第2話 捨てられた妻と赤い花の毒
アベリアは、侯爵から何を言われても侯爵が嫌がる話を止める気はなかった。
「ヘイワード侯爵の経営では、私の実家から得た資金も直ぐに失う事を、ご指摘しているのです。それに、別邸におられるエリカさんのドレスや宝石の請求書が届いておりましたけど、お支払いは大丈夫なのかと驚いております」
「うるさいっ、それくらいの買い物に口を出すな。どこまでも、がめつい女だ。エリカの可愛らしさを僻んでるのが透けて見える。おまけに、そのすました顔をしやがって、目の前にいるだけで嫌気がする。お前の事を愛することは無いと、始めから伝えていたはずだ。私の事に余計な干渉をするな!――っあぁ~、全く持って腹立たしい事を言いやがって。チッ、お前のせいで食欲が失せたっ」
ガシャッンと大きな音を立ててヘイワード侯爵は立ち上がり、そのまま、食堂を後にしようとアベリアの横を通り過ぎようとした。
その時、アベリアは、この晩餐で起きている事を、伝えるか否かの覚悟を固めるために、最後の言葉をかけた。
「デザートはよろしいのですか?」
蔑むような目つきでアベリアを見るヘイワード侯爵は、冷めた口調で話し出す。
「これからエリカと甘い時間を過ごすと言うのに、私が甘いものなどを欲すると思うか? 男爵からの資金提供に、押し付けられただけのお前が、私に向かってふざけたことを口にするな」
「そうですか、余計な確認でした。――やはり、お2人の邪魔者である私は、この邸に居ない方がよろしいかと。明日、王都のこの邸から侯爵領の邸へ移ります。王都の邸はどうぞ、お2人でお好きにお使いください。それと、私が嫁いできた時に新調した夫婦の寝台は、一度も使っておりませんから、エリカさんへ引け目を感じることなく、お使いになってくださって構いませんからね」
「ふんっ、嫌味な女だ。だが、お前自らエリカの目に入らない所へ行くのは好都合だ。ただのお飾りの妻だ、1人で領地にでも引っ込んでいればいい。だが、侯爵家の名を汚す事が無いように大人しくしとけっ! どうせ、侯爵夫人を辞めることは許されないんだ、俺も男爵家も互いにお前なんかでも繋がっていたいんだからな。余計な事は考えるな」
それを言い終えたヘイワード侯爵は、ドタドタと足音をたてて扉に向かい、紳士とは思えないような、バッタンという大きな音と共に、この食堂を後にした。
ふぅ~ッ――と、アベリアは安堵の息を漏らすと同時に、この邸の中で渦巻いている出来事について考えを巡らせた。
単純な夫は、アベリアの挑発によって、あっと言う間に憤慨して、晩餐の途中で退席していった。
スープを口に入れた瞬間、アベリアの口腔内は、ごく僅かな痺れを感じていた。
その原因は、とうもろこしと一緒に、赤い花の球根が入っていたからだ。
それでも、世間一般には、甘いスープの中に微かに含まれる痺れでは、その毒に気づくことはない。
アベリアが、それに気づけたのは、日頃から邸内の変化に警戒をしていたからだ。
この邸の庭には燃え上がる炎の様に赤い花が咲き誇っている。昨日、その根元が掘り起こされていたのをアベリアは発見していた。
温かなこの国に育つ、赤い花の球根は致死率が高い毒を持つ上、解毒薬が無い。そのことは、この国で暮らす人間であれば誰でも知っていた。
いくら薬草の知識があるアベリアでも、この小さなスープを完食してからでは、どんな治療を施したとして助かることも、助けることも出来ないから。
侯爵邸の食堂に1人残ったアベリア。
アベリアは、夫が席を立った時点で、自分に毒を盛った犯人に確信があった。だから、夫の侯爵へ「赤い花の球根が盛られた妻の晩餐」のことを、伝えるべきか迷っていた。
アベリアは、夫を引き留めてみたけど、答えは分かり切っていた。夫の侯爵は、妻には一欠けらの興味も無かった。
この日、この時、この場で、アベリアが遭遇した出来事。まさか、嫁いできた侯爵家で、ここまでの仕打ちを受けるとは思っていなかった。
アベリアは椅子から立ち上がった。
それから、目の前のグラスの水と一緒に、今起きた出来事は、もう触れることの出来ない自分の中の奥底まで、一気に飲み込むことにした。
そして、この邸での最後の晩餐とともに、侯爵夫人としての振る舞いを捨て去った。
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