第6話 『創造主の祝福』
***
じゅう、と白身魚がフライパンで焼ける音を聞いて、サラダを準備していたマリアのお腹がぐう、と鳴った。
「やめろ、集中力が途切れる」
と、笑いながら言うユリスは、キッチンを前にして椅子に座り込み、言葉とは裏腹に微動だにせずフライパンを凝視していた。
全て、ユリスが手を触れずに、魔法の力のみで調理しているのだ。
普段、よほど大きな仕事を前にしか行わない、彼なりの魔力トレーニングを目の当たりにして、マリアは己の腹の虫を激しく呪った。
穴があったら入りたかった。
上着のフードを目深に被ろうとしたけれど、再び手洗いをしてから食事の準備に取り掛からねばならないのは手間だ、と、なんとか欲求を食い止める。
ヘレンの小説の内容を一刻も早く把握して欲しかったのだろう、食事当番の交代を申し出たダルットを柔らかく説得して、ユリスは、彼なりの料理をしている。
普段は道具を使って料理をするのだが、シッカートと言葉を交わして何か思うことがあったのだろうか、己の実力を確かめるように、道具を使う動作を全て魔術で補っていた。
並大抵の魔術師では、コンロに安定的な威力で火をつけ続けることも難しいと言うのに、ユリスは風の魔法を包丁がわりに食材を切り分けて、塩胡椒のビンを戸棚から浮き上がらせ、魚に下味をつけた。さらに、浮遊魔法を応用して小麦粉の袋を開封し、バッドの上に乗せた魚の切り身に適量をまぶして衣にした後、同様に浮遊魔法を操り、フライパンに油をひいて火で熱し、衣がカリッとするように焼き加減を調節している。
「相変わらずすごいね」
「……」
ユリスはマリアの言葉には反応せず、料理を続けている。
話しかけた程度で、彼の集中力が途切れることはないと、マリアにはわかっていた。勿論、腹の虫が鳴ったとて、ユリスはそんなもの気にもかけないだろう。ただ、からかっているだけなのだ。
彼の魔力の総量は尋常ではない。それは、魔法に詳しくないマリアにもわかる程だった。
「こんなに自由に魔法が使えたなら、私だったら調子に乗っちゃう。でも、ユリスは冷静だね」
ユリスは少しだけ目を伏せ、すぐにまた調理器具達に向き合った。
「……どんなに魔法が得意でも、正しく力が使えなければそれは凶器にしかならない」
先程とは打って変わった感情を排した平坦な声に、マリアは一瞬言葉を失った。
「ほら、手が止まってる。前菜の準備を忘れんな」
「え、ああ……ごめん」
木のボウルに先程買ってきたサラダリーフを盛り付けながら、マリアはドレッシングを作るためににんじんをすりおろした。もちろん、彼女の場合は全て手作業で行っている。
チームクラウンズでは、誰が不在でも最低限の食事が用意できるよう、当番制で食事を作っている。
気が滅入っている時のユリスは人に食事は作るものの、自身はショートブレッドをかじって食事を終えてしまうし、ダルットは気をつけておかないと、食事よりもデザートに力を入れてしまう。
そんなアンバランスな二人を補佐しているのが自分……と言いたいマリアだったが、彼女だけはいつまでたっても、サラダの用意しか任されない。火加減が壊滅的に下手なのだ。
己の料理スキルに思いを馳せ、悲しくなりながら横目で盗み見るユリスの様子は、なんだか楽しそうだった。
先程の平坦な声が、何かの聞き間違いだったのではないかと勘違いしそうな程に。
少年はついと立ち上がり、手で魚の火の入り具合を確認したかと思うと、再び椅子に腰掛ける。再度、浮遊魔法を駆使して茹で上がったパスタをザルに空け、空瓶の中に数種類の食用ハーブとナッツなどの材料を入れる。攻撃魔法を瓶の中だけに発動すると、材料が攪拌され、瓶は簡易的なミキサーと化した。出来上がったソースに調味料を加えて味を整え、パスタとあえて出来上がり。
ユリスの視線が食器棚に向かうと、自動的に扉が空いて、人数分の皿がふわふわと浮き出てきた。完成した料理が空中で舞いながら、皿に盛り付けられる。そのままダイニングに食事が配膳されるのを見届けてから、ユリスはふーと息を吐き、上を向いて目を閉じた。トレーニング終了の合図だった。
マリアは慌ててサラダをテーブルの上に置いて、ダルットとレーゼに声をかけた。
このような非凡な光景を見た後だと、到底信じられない事なのだけれども。
普段のユリスは、日常の雑事を魔法で行うことを極端に嫌がる。
せっかく魔力の才に恵まれているのだから、一般的な白の民がそうするように、家事をしてくれる精霊を召喚して任せるだとか、マリアやダルットのように、魔力を通電させることで動く調理器具でも使えば良い物を。魔力とは無関係な家電商品を使って家事をして、魔法から離れる時間を意図的に作っているのだそうだ。
人数分のカトラリーを配置し忘れたのだろう、収納ケースごとナイフとフォークを持ってきたユリスに、マリアはふと疑問を口にした。
「そういえば、シッカートさんも『禁じられた知』に触れられる程の実力者なのに、わざわざ護衛に人を雇っていたね。こう、自分自身に強力なバリアとか貼っちゃえば手取り早いんじゃないの?」
完成した人参ドレッシングを器に注ぎながら、ユリスの答えを待っていると、少年はどこから説明したものかなぁと言いたげに遠い目をした。
なんだか、無知な自分が申し訳なくなったけれども、今まで身近に魔術師が居る環境で育っていないのだから、わからないものはわからないのだ。
「
例え、国家機密にアクセスできるようなやばい力を持っていたとしても、その力を発動するための魔力を保持しているのは稀なんだ。
例外なのは、アームクラフを建国した『閃光の王』とか、水の国……アクアパレスの王子『星の賢者』とかかな。
まあ、特殊能力があって、それを自由に扱える魔力のタンクを体内に持っている人間はとっくに、周りが放っておかない。
『創造主に祝福されし者』って奴だ。
能力を活かして国を治めているか、危険因子として白の民の研究機関に隔離されてるって」
「『閃光の王』……」
マリアは呟きながら、ダルットの自室がある方向に目をやった。彼はまだ、『WORLDS』と格闘していてダイニングには来ていない。
ユリスはマリアの顔色が変わったのを目視しつつも、話を続けた。
「『創造主に祝福されし者』は、禁じられた知に触れようが、お咎めなしなんだ。
例えば、『星の賢者』は未来予知と癒しの魔術で有名な皇族。
未来予知だったら俺だってできるのに、『創造主の祝福』を受けていない俺は、猫の便利屋だぜ?
――『祝福』の無い”バグ”は大抵、致命的な欠陥を抱えているもんでね。シッカートのおっさんがどういった事情で『禁じられた知』に触れたのかは判らないけれど……大抵の場合は、特殊能力を使うと代償に己を蝕まれ、気が狂ってゆくもんさ。
異変に気がついた役人が”バグ”の誤作動を見つけたら、『回収』してめでたしめでたし。
こうして世界の秩序は保たれているってわけだ」
――それじゃあ、いつの日かユリスも『回収』されてしまうの?
全身を衝撃が貫いて、視界が滲みそうになる。
マリアは雑念を頭から振り払うように、フードを目深に被った。
ユリスがリグに依存してしまうのも、時々何かにひどくうなされながら眠っているのも、酒場で突然ハメを外してしまうのも、『回収』への恐怖が原因なのだろうか。
フードを被ったきり俯いてしまったマリアを見て、ユリスは顔色を変えた。顔を上げて欲しいのか、少女の頬のあたりに手を出したり引っ込めたりしながらあわあわしつつ、最終的には少女に手を触れないで、言葉を続けた。
「悪かった。俺はいつもしゃべりすぎるな。アンタの弟は大丈夫だ。きちんと力を使いこなしている。誤作動さえ起こさなきゃ、きちんと生きていける。心配しなくて良い」
「――ダルットの事は心配してないよ。愛想が無いせいで誤解されやすいけど、なんだかんだで良い子だから」
震える声ながらも笑顔で返答したマリアの表情を見て、ユリスは目元を和らげる。そして、いくら呼んでもダイニングルームにやって来ない後の二人を呼びに行った。
「私は、君が心配なんだよ――」
思わず零れ落ちた本心は、誰にも拾われる事なくキッチンの床を転がって、消えていった。
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