いつものお前が。(3)
「りんごね」
スペシャリテを一口食べて、デルフィーヌがそう呟いた。
時刻は昼すぎ。またしても、エミールとデルフィーヌが食堂に訪れたので、イアサントが対応することにした。友人だし……、礼も言いたいし。
「うす。ご助言、ありがとうございました」
「不要よ」
まだ慣れないところもあるが、イアサントもデルフィーヌとの会話が少しだけわかってきた。
(自分達がうまくいった礼として「りんごがいいと思うわ」の助言をくれた。だから、礼に対する礼は不要だ……、ってところかね。)
よくもまあ、根気強くこの女性と一緒にいられるものだな、と内心でエミールに感嘆する。愛ゆえ、なのだろうが。
……愛と言えば、だ。
「そういやよ。今朝、シェフ・イジドールが告白なんてされてやがったんだよ。信じられるかい。総料理長ともあろう人間が、色恋にうつつを抜かしやがって」
朝から時間が経って、だんだん腹が立ってきたのだ。
なぜ告白なんてされているんだ、あの男は……と。
しかも、告白されたというのに、なんでもない顔でいつも通りに働いているのだ。
「告白された側に言うのは理不尽じゃない?」
呆れ顔のエミールが、ローストポークにりんごのソースをたっぷりと絡める。
「あのさ、イアサント。たまには素直にならないと、誰かにシェフ・イジドールを取られちゃうよ?」
「と、取られるって、そもそもアイツはアタシのもんじゃねえし」
「そ。じゃ、想像してみて? シェフ・イジドールの結婚式に、ただの同僚として呼ばれる自分をさ。幸せそうなお嫁さんとシェフ・イジドール。それを作り笑顔でお祝いする哀れなイアサント……」
「……馬鹿野郎、なんでそんなこと想像しなきゃいけねえんだ。なにが哀れなイアサントだ、さっさと食って授業行けアホ」
「ひどいなぁ、親切心で言ってるのに」
ぜったい面白がってる、とイアサントは直感した。
なにか言い返してやろうと思ったが、デルフィーヌが先に口を開いた。
「大丈夫よ、エミール」
「デルフィーヌ様がそう言うなら、はい」
文句をぶつける先を見失って、イアサントはぶすっとした顔でテーブルに頬杖をついた。
それから当たり障りのない会話をして、ふたりが食べ終わって食堂を去ってからも、イアサントは空の皿を下げずにテーブルに座っていた。
イアサントはそのまま少し考えて……。
いや、たっぷり十分ほど、なにかを想像して、頭を抱えた。
ややあって、厨房に戻ったイアサントに、イジドールが笑いかけてきた。
「おう、戻ったか。そういや、明日も休みがかぶってるな。どうだい、そろそろ俺とデートに行ってくれる気になったかい?」
「……いいぞ。行ってやる」
「わかってる、悪かったよ。おまえはいつも――なに?」
「い、行くって言ったんだ! デートに! 二度も言わすな!」
イジドールがぽかんと口を開けた。
厨房中のシェフとスタッフも動揺して、誰かが皿を落として割った。
●
「シェフ・イアサント。あなた、服持ってますか?」
混乱と困惑の夜営業を終えてすぐ、女性スタッフがイアサントの腕を引っ張って物陰に連れ込み、そんな質問をした。
先日、イジドールを誘っていたスタッフだ。
「な、なんだよ。服? ……いまも着てるじゃねえか」
「コックコートじゃなくて、デート服! 靴も! ……あと下着も!」
「で、でえとふく? くつ? したぎぃ? 普段着じゃダメなのか?」
「……いちおう聞いてあげますけど、どんな服ですか」
「シャツと半ズボンとサンダル」
呆れた、と言わんばかりにスタッフが大きな溜息を吐いた。
「いいですか、デートは明日ですよ? 明日なんですよ!? さっき聞いてましたけど、トネリコの街の噴水広場に、十時の待ち合わせなんでしょう!?」
「うん」
「なんでそんなに屈託なくうんとか言えるかな……。シェフ・イアサントは職員寮住まいでしたよね? 似合いそうな服、見繕って持っていくんで、持ってる服と靴ぜんぶ出しといてください。ああ、サイズはどうかしら。ほかの子にも頼んで借りないと……」
どうやら、デートのための準備をやってくれるつもりらしい。
イアサントは目を丸くした。
「……アタシ、怖がられてるもんだと思ってた。嫌われてるんだと」
スタッフは嫌そうに眉をひそめながら、イアサントの身長を自分と比べたり、腰回りを手で触ったりし始める。サイズを確認しているようだ。
「そりゃ怖いですよ。平民出身のくせにどんどん上に噛みついて、実力付けてのし上がって、いまや総料理長の右腕ですもの。キッチンとホールで差はありますけど、私より年下のくせにー、って嫉妬しちゃいます。もちろん嫌いです」
(も、もちろん嫌い、かあ。)
面と向かって言われると、さすがに少し凹む。
「嫌いなのに、手伝ってくれるのか?」
「あのね、どんな子供嫌いでも、道端で一人で泣いてる赤ちゃんを見捨てたりはしないでしょう? シェフ・イアサントはそれです。恋愛赤ちゃんなんです」
「恋愛赤ちゃん」
オウム返しに言う。すごい評価のされ方だ。
「ええと、つまり、アタシのことは嫌いだけど、その、恋愛赤ちゃん過ぎて見ていられないから、手を貸してくれる……、ってことか?」
「そういうことです。明日の十時までには、せめてよちよち歩きできるくらいにしてあげるのが、女の情けってやつですから。……靴も見せてください」
よくわからないが、そういうものらしい。
スタッフはしゃがんで、イアサントの足のサイズを確認した。
「そこから先は知りません。うまくいかなかったら、ざまーみろです」
そこから先は知らない、ということは。
少なくとも、そこまでは面倒を見てくれる、ということだ。
イアサントは目を白黒させながら、素直に頭を下げた。
「えーと……。ありが、とう? で、いいんだよな?」
「ふんだ。ほら、時間ないんだからさっさと行きますよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます