非常識ですよ、生徒ケヴィン(1)
「非常識ですよ、生徒ケヴィン」
「ごめんなさい、ジョゼ先生」
そんなやりとりが、放課後の廊下に木霊した。
廊下の窓から
ひとりは眉をひそめた妙齢の女性教師。アンダーリムの眼鏡をかけ、髪をシニヨンにまとめて、仕立ての良い黒いブラウスとスカートを身に纏っている。
教師、ジョゼ・ジャックノミー。
もうひとりは、へらり、とした笑顔が特徴的な男子生徒。着崩した制服には当て布による補修が施されており、一目で見た目に気を配るほどの金銭のない身分だと……つまり平民だとわかる。
特待生、ケヴィン・カランブー。
ジョゼは嘆息して足を止め、教室の扉を開けた。中には誰もいない。唯一、教卓の上で昼寝をする黒猫がいるだけだ。
「個別指導の希望は、事前に申請をするのが規則です。気をつけなさい」
「急にわからないところが出てきたんで、つい。疑問点があったら質問しなさいって、先生いつも言ってるじゃないですか」
「だからといって、いきなり教員室に来て大声で名前を呼ぶのは非常識です。学業に熱心なのは良いことですが、シャノワール魔術学園の生徒として、礼節を持ちなさい」
ケヴィンは教壇の前の椅子に陣取り、カバンから使い込まれた教科書や古びた羽ペンを取り出しながら、唇を尖らせる。
「平民が礼節なんか持っても、使いどころがないですよ」
「研究者になれば、貴族との付き合いも増えます。成果によっては、爵位を賜ることもあるでしょう。気を遣って悪いことはありませんとも」
ジョゼは教卓の上で昼寝をしていた黒猫――学長を抱えて、別の机に移した。学長は不満そうに、にゃあおん、と鳴いたが、移された先が日当たりの良い窓際の机だったからか、すぐに丸まって寝始めた。
(いつ見ても気楽な猫ですね。……私の学生時代の学長と、同じ猫なのかしら。)
と、ジョゼは少しだけ疑問に思うが、すぐに意識を切り替え、教材を教卓に広げて個別指導の準備を始める。
「貴族かぁ。貴族には興味がないですけど、結婚相手に困らなさそうなのは、いいですよね」
「……そうでもありませんよ、生徒ケヴィン」
「え? あ……」
ジョゼの、教材を準備する手が止まる。
「一人目ならばともかく、二人目となれば、なかなか見つからないものです」
「あの、その、ジョゼ先生?」
「男性と女性では事情も異なりますが、喪が明けているのに年中黒い服でおしゃれもせず、結婚前も結婚後も、夫を失って以降ですらも教壇に立ち続け、慇懃無礼で男を立てるような言動ができない年増は、たとえ王家の傍流であってもなかなか相手が……」
「ぼ、僕はジョゼ先生のこと、ステキだと思いますよ! カワイイ! スタイルだっていいし、黒い服がむしろ大人の色気を引き立てていて、さっき廊下歩いてるときだってついお尻に目が――あ、違っ」
じっとりとした目で、生徒を見てしまう。
ジョゼは嘆息して、赤くなった頬を隠すように黒板の方を向いた。
「十も歳の離れた教師に、なにを言っているのですか」
「だ、だって、先生がいきなりそんな話をするから」
「まったく……。教師をそんな目で見るなんて」
チョークを手に取り、かつかつと音を立てて、板書を始める。ケヴィンの質問は、魔道具と刻印についてだ。ジョゼの専門分野である。
「非常識ですよ、生徒ケヴィン」
「ごめんなさい、ジョゼ先生」
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