛かりな占術を扱う際に使う道具”としか説明を受けたことがない。
ダルットは占いにも他人の財布にも興味が無いため――彼は自己研鑽しか頭に無いのだ――「そうか」と言ったきりだったし、マリアも占術の世界は魔術の世界よりも縁がなく、近寄り難いアイテムとしか認識出来なかった。
しかし、かつてチームクラウンズのメンバーだった素行不良の便利屋が、小箱の中にある宝石を盗もうと、ユリスの部屋に忍び込んだ事件があった。
小箱が保管されている金庫には厳重な結界が貼ってあったらしく、犯人は指一本触れられないうちに店主に発見されたと白状したそうだ。未遂とはいえ、雇い主の金庫に手を振れようとする従業員を放っておくほど少年は寛大ではない。当然の如く、件の従業員は解雇された。
(好奇心は猫をも殺す……)
マリアは心中で独りごちた。
ユリスは淡々と小箱から宝石を取り出して、世界地図に描かれたそれぞれの大陸の上においてゆく。
チームクラウンズが拠点としている大陸『ウィルダネス』は、混沌――即ち、闇の民を退ける”閃光の力”を持つ、光の民の王が住まう大地である。
地図上には、”サン・ストーン”の宝石が配置された。
マリアとダルット、そしてアルバート・シッカートの故郷である『レッド・グラウンド』は元々、”浄化の炎”を祀る神楽が起源の地だ。
”浄化の炎”は大いなる魔力を持った”至上の者”の驕りを焼き払うと言われているが、古の伝承なので詳細はよくわかっていない。
赤の大地の地図上には、”ルビー”が置かれた。
同様に、地図中のあらゆる大陸に次々と石が配置されてゆく。しかし、その土地と宝石の関連性を覚えるのは、マリアにとっては難しかった。何せ、書物でしか目にした事のない土地の歴史を学ぶ機会など、彼女には殆どなかったのだから。少女に与えられたのは、生きる糧を得るために雑技団で披露する歌と踊りを覚えること、そして身を守るための体術と、
よって、下記の大陸の名前と宝石の種類は、いつだかユリスが言った知識を丸暗記しただけの情報である。
ユリスの故郷と思わしき、白の民の住まう、氷と雪に閉ざされた魔術帝国は『ゴッズ・ブレス』と言う。
宝石は”ホワイトトパーズ”が置かれた。
どんな場所なの? と、いつだかユリスに問うたけれど、”禁じられた知を統べる場所”としか答えてくれなかった。
豊穣の大地『アース・グラウンド』には”シトリン”と言う宝石が置かれた。
先程買い出しに行って購入した、桃ジャムの産地である。
肥沃な大地と恵まれた気候のおかげで農作物が豊富であり、地方で採れる甘味の強い桃を使ったシナモン入りのジャムは、他国でも人気が高い逸品だ。
チームクラウンズのキッチンにも欠かさず置いてある。極度の甘党であるダルットの好物なのだ。
『ウィルダネス』大陸に近い大陸や、生活上縁のある国については情報が手に入りやすいのでまだ判別がついた。しかし、それ以外は少女にとってはあまりにも遠過ぎる場所で、ざっくりとした説明でしか思い出せなかった事を、ここに記述しておきたい。即ち、下記の地理に関しては読み飛ばしてしまって構わないと、マリア当人も言うだろう。
機械文明の発達している『マザー・グラウンド』は、”魔術師”と”魔壮戦士”が対等に渡り合う、実力主義社会だという。
「いつかこの地で生き残れるくらいの実力をつけたい」と、ダルットは言う。
この地には”ダイヤモンド”が置かれた。
世界一の航海術で海上を牛耳る、海洋民族、青の民の集落『ウォーター・アイランド』には、”サファイア”。
その海底で独自の貴族文化を築き上げる、水の民の巨大要塞『アクア・パレス』には”アメジスト”。
古代遺跡と砂漠で有名な『サンド・デザート』には砂の民が住まう。砂金水晶――”アベンチュリン”がぴったりだ。
背中に羽が生え、旅をこよなく愛す有翼人、空の民の集落『スカイパレス』には”ターコイズ”。
吟遊詩人として、この星『マザー・アース』の歴史を唄う、トレントと呼ばれる緑の民が営む『グリーンフォレスト』には、”エメラルド”。
全ての宝石を定位置に配置し終えると、ユリスは天井に目をやって、ふーっと肺の中の酸素を吐き切った。
不思議とあたりはシンと静まって、十の宝石が、ユリスの発する次の言葉を待っているようだった。
静かに瞼を閉じて正面を向き、ユリスは、マリアやダルットの知らない言語で朗々と呪文を唱えだした。歌のように部屋を谺する未知の言葉が、事務所内に星空を召喚した。それは決して比喩表現ではなく、事務所内の照明がふっと光を失ったかと思うと、薄暗い室内に、ユリスの呪文に合わせて金色に輝く光の粒が浮かび上がってきたのだ。
ユリスがゆっくりと目を開くと、瑠璃色の両目もまた星空となって、万華鏡のように乱反射していた。
目前に広がる幻想的な光景に圧倒されていた刹那、突如として聞こえた共通語の呪文に、マリアは凍りついた。
「親愛なる神の息吹を創りし主、我が名はノア。ユリウス・ゾンネの意思を継ぎし者。願わくば、我らの進むべき道を導きたまえ」
全身を雷で打たれたような衝撃に襲われた。今まで一度も、ユリスが占術に用いる言語を理解出来たことはなかったからだ。それなのに突然、意味を伴う一文が耳に飛び込んできたのだから、マリアは仰天してダルットを見た。
「今の、聞こえた!?」
弟は怪訝な顔をして「何が?」と答える。気のせいだろうか? と、己が聞いたものに自信が持てず、マリアが狼狽えていると、ユリスの言葉に呼応して、浮遊していた金色の光の粒が次々と降ってきた。それらは流れ星のように眩い軌跡を描いて、次々と、世界地図の上に配置された宝石の上に落ちてゆく。
頬を掠めた光の矢に驚いて、マリアは思わず目を瞑って身をすくめた。
ダルットも眩しそうに目を細めて身構えている中で、レーゼだけは、大きな瞳をさらに見開いて、星降る夜を両目に焼き付けるが如く、その光景を見入っていた。
一際大きな金色の光が地図の上に落ちると、十個の宝石らが数秒の間、カタカタと音をたてて震え、変わるがわる発光しては消え、と、まるで蛍のように瞬いていた。
やがて一つ、一つと宝石に宿った光が消える――たった一つの石を除いて――。
「ルビーか。……まあ、そんな気はしたな」
その一言が引き金となって、室内に充満していた魔力が引き潮のように消えてゆくのが感じられた。そらに浮かんでいた光の粒など跡形もなく掻き消えて、いつの間にやら室内灯もついている。
マリアとダルットが恐る恐る目を開き、卓上の世界地図を確認すると、二人の故郷である『レッド・グラウンド』の上に置かれたルビーのみが、ぼんやりと発光していた。
ユリスは何事か考え込みながら、その紅を見つめている。すぐそばで息を呑む気配がすると、
「ユリス――俺は――」
青年の掠れた低い声が、弱々しく室内に放り投げられる。
「判ってる、アンタは待機だ。留守を頼む」
ダルットは白蠟と見紛うほど白い顔で、ルビーを見つめていた。緋色の切長の目が、揺れている。
――いつからだろう、弟が故郷を極端に恐れるようになったのは――
マリアの胸はじくりと痛む。
確かに、私達は郷里に受け入れられた存在ではなかったけれど、少なくともダルットは、母親に愛されていたはずだった。それに彼は、幼い頃からその容姿に惹きつけられた異性に、取り囲まれていたように思う。恋人だっていただろう、と、マリアは思った。
自分が雑技団に売り渡されて、離れ離れになっていた期間に何かがあったには違いないが、弟は決して口を割ろうとはしないのだ。もちろんマリアとて、尋常じゃない様子の彼を、根掘り葉掘り質問攻めにしようとは思わないけれど。
「ちょうどいい、ボランティア先の下見も兼ねて、小旅行だ。行くだろ? マリア」
「うん……今準備する」
マリアは弟の様子に後ろ髪をひかれながらも、冒険の準備に取り掛かった。
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