4話

 昨日は物理教室で意識が飛んだ訳であるのだが、その後の授業もほぼ意識が無いような状態だった。

 そして気づけば終わりのSHRになっていた。


 明日の学年集会がどうだとか、今週末の提出課題がどうだとか。

 そんな担任の事務的連絡が、俺の左耳を「340.29m/s」で侵入・通過後、右耳から出ていく。


 するとこちらも、気がつけば終わりの挨拶。物理の授業から脳内に意識が不在で一日が終わりを告げた。窓の方を見ると雨が降っていた。


 ——そしたら帰りますか。


 終礼が終わると俺は真っ先に中央階段を駆け下りる。そして玄関へ最短コースで向かい、靴を履き替え、外へ出て傘を開くと……


「あ、遠野くんだ~~」


 後ろから聞き覚えのある声の女子に名前を呼ばれ、思わず振り返ると、細川さんがニコッとして立っていた。

「あ、ども」

 と軽く会釈をして返すと、


「今日は雨だね〜~」

「ですね」

「って、あ……」

「どうかしたんですか?」

「やらかしちゃったぁ!!」


 どうやら落ち着かない様子だったので、あたふたしている細川さんをしばらく眺めていると……


 あ、もしかして傘忘れたのかな——?

 細川さんをよく見ると、傘が手にない。いや、鞄に折り畳み傘が入っているのかもしれない…… ひとまず聞いてみるか。


「細川さん。傘忘れたんですか?」

「え、いや…… べ、べつにぃ~~?」


 これ絶対に傘忘れてるやつだ——


「誤魔化さなくて大丈夫ですよ」

「はい…… 忘れました……」


 やはり俺の勘は当たっていたようだ。

 だが外を見ると、それなりの強さで雨が降っている。とても走って帰れば何とかなるものではない。


 だが、細川さんには仲のいい友達がいるだろうし、その人たちの傘に入れてもらえれば大丈夫だろうと考えていた。そのとき……

 あろう事か、細川さんから思いもよらぬ言葉が飛んできた——


「遠野くん…… あの、そ、その……」

「……?」

「傘に入れてくださいぃぃ!!」


 え———— えぇ??


 なんと傘に入れて欲しいとのことだった。

 あまりにも衝撃的な一言に、俺は硬直してしまった。


 そんな俺を見て、ようやく自分の言っていることの意味が分かったのか、細川さんは顔を赤らめて慌てていた。


「ご、ごめんなさい! 迷惑かけちゃうよね!私は1人で走って帰るから大丈夫だよ!」


 だがしかし、自分だけ傘に入って美少女に雨の中を走らせるというのは、あまりにも心が痛む……

 そして気づけば、


「あ、俺は大丈夫ですよ…… 細川さんが良ければ俺の傘に入りますか……?」


 と、俺は細川さんを自分の傘に誘っていた。よく考えると、とんでもないことをしてしまったと思う——

 流石にこれはやらかした。初めに入りたいと言ってきたのは相手とは言えど、あの時の細川さんはあくまでも事の意味に気づいていなかった。しかし、既に気づいてしまっている今、この対応はミスった。細川さんに嫌われたかもしれない…… と焦っていると——


「いいの?! ありがとう!!」


 と、意外な返事が帰ってきた。そして何やら上機嫌な様子でこちらに寄ってきて、

「えへっ」

と言って俺の隣に並んできた。


 当然、今朝にこんな状況になることなど予想だにもしなかったので、当たり前ながら俺の傘は1人用のサイズのものだ。

 1人用の傘に2人で入ると、これまた当然ながら、かなり狭い。肩を寄せ合わないと必ずどちらかが濡れることになる。


 そんなことを考えていると、俺の頭の中にラブノベのとあるシーンが思い起こされた。

 ——主人公とヒロインが相合傘をするシーン。

ラブノベに留まらずアニメやドラマでも定番のものだが、そういった時の主人公の行動といえば……

 ほとんどの主人公はヒロインの方へ傘を傾けていた。

 と、なると——

 俺も細川さん側へ傘を傾けるべきなのか??


 これは1人の男として大切なことだ。女性を雨に濡らす訳にはいかない……


 そう自分に言い聞かせ、恐る恐る傘を傾けていく。だんだんと手が震えてきた……

 すると——


「遠野くん? 気つかわなくて大丈夫だよ?」

 と言って、傘を持っている俺の手に、上からそっと手を重ねてきた。

 細川さんの体温がようようと手の甲に伝わってくる。

 心臓がばっくばっくと高鳴っている!


 ————もう無理だ。


 プシューっと頭から蒸気が抜けていった。


 ちなみにその後の記憶はほとんどない。

 (本日2回目の記憶喪失) 

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