ぼくは、天の川をわたれない

眠兎

クチナシの花言葉

 いやな夢を見た。

ここ何日かずっとそう。

昨日は好きな男が知らない女にヘラヘラ寝取られる夢、その前は顔の見えない誰かに追い掛け回される夢。で、今日は誰かの首を絞め殺そうとしてる夢。まだ掌に首筋の生温かい感触が残ってる気がして寒気がした。

「シャワー浴びよ。」溜息にも近い声がポツリと漏れ、それを原動力にするみたいに重たい体を動かす。寝癖を直すように軽く後頭部を撫でて浴室へ向かう。洗濯物の山を見てまた溜息が出る、けれど体が重くてとてもじゃないけどそんな気分にはなれず見えないフリをした。

築30年になるボロアパートのシャワーは扱いずらく、最初は必ず冷水が出る。このアパートに越してきて2年と3ヵ月慣れたものだ。夢の中の生温かい感触が残る手を冷水で一気に冷やす、掌が感覚を失って麻痺していくのと比例して何とも言えない安心感と開放感。徐々に水がぬるま湯に変わってきたところでじんわり汗ばんだ体を洗い流した。

おかしな夢を見るようになったのは、突然では無い。恐らくこれだろうという原因に心当たりもある。嘘、恐らくじゃない、絶対。忘れもしない、1年前の7月7日。蒸し暑い七夕の日だった。



 1年生のGW明けの登校初日、1人の転校生が来た。織田真姫、7月7日生まれの色白で真っ黒なポニーテールの似合う綺麗な子だった。人懐っこくてよく笑うかわいい子という印象だった。私を含む4人入学当初からのグループがあって真姫もそこに入った。スポーツ万能な日葵、成績優秀な凪、リーダーシップのある文乃、そして私と真姫。個性的なメンバーだったが、仲良くなったきっかけは単純だった。

「織田さん!よかったら一緒にご飯食べない?織田さんの名前、ビビっと来たんだよね!」

一番に真姫に声をかけたのは日葵。「あたし達って全員名前が夏っぽいの!」名前なんてきっかけに過ぎなかったけど、私たちの名前の繋がりを一番気にして大切にしていたのも日葵だった。

「急にごめんなさいね。織田さんは、織田真姫で織姫だからってことみたい。」

文乃がすかさず補足を加える。文乃の名前の由来は7月、文月生まれだからだそう。

「織田さんお誕生日も7月7日なんだね、星と一緒だ」凪が私に話を振る。「彦川星、私も7月7日生まれなの。仲良くしようね。」差し出した手を握り返す真姫の手は季節のせいか少し冷たかった。

 名前なんてきっかけに過ぎないとは言ったが、誕生日も同じなうえに名前の字面から織姫と彦星なんて呼ばれるようになり私たちの距離は一気に縮まった。裏で七夕カップルなんて呼ぶ人たちもいたらしい。女子高では珍しいことでは無くて、中世的で背の高い私は高校に進学してから人生初のモテ期を迎えていたわけで異性にモテたことの無い女が急に同性にチヤホヤされるという非常に複雑な状態だった。しかし、真姫との仲を周りから言われることは不思議と嫌ではなかった。むしろ、真姫のことを綺麗だの気になるだのという声が聞こえてくると無性に腹が立った。何より、そんな自分に一番腹が立った。


 7月1日の放課後、いつものように5人で教室で駄弁っていた。

「そういえば、もうすぐ2人の誕生日だね。」凪がおもむろに参考書に向けていた視線をこちらに移す。「誕生日会しようよ!」と日葵が間髪入れず割り込む。いつも通りの賑やかで静かな時間、そこに今は真姫が居る。それだけで私は幸せだった。心臓がぎゅっと痛くなる、その感覚を誤魔化すように真姫に目を向ける…と、スカートの裾をもじもじと触っている。

「真姫?」声をかけると恥ずかしそうにこちらを見上げる。

「友達に誕生日を祝ってもらえて、しかも誕生日会なんて…初めてだから嬉しくて」頬を赤らめながら目に涙を浮かべ、ありがとうと微笑む。その表情に先ほどより強く、ぎゅっと心臓が痛んだ。真姫と居ると調子が狂う。全部独り占めしたい、他の奴らにこんな可愛いところ見られたくないって、そればかり考えてしまう。


 7月7日、午前10時。待ち合わせ場所の公園に4人で集まる。日葵は遅刻常習犯なので到着を待つ間、みんなで適当なカフェに入る。凪はアイスティー、文乃はオレンジジュース、私がコーヒー、そして真姫はクリームソーダ。メニューを見なくてもわかるいつものやつ。ストローでバニラアイスを押して溶かす、溶け切ってドロドロになったのを飲むのがまろやかで甘くて美味しいんだよ、って初めて出かけたときに教えてくれた。もう見慣れた一連の動作をじっと眺める、新鮮で落ち着く他愛のないこの時間がたまらなく幸せだ。ピコンとスマホに通知が来る、「もうすぐ着く」の文字。それぞれ何も言わずとも席を立つ。ふと、テーブルに目をやるとブルースターの刺繍のハンカチ、真姫のだ。声をかけようと目を向けると3人とももう店の外で、とりあえずポケットに入れて後を追う。息を切らして頭を下げる日葵をみんなでからかって。ショッピングモールで買い物、カラオケ、スイーツバイキング…真夏の休日を私たちは日が傾き落ちきる寸前まで遊びつくした。

 帰り道、真姫と2人きりになった。「今日、楽しかった…?」なんとなく2人きりが照れくさくて、目を逸らしながら問いかける。

「うん!すごく楽しかった、星ほんとにありがとう。」真姫は本当にわたしと真逆だ。私の目を見て、まっすぐ思いを伝えてくれる。きらきらと濡れた瞳が私を映す。「そうだ…!私、真姫にわたしたいものがあって」気まずくて、気恥ずかしくてつい話題を逸らす。

「これ、誕生日プレゼント」そういって、てのひらサイズの箱を差し出す。「プレゼント⁉開けてもいい⁉」と聞きながらすでにリボンに手をかけている真姫。

「香水…?」中に入っていたのは淡い青のビンに入っているオードトワレ。さっそく、手首にワンプッシュすると広がる甘い香り、優雅で深い甘い甘い香り。

「クチナシの花の香りだよ、誕生花なんだ。私たちの。」

「いいにおい」と何度もうっとり自分の手首に顔を寄せる真姫を横目に他愛もない会話をして帰路についた。深く息を吸い込むと甘く香るクチナシの香り。

別れ際、真姫は「私、なにも用意できてなくてごめん」と頭を下げた。本当に真姫は優しい子だ、私は彼女のこういうところが好きなんだとまた思わせてくれる。

「そんなこと言わないで、今日会えて本当によかった。真姫は大事な時間を私たちにくれただろ、それが一番嬉しいよ。」

心の底から出た言葉だった。ありがとう、と微笑み手を振る姿にまた胸が高鳴った。

あぁ、幸せ。何もいらない、この時間さえあれば私はそれだけで幸せだから。


家に着いてシャワーを浴びようと服を脱いでいるときふと、ポケットの中に真姫のハンカチをしまっていたことを思い出した。ハンカチを忘れていたこと、私が預かっていることをメッセージで伝える、が…なかなか既読にならない。普段は驚くほどに反応が早いので少し不思議に思う。疲れて寝てしまったのかと思いとりあえずシャワーを浴びることにする。

その後、20分ほど経っただろうか。やはり既読にならない、不安が募ってしまう。すると、ふっとメッセージの横に既読の文字。ほっと胸を撫でおろす、しかし一向に来ない返信にまた不安が募る。痺れを切らして電話をかける。うざいだろうか、気持ち悪いだろうか、迷惑だろうか、恋人でもないのに…何言ってんだ、友達だろ。

「真姫、どうしちゃったんだよ…」息にも近い声を絞り出す。しかし思い虚しくツーツーと規則的な機械音が鼓膜を震わせる、その時にはすでに体は動いていてスニーカーを潰し履きにしたまま玄関を飛び出した。心臓が痛い、息が上がる、けどそんなことはどうでもいい。真姫の家はこの角を曲がったらすぐだというところでいきを整える。こんな時でも真姫にかっこいい自分で会いたいとか、心配しすぎと思われたくないとかくだらない自尊心が働いている自分にイライラしてしまう。呼吸を整えて歩き出す、閑静な住宅街は20時手前ということもあり人通りはない。冷静になったら寝ぼけてスマホを開いてまた眠ってしまったのではないかとも思う、着信に気づかないほど熟睡してしまっているのではないかと。けれど、せっかくここまで来たのだからハンカチだけでも返そう、そう自分に言い訳して視線を足元に落とし歩く。とん、と前から歩いてきた人と肩がぶつかる。「あ、すみません」軽く会釈し、また歩き出す…「真姫…?」声に出てたのだろうか。振り返ると、一瞬目が合う。背の高い塩顔の優しそうな甘い香りの男性。鼻の奥に残るクチナシの香り、間違えるわけがない。大好きな彼女に似合う、大好きな彼女のために思いを込めて選んだのだから。

胸がざわざわと騒ぎ出す。



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