綺麗な花の棘の毒

緋雪

第1話 記憶

 そういえば、そうだった。


 あの女は、最初から、そういう奴だった。



 自転車置き場のフードに高い脚立を持ってきて、辺りをキョロキョロする。

「よし、誰もいないな」

咲良さくらは脚立を登り始めた。高いのは特に苦手なわけではないが、安定した場所に置けなかったせいで、グラグラしている。それでも、上の端まで登らなくても、フードの上は見えた。

「届かないじゃん」

一旦、下に降りた。

「長い棒か何か……」


 そう思い悩んでいるところへ、

「おい、こら、綾野あやの、何やってる? ホームルーム、始まるぞ?」

体育教師の松本が声をかけてきた。

 咲良は、黙って、自転車置き場の半透明のフードを下から指差す。


「なんだあれ?」

「上靴です」

「上靴?」

「私の上靴です」

「なんであんなところに?」

「さあ?」


 咲良の落ち着いた態度に、松本は怒るように言った。

「早く取って、教室に戻りなさい」

「取れないんです。取って下さい」

「なんであんなところにあるんだ?!」

「私が聞きたいです」


 チッと舌打ちして、松本は校内に入り、すぐに竹刀を持って出てきた。

「マンガみたいな体育教師の格好だな」

咲良はそう思ったが口には出さない。松本は、咲良が置いた脚立に登り、上靴を取って降りてきた。

「ありがとうございます」

「今度から気をつけろよ。あと、脚立、返しとけよ」

そう言って、松本は行ってしまった。


「馬鹿だな。あたしが放り投げるわけないだろう」



 最近、咲良への「いじめ」は、段々とエスカレートしてきていた。今日は、数学の教科書が、何箇所か破られていた。


「じゃあ、38ページの問1を、綾野さん、前に出て解いてみてください」

と、数学の原田が、細い眼鏡の柄を指先で持ち上げながら言う。

「できません」

「諦めるのが早すぎませんか? もう少し頑張ってみなさい」

咲良は、38ページのあったところを開いたまま原田のところまで行き、目の前に突き付けた。

「あっ、あなた、これ……」

教室がざわつく。

「黒板に問題を書いてくれれば解きますが」

「わ、わかりました」


 もう一度眼鏡を上げ、コホンと咳を一つすると、原田は黒板に問題を書く。

咲良は、ちょっとだけ頭を傾げると、スラスラと問題を解いた。

「できました」

原田は、咲良の一連の動きを見ながら、戸惑いを隠せなかった。

「あ……はい、じゃあ、席に戻りなさい。それと……あなた、後で職員室に来るように」

また教室がざわめいたが、咲良は、

「わかりました」

そう答え、踵を返した。漆黒の長い髪がサラッと揺れた。


 

「あいつ、あんだけ嫌がらせしてんのに、知らん顔でさあ」

中野なかの真矢まやが、カフェオレを一口飲んで言う。

「鈍いんじゃない?」

サンドイッチを頬張りながら、渡辺清恵わたなべきよえが半分笑って、隣の萌子もえこに同意を求める。

「もう〜、真矢ちゃん、こわいよ〜」

川西かわにし萌子もえこは、可愛らしい弁当箱に入っていた苺をフォークで刺すと、それを愛おしむ様な目で見て、ふふっと笑った。



 あの女がしたことを、私は覚えている。

 

 咲良は、部屋で課題を解きながら、ふと思い出して、窓の外を見る。夏の日は、なかなか暮れなくて、7時近くなって、やっと薄暗くなった。



 悔しくて、半分泣きながら家に帰ってきた、あの日。確かこれくらいの時季だったな。


 涙を止めるために、薄暗くなるまで、家の近くの公園のベンチに座って待っていたが、なかなか日が暮れなかった。床で擦った傷の上に、丁度ランドセルの肩のベルトが当たって痛かった。足はどこかにぶつけたようだったし、顔も少し擦りむけていたようだ。

 

 でも、そんな傷の痛さは大したことではなかった。

 その時の咲良は、下着を履いていなかったのだ。

 それが、何よりも悔しくて、心が何よりも痛かった。



 何がきっかけなのかわからない。突然、クラスのいじめっ子二人が、襲いかかってきたのだ。

 小学生4年生の放課後の教室。翌日広いスペースが必要だからと、机も椅子も教室の後ろにまとめて下げられていた。


 咲良は、女子の中でも力も気も強い方で、相手が男子のケンカでも一対一なら負けたことがなかった。が、今回は相手が二人だ。分が悪い。無視して帰ることにした。

 ランドセルに手を伸ばした瞬間、誰かに背中を押され、二人の方に突き飛ばされた。あとは、二人の男子に殴られ、蹴られ、一人が仰向けになった咲良の腹に馬乗りになってきた。からかうように、頬を叩いてくる。ムキになって、それに抵抗しているうちに、腰に違和感があった。


 バッ!!


 勢いをつけて、咲良の下着は剥ぎ取られ、その場でビリビリに破られた。その光景を見て、咲良は抵抗をやめた。

「殺せ。さっさと、あたしを殺せ!」

そう言って、男子たちを睨む。


「もう、それくらいにしとけばぁ?」


 気付くと、後ろの机の上に足を組んで、楽しそうに笑う女子がいた。


「咲良、丸見えよ?」


 彼女は、そのふわふわの長い髪をかき上げると、スタスタと教室を出ていった。


 男子たちも、馬乗りのまま、スカートをめくったりして、暫くケラケラと咲良を指さして笑っていたが、やがて教室を出ていった。

 残された咲良は、唇を噛み締め、悔し涙を堪えながら、ボロボロに裂かれた下着の破片を拾って歩いた。



「小学生でよかったよな」


咲良は目を閉じる。


「中学生ならられてたな」


 ふっ。と咲良は、笑う。他のガキどもは暴力行為がバレて散々叱られたし、ちょっとした騒ぎにはなったが、ガキだったから、って理由で許された。


 だけど、あの女だけは許さない。男子二人をどう言いくるめたのか、最初から、あいつはあそこにいなかったことになっていた。そもそも大人たちは、綺麗で頭がよく優しい彼女の関連など、一切疑わなかった。


 いじめなんて、どうでもいい。そんな低レベルなことが好きならやればいい。だけど、あの女は違う。あれは、綺麗な顔をした「悪魔」だ。

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