第二章 『獅子』獅子は仮面より弱い

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 が明けると、夏はあっという間におとずれた。

 八月十三日。東京は今日ももうしよで、コンクリートの街にしんろうかび、高層ビル群を海中に浮かぶ海月くらげのようにらめかせていることだろう。

 森に向かうバスの中にとおるがいた。

 このバスだけじゃない、東京からふたりはいつしよだった。待ち合わせをしたのではないが、新幹線も同じ。そこから降りて、本数の限られた地方の在来線も全て同じ時間になったのは仕方のないことだろう。もっとも、新幹線を手配してくれたのはそらだから、同じ列車に乗り合わせたのは最初から必然だったのだ。他のメンバーは『希望すれば自宅からワゴン車でピックアップして現地まで送り届けてくれる』という。このルートの場合には現地に着くまでに電車より二時間ほど余計に時間はかかるが、その間にいくつかの観光地にもなっているパーキングエリアでの食事やその他道中の飲食代は全てしゆさい者が持つという好条件だった。

 透は他のメンバーと何時間も同じ車に乗るのをけたいと考えていたため、電車でのルートを希望した。また瑠璃は『電車が好きだから』という理由で透と同じルートを希望したらしい。

 電車の中でふたりはあまり昔の話はしなかった。今どうしているだの、大学ではどの授業がおもしろいだの、学校の周りにはこんなお店があって行ったことはあるか、あのサークルのだれだれさんはこの前雑誌に出ていた、など。

 おたがいにさぐりで共通の話題を探しながら、言葉を重ねる。時々、瑠璃は昔のような男の子っぽい口調になることがあった。気づくと直して、女性らしい、やわらかい言葉使いにもどる。

(そういえば、昔はいちにんしようも「私」じゃなかったんだよな……)

 透はかのじよの口調の変化には気づかないふりをして、当たりさわりのない会話をする。当たり前だ、大学生があの時の「男の子」のままの言葉使いだったら変に思われるだろう。

 やがて森が近くなってくるころ、ふたりの言葉は少なくなっていった。今の話をしたくても、森が近づくにつれてあの時のことを思い出してしまう。

 透はあせるような、もどかしい気持ちにられた。もうすぐとうちやくする。みんなの前では言いづらいこともある。だから今の内に何か言わなくては、と思っているのに──。

 消えてしまった「あの少女」の名前を出すのがまるできんのように言葉がうしなわれる。

そらは、どう思っているんだろう──)

 今ここで瑠璃にあの少女の話をすることはできなくても、空が自分のことをどう思っているのか、もう少しだけ聞き出すことはできないだろうか、と。

「あのさ……」

「うん?」

「あの時のことで、あいつは──」

 バスがまり、終点である森の入り口であることをアナウンスしている。

 ここからバスは折り返して、もう今日はこれから駅へ向かう手段はない。自分の車で来ているのならともかく、けいたいけんがいのような場所。近くに森と合宿所の管理小屋があるから、そこからタクシーでも呼ばない限り帰る手段がないのだ。

 簡単に戻ることはできない──。

 何もない道を走っていくバスを見送る透。その事実に少しだけ足がふるえた。森の木々が風にざわめく。虫の声と、鳥の鳴き声が聞こえる。

 まるでそれが自分を責めているような声に感じた。

 と、ここに何をしに来たのだと。

「透くん」

「あ……」

だいじよう、誰も君を傷つけない。誰か君を傷つけるなら、私が味方になるから」

 軽くかたたたいて、はげましてくれた。

(大丈夫だ、リーダー)

 昔の瑠璃は何か決断をする時にそう言って肩を叩いてくれた。あの時と、自分たちはどちらも姿や人に対する態度も変わった。

 透は目立つことを極力避け、内向的になり人と親しくなることをこばみ続けた。少年のように快活で、負けずぎらいだった瑠璃は女性らしく、柔らかなふんになった。

 だけど仲間だ。昔のことに関して何も言わなくても理解してくれた。

 瑠璃は、昔と同じように透の味方であり、理解者なのだと。本当にただそれだけの言葉で、透はどれだけ救われたか。

 瑠璃がいる。あの時、リーダーだった自分にとって、一番しんらいを置いた仲間であり、ライバルだった彼女。彼女がいればこわくない……外見は昔の彼女とはちがうけれど、確かに彼女は自分の知っている仲間だと。

「ありがとう……る……み、かささん」

「──どういたしまして」

 どうしても昔のように名前では呼べず、名字を口にする。それに対して瑠璃はどこかうれいをふくんだ表情で返事をしていた。


 森の入り口には、何人ものスタッフらしき人々が立っていた。みんな動きやすいアウトドアの服装だったが、どこかあいがなくあいさつをしても小さくしやくするだけだった。

 しかしそれに対して特に不自然だとは思わなかった。

 なぜならば、明らかに外国人だと思われる人が多かったからだ。空の会社は元々海外資本で設立したもので、日本にあるのは支社で本社はアメリカにある。それを考えればスタッフも日本人だけではないのだろう。

(それにしても……)

 それはへんけんかもしれないが、コンピューター系の会社の社員にしては、みんなはだが日焼けしていていかつい身体からだつきをしていた。透のイメージではもっとこうひょろりとしていて、色白なのかと思っていた。ともあれ日本人らしいスタッフが「ゆうづきはこちらです」と、案内してくれた。

 森の中にたたずむコテージ。

 そのウッドデッキのテラスでノートPCを開いて何か一心にキーを叩いている青年がいた。かれは透たちの姿を見つけると、画面から顔を上げて立ち上がった。そして満面のみを浮かべ、ふたりに向かって手を広げる。

 そして──。

「待っていたよ、瑠璃ちゃん、透くん!」

 十年ぶりに再会した空は、あの頃と同じようなあどけない笑顔を浮かべていた。

 子どもの頃からとても頭がいいのに、ちょっと世間知らずで、幼いじゆんすいさを残している……そんな時のままの空。姿はすっかり青年になったのに、笑顔はあの頃のままだった。満面の笑み──本当にうれしそうに笑っている。

 透は少しひようけしていた。空にずっとうらまれているんじゃないかと思って、合わせる顔がなくて不安になっていたことが、うそのように消えていく。

「久しぶり……えっと、夕月社長でいいのかな?」

「やだなぁ、昔のままで〝空〟でいいよ。それに正式には社長じゃなくてCEOだし」

 空はぐに透の顔を見たが、いつしゆんだけ視線が右側のほおの辺りを注視していた。そして挨拶とばかりにあくしゆを求めてくる。

 透はなおにその手を取った。昔と変わらない、自分より小さな手だった。

 子どもの頃のヒエラルキーは、男子の場合だと単純に体格差で成り立つことがある。身体の弱かった空は、背こそびたものの肩やうでなど、全体的にきやしやな雰囲気が残っている。

 大人になってそんなことだけでゆうえつ感を味わえる訳じゃない。それでも少しだけあの頃と同じ気持ちにさせてくれた。けれどその小さな手で、いくつもの作品を生み出してきた空。世界的に名前を知られている会社を経営している若き天才。それを思い出すと昔みたいに呼び捨てで名前を呼ぶのが気おくれしてしまう。

「だけど部下の前でそれじゃ格好がつかないんじゃないか?」

「ああ、彼らは全員がウチの社の人たちじゃないんだ。このゲームの安全のためにプロの人たちにお願いしているんだ」

「プロ?」

「うん、こういった自然のある場所で何かあった時にすぐに対応できる訓練を受けてきた人たちだよ。みんなに安心して森の中をたんさくしてもらえるようにね」

 安全のため……それはきっと、十年前のことをおもんぱかってのことだろう。

 空からの手紙は、十年前の事故については何もれていない。ただゲームに招待して、同窓会をしようと言っている。十年って、空はあのことを許してくれたのだろうか? それとも最初から不幸な事故だと思って、恨んではいないのだろうか。

 透が助けを求めるよう瑠璃に視線を向けようとしたその時、空は彼女に声をかけた。

「あ、瑠璃ちゃん。女性用のコテージはこの裏なんだ。案内させるから荷物置いてきなよ」

「え……あ、うん。わかった──」

 さりげないづかいのようであり、そのタイミングなのかと思わず言いたくなる時だった。瑠璃は女性スタッフに案内され、女性用のコテージへと向かった。

 ひとり空の元に残された透は、何とも言えないごこの悪さを感じていた。

「でもさ、本当に久しぶりだね」

「……十年ぶりだな……えっと──」

「だから空でいいよ。昔のままの呼び方で。瑠璃ちゃんから聞いたよ、何かちょっとよそよそしくなっていて、さびしいって」

「……そんなこと言っていたのか」

 昔のままで呼んでほしいと願う空と瑠璃。本当に昔をなつかしんでいるのだと透は感じた。

『大丈夫』という瑠璃の言葉を思い出し、少しだけ勇気がいてくる。

(決心したんだ。その一言のためにここに来たんだ。たとえ許されなくても、もう二度とこんな機会はないかもしれないんだ……!)

 大きく深呼吸をすると、彼がこの十年、ずっと言いたかったことを口にする。

「あのさ、空──おれ、空にずっとあやまらなきゃって思っていたんだ。ごめん──」

「どうして……いきなり。何のこと?」

 頭を下げる透に、空はとつぜん何だと目を丸くする。

あかのこと──謝りたかった──」

「……朱音ちゃん──のこと?」

 頭を下げた透から空の表情は見えないが、空の声は少し震えていた。

「朱音のこと、絶対見つけるって約束したのに──結局見つけられなくて、お前に何も言わずに東京に戻ったこと。本当に悪かったって思っている」

「……透くん」

「お前がこんな風に同窓会みたいなの開いてくれなかったら、きっとまたここに来る勇気もなかったと思う。本当に、ごめん」

 ずっと頭を下げたままで、許してほしいと願う透。

 空はどんな顔をして、謝っている自分を見ているのか透にはわからない。

 思い出しておこっているのか、それとも困ってしまっているのか。どんな結果であろうと、空の答えを待つかくでいた。ほんの数秒のことだろう、いちじんの風が枝葉の間をわたるだけの時なのに、透にはとても長く感じた。

 そして頭上から聞こえたのは、少し震えたような小さな声。

「……いよ」

「え?」

「だから──いいよ、謝らなくて。この季節になるとぼくは時々この森に来ていたんだ。あれから十年……今度は、みんなで集まって遊ぼうって決めたんだ。きっと朱音ちゃんも、喜ぶよ」

「そうか……」

 空がどれだけ朱音をおもっているのか、十分に伝わった。目をそむけていた自分とは違う。

 憂いを含んだ目で、朱音が消えた森を見つめる空。

 ズキン、と胸が強く痛む。透は彼女を──朱音のことを忘れようとしていた。自分がもう傷つきたくないから。それは空のかなしみを想うとひどざんこくこうに思えた。

 透がさらに言葉をつむごうとした時、空は手を前に出してそれを制した。

「空?」

「もうすぐみんなが集まる。あまり僕とふたりだけで話し込んでいたら、これから始まるゲームの情報をらしたと思われるかもしれない。だから透くん、ゲームが終わったらゆっくり話をしよう。僕たちがそれぞれこうかいしていることも、全部──」

 何故そんな風に話を急に止めたのか。空の視線の先を追ってみると、ノートPCの横にあるえきしようタブレットに何かを知らせる緑色のランプが点灯していた。空がタブレットの画面をフリックすると、スリープモードから画面が切りわった。

 森の入り口からカメラがけてあるのか、タブレットには森の入り口からこちらにやってくる人々の姿が映し出されていた。

 他のメンバーがやってきたのを知ったから、空は会話を切り上げたのだ。

 あくまでもフェアにゲームをすること。同窓会でもあるが、それ以前にこれは空の会社がスポンサードするかくなのである。

「わかった……じゃあゲームが終わったら、な」

「うん。透くんも、優勝めざしてがんってね。あ、男子りようのコテージはここだけど、もうすぐ他のみんなが集まるから、部屋の案内は悪いけれど後でみんなまとめてでお願い」

 まるで子どものようなじやな笑顔でげきれいを送る空。そして彼は「ちょっと準備があるから」と、ノートPCとタブレットをかかえると、ベランダからコテージの中へと入っていった。

 これからみんなでゲームをして遊ぶ。

 十年前、仲間のひとりが消えたこの森で。

(……だけど、何だこの気持ち──)

 透はそれがどこか現実ではない、何かがちがっているようなかんを覚えた。


**********


「みんな……来たよ朱音ちゃん──」

 コテージ内の部屋に戻り、ひとりになった空は、窓の外の森を見つめ、そっとつぶやいた。

 もうすぐあの夏合宿の日と同じ仲間で過ごすけれど、決して同じ時間にはならない物語が始まる。空は自分で想いえがいた世界が動き出すのを感じていた。

 透はもしかすると来ないかもしれないと思っていた。幼い頃の透は空から見れば何でもできる存在だった。その彼がゆいいつできなかったことがある。そのことをずっと覚えていれば、ここには来られなかったかもしれない、と。

 しかし彼は覚えていて、この場所にやってきた──。

 かつていだいていた透に対するコンプレックスを、空は少しだけ思い出す。だが……。

「──大丈夫、僕はあの頃の弱いままの自分じゃない」

 これからゲームを始めよう。朱音のための、最初で最後のゲームを。

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