全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~
瑞貴@10月15日『手違いの妻2』発売!
1章 破綻している侯爵家
第1話 夫婦での最後の晩餐
◆SS◆
「デルフィーと一緒にいられるなら……他には何もいらない。ふたりでヘイワード侯爵家を出て一緒に暮らしましょう。あなたと並ぶ幸せを知ってしまったから、離れるなんてもう考えられない。私はあなたと共に生きていく未来を手に入れたいから……。それ以上に欲しいものは何もないの」
切羽詰まった想いを募らせるアベリア。そんな彼女は『お前を愛することはない』と夫から告げられ、白い結婚生活を送っていた侯爵夫人だ。
夫に蔑まれたアベリアが恋に落ちた相手は、その屋敷に仕える執事である。
伝えてはならないと葛藤し、胸に抱えていた熱い想い。それを執事のデルフィーへ伝えたアベリアは、潤んだ瞳を細め、ホッとした顔を見せる。
アベリアのたった一つの願いは、デルフィーであれば、きっと叶えてくれると確信していたから。
二人きりのその場がシーンと静まり返ったあと――。期待で胸を躍らせるアベリアから、失意の息が漏れる。
二人の関係は、縮まることなく時間が過ぎた。
アベリアの告白から季節がいくつも移り行き、思い悩んだデルフィーが、やっと自分の気持ちを打ち明ける。
「私の妻になってください、アベリア様。いや……アベリア」
だが、大きなお腹のアベリアは既に、侯爵家の後継者を授かっていた。
デルフィーの求婚からほどなくして、ヘイワード侯爵家に大きな産声が上がる。
胸に抱く我が子を慈しむアベリアの背中にそっと手を置き、目を細めるヘイワード侯爵。夫が妻に寄り添う。
けれど、従者に恋したアベリアは、侯爵夫人のままだった。
他には何もいらないと望んだアベリア。けれど彼女は、最愛のデルフィーだけを手に入れることはなかった――。
◇◇◇
◆プロローグ◆
冷え切った新婚夫婦の晩餐。広々とした食堂を、橙色の光を放つ豪華なシャンデリアがキラキラと明るく照らす。
一見すると暖色系の温かい空間に見えるが、まったくもってそうではない。
年若い夫婦が揃っているにもかかわらず、食思を失いそうなほど重苦しい沈黙が続く。
暗い食卓に広がるのは、カトラリーが皿に触れ、カチャッカチャッという無機質な音だけ。口を開く従者もいないため、静まり返る食卓に、小さな音がやけに大きく響く。
息苦しい。そう思うのは、この家に一年前に嫁いできたアベリア。
約一年前に入籍したヘイワード侯爵家の二人。
夫人のアベリアとヘイワード侯爵の関係は、夫婦といえど形だけ。
お互いを見つめることはおろか、視線を向けることもない。それぞれの空腹を静かに満たすだけ。
夫婦の晩餐とは、毎日、義務的に処理する時間だった――。
この日の晩餐は、アベリアの好きなムール貝とエビのバターソテー。行儀が悪いと思いつつも、そればかりを夢中になって食べていた。
アベリアの舌は、まだまだそれに名残惜しさを感じていたが、半分まで食べたところで、黄白色のスープに手を伸ばした。
まだ初夏のこの時期に、とうもろこしは旬とはいえない。そうだとしても、裏ごしされて山羊のミルクを加えたスープは、ほんのり甘くて濃厚な風味が口に広がる――……はずだった。
スープスプーンを口に運んだ次の瞬間。……何かが違うと、アベリアの動きが止まる。口の中がほんの僅かにピリピリする。なぜだろう。その原因を探るべく考えを巡らす。
ハッと、あることを思い出せば、違和感の正体に気がついた。
今日の昼に庭へ出た際に花壇が掘り起こされているのを発見していた。そこにあるのは致死性の高い花の球根だ。
今の状況と一つに繋がった次の瞬間。全身の血の気が引くのと同時に広がった鳥肌――。
眉をひそめるアベリアは瞬時に、自分が置かれている状況を理解した。
このときはまだ、自分を忌み嫌う書面上の夫が、結婚一年にして最後の手段に出てきたのだと思っていた。
動揺する以上に、「そこまで疎まれているのか」と絶望が襲う。
窮地に立たされた彼女は、じんわりと潤んだ瞳から、涙がこぼれないよう慌てて目をつぶり、自分の気持ちを噛み殺す。
意識的に閉じた瞼を持ち上げたアベリアは、直前まで感じていた、悲しさや恐怖心、不安もかき消し、不敵な笑みを浮かべていた。
アベリアは二口目のスープを口元へ運ぶ振りをしながら、長い食台の向かい側に座る夫のケビンを下から掬い上げるように見つめる。
「――なんだアベリア。俺に何か言いたいことでもあるのか? お前のその吊り上がった目を見るだけで食欲が失せる。こちらを見るなッ!」
「ふふっ。――左様でございますか。私の顔がヘイワード侯爵をご不快にさせて申し訳ございません。ただ、日中に目を通しておりました、飼料の仕入れ値について申し上げたいことがございましたので」
妻であるにもかかわらず夫の名前を呼ぶことを許されないアベリアは、この屋敷の従者よりも距離のある呼び方をしなくてはいけない。「旦那様」でもなければ、彼の名前である「ケビン様」でもない。
自分の苗字でもある「ヘイワード」で夫を呼べというのだから、もはや他人と同じ。
夫を「ヘイワード侯爵」と呼ぶことに、結婚当初は戸惑ったアベリアだが、今ではすっかり慣れてしまい、この距離感がむしろ丁度良い。
「女のくせに、我が家の事業に口を出すなと言っているのが、まだ分からんのか? お前のような可愛げのない女の話など誰が喜んで聞くものか。たかだか男爵家の令嬢だったお前が、実家の金で侯爵夫人の座を得たことに満足して過ごせばいいものを」
「ええ、もちろん満足していましたわ」
「――男の仕事にしゃしゃりでるなっ! 何も分りもしないくせに、見透かしたようなことを言うのは、二度と許さん。不愉快だ」
アベリアにとっては、目の前にいる男があまりにも簡単に挑発に乗る姿が滑稽に思えてならない。そんな夫を単純な男だと心の中で密かに笑う。顔に出ないよう口元に力を入れる。
小さく息を吐くと、この後に続けるヘイワード侯爵との会話に気合を入れる。
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