第九話 想いは飛び立つ
それは、突然の事だった。
「佐々木少尉。本日より別部隊への異動とする」
「はい、上村大尉」
軍からの突然の命令だった。それは今から起こるであろう嵐のような、出来事のきっかけであった。その後、宿舎にて留美と小百合に説明をした。
「留美ちゃん。突然だけどね、別部隊になってさ。兵舎が変わるけど仕方ないね……
お世話してくれるのも今日までかな」
留美は呆然とその場に立ち止まっていた。
「留美ちゃん、どうして黙っているんだよ」
「佐々木さん、大嫌い」
「留美ちゃん、待って。どうしたんだ」
小百合は留美を追いかけて慰めようとした。
「留美、残念だけど、また、部隊が変わって戻ってくるわよ」
「泣かないで」
「そうかな、小百合……」
「きっと、戻ってくるわよ」
留美は何かを探していた。
「どうしたの?留美、野原で何を探しているの?」
「それは内緒よ」
「どうして?」
「言ってしまったら駄目なの」
「教えてよ」
「これだけは小百合にも教えられないの」
留美はひたすら探し続けた。それは幾日も続いたのだった。
ある日の事、佐々木と留美が会っていた時の事である。
「佐々木さん」
「どうしたの留美ちゃん」
「佐々木さんに渡したいものがあるの」
「それは何かな?」
「お守りよ。どうか佐々木さんが怪我をしないようにと思って作ったの」
「ありがとう、留美ちゃん。これはお守りだね」
「そうよ。私が作ったのよ。中にね。四つ葉のクローバーが入っているの」
「四つ葉のクローバーとは珍しいね」
「そうなのよ。佐々木さんのために一生懸命に探したの。四つ葉のクローバーは幸運を呼ぶの。だからきっと怪我をしないですむからね」
「ありがとう……留美ちゃん。でも……」
「でもってどうしたの?」
「いや、いいんだ」
「どうして、佐々木さん泣いてるの?」
「気のせいだよ。目にゴミが入っただけだよ……」
「お守りの中にね。佐々木さんが怪我をしないようにって書いてあるから。絶対に怪我をしないですむからね」
「留美ちゃん‥‥…これを持っていくからね」
「どこに持っていくの?」
「どうして?お正月までに怪我をしないですむのよ」
「留美ちゃん。僕は……」
「大丈夫よ。私のお守りは効き目があるの。それに、一生懸命に探したの。なかなか見つからなくて。大変だったから、きっと、怪我をしないわよ」
「ありがとう……」
しばらくして、兵舎には新しい上官が入ってきた。
「今日からここにきた北野だ。よろしく頼む」
「はい、北野大尉」
留美と小百合は兵舎の中で自己紹介をしようとした。それを遮るように北野は留美と小百合に話しかけた。
「お前たちが当番か」
「はい」
「お前、可愛いな、名前は」
「留美といいます」
「よし、俺の肩を揉め」
「はい」
その後、小百合と留美はお互いに相談していた。
「小百合」
「どうしたの、留美?」
「私は佐々木さんと毎日会っているの……」
「そうなの?」
「うん」
「よかったね」
「でも、悲しくて……」
「そうね、それもあるけど、北野大尉が怖いね」
「そうよね、小百合……」
「うん」
北野大尉は小百合や留美に厳しい態度を取り、特に留美には暴力を振るっていた。
しかし、それだけではなかった。
「留美、北野大尉は怖い」
「うん、でも、私は佐々木さんがいるから我慢できる」
兵舎の中では毎日のように北野の怒声が鳴り響いていた。
「馬鹿野郎、何しているんだ」
「北野大尉、叩かないでください」
「お前みたいな気のきかない女は、このくらいしないとわからないんだよ。」
「北野大尉、どうか止めて下さい」
「上杉は黙っていろ」
「それはできません」
「なんだ、上杉、上官に対してその口のきき方は?」
「バシ バシ バシ」
「やめて下さい、北野大尉」
「わかった、お前が美人だから許してやろう」
「小百合さん、申し訳ない」
「いいのです、気にされないでください、上杉少尉」
このような暴力的な行為がしばらく続いた。
「留美、大丈夫」
「兵舎の中ではまだいいの」
「え、どういうこと」
「ううん、いいの……佐々木さんがいるから」
「私に話して」
「いいの、話せることじゃないから……」
小百合は気になって仕方がなかった。その後、北野大尉は留美を兵舎へ呼び出した。
「おい、留美。お前は佐々木と交際しているみたいだな」
「いえ、そのようなことはありません……」
「いや、俺は昨日の夜に見たんだ。お前たちが抱き合っているのをな」
そこに、佐々木が現れた。そして、そのことを否定した。
「ちがいます、北野大尉殿」
「じゃあ、お前は佐々木から犯されたのか?」
「いえ、違います」
「女学生と交際は禁止のはずだぞ」
「違います」
「じゃあ、なんなんだ」
「違います、北野大尉」
佐々木は答えるのに精一杯だった。なぜなら交際しているのは事実であったからだ。
只々、留美をかばいたかったのだ。
「わかった、俺も大尉として軍に報告しなければな」
「やめてください」
「駄目だ」
佐々木は諦めるしか選択肢はなかった。北野が軍部に報告して、軍法会議が開かれることになったのだ。軍法会議が開かれることを耳にした留美は、いてもたってもいられなかった。
「小百合、どうしよう、私と佐々木さんが軍法会議にかけられるの。」
「え、どうして。」
「佐々木さんが私を犯したからと北野大尉が軍に報告して。」
「私は大丈夫だと思うけど、佐々木さんが・・・」
「小百合、どうしよう。」
「佐々木さんはどうなるの。」
「何らかの厳しい罰を受けるかもしれなくて……」
「ええ、どうするの」
「私が説明する。私自身が交際を認めるの。」
「でも……」
「だって仕方ないじゃない」
「そうね、だけど、留美もなんらかの罰を受けるのよ」
「いいの、もしという時は……」
「もしって」
「いいの、いいの、小百合……」
泣きながら走り去る留美だった。
時は容赦しない、軍法会議が予定どおり行われ始めた。
「今から軍法会議を始める」
「北野大尉、説明をしなさい」
「はい、少佐。実は佐々木大尉と、ここにいる女学生が不謹慎な行為をしていたのを、目撃しました」
「不謹慎な行為とはどういう事だ」
「裸で抱き合っていました」
「なに、女学生はまだ子供ではないか」
「そうです。ただ、女学生は嫌がって、佐々木少尉が無理やり行為をし続けておりました」
「なに。それは強姦ではないか」
「そうとしか見えませんでした」
「そうか、佐々木中尉、それとも女学生が求めてきたのか」
「いえ、違います」
「違います。私が佐々木さんを求めました」
「それでは、お互い合意か?どちらにしても、二人とも何らかの処分の必要性があるな」
「女学生はまだ子供だから謹慎だが、佐々木は何らかの厳しい処罰をしなければいけない」
「だから、私から求めたのです。佐々木さんは悪くありません」
「お前はまだ子供ではないか、謹慎だけじゃすまないぞ」
「少佐、違います。私が無理やり行為を強制しました」
佐々木は必死で留美のことをかばった。
「そうか、それでは、佐々木少尉は銃殺とする」
「違います。私は佐々木少尉を愛しています。悪いのは北野大尉です」
「なに、どうしてだ?」
「私の全ての体を見て下さい。傷だらけです」
「やめたまえ。すぐ服をきなさい」
「いえ、私は北野大尉から行為を強制されていました。この体を見ていただけたら……いつも暴力をふるわれているのが、分かってもらえると思います。心の傷もあります」
「わかった、いいから、すぐに服を着なさい。北野大尉、それは本当か」
「ち、違います」
そして、留美はさらに語気を強めて言ったのだ。
「佐々木少尉は私の体に傷薬を塗っていてくれていただけです」
「そうだったのか。わかった、北野大尉は銃殺処分とする」
「しかし、佐々木少尉とそこの女学生は交際をしていたのだな」
「いえ、私の片思いなのです。佐々木少尉は優しくしてくれただけです」
留美も必死で佐々木をかばった。
「そうか?」
「いえ、違います。私もこの女学生を愛しています」
「なに、お前はこの女学生を愛しているのか?」
「はい」
「わかった。聞かなかったことにしよう。お前も散りゆく桜だからな。今後もこの女学生に優しくしてあげろ」
そう、静かに少佐は佐々木に話しかけた。
しかし、散りゆく桜がいつまでも枝に留まることはできなかったのだ。
辛く悲しい想いをした留美に対して、小百合は上手く言葉をかけてあげられなかった。
「留美」
「小百合」
「泣かないで、良かったじゃない。でも、辛かったね……」
「うん、でもいいの。佐々木さんのためなら何でもできる。でも、それより……」
「うん。仕方ないじゃない」
「嫌よ」
そこに佐々木が現れた。
「留美ちゃん、ごめんね。それじゃすまないね、あんな事までさせてしまって……」
「いいの、佐々木さんが何もおとがめを受けなかったから、私はなんでもできる。」
「でも、それより……ついに出撃かな……」
「嫌よ、佐々木さん。行かないで……」
「御国のために。そうだろ?」
「いや」
「そんなことを言ったら駄目じゃないか。留美ちゃん。また肩を揉んでほしいな。」
「いやです。佐々木さんがいかななら揉んであげます。」
「そんなことを言わないでくれよ。」
悲しくも時は待つことはできなかった。佐々木の出撃の日を迎えたのだ。
「達夫、いよいよ、明日出撃だ。お前より先になったな」
「本来なら、お前と一緒だったはずだけどな。小百合さんとはどうなっているんだ」
「いえ……」
「まあ、わかっている」
「佐々木中尉こそ」
「俺は……まあ、いいだろう……」
「はい」
「ご武運をお祈りします」
「わかった」
佐々木と留美の最後の別れだった
「留美ちゃん……いよいよ、今日でお別れだね」
「どうして、お守りをあげたのに行って出撃するの。いやです」
「いつまで、そんなにわがままを言うんだ」
「嫌です」
「ごめん、では」
佐々木は悲しみを選ぶしかなかった。留美は選ぶことすらできなかった。
整備兵が出撃部隊に報告をした。
「佐々木少尉、ご武運を整備の方も整いました」
「では、佐々木中尉、桜として散ってくるのだ」
「はい、少佐」
「あれ、留美ちゃんがいない。最後に手をふるくらいしてくれよ……」
「留美ちゃん……見送ってくれよ……」
「仕方ない……よし、行くぞ」
「このお守りを持って……」
「留美ちゃんだと思って行くよ」
ウ~ン
ガガガガ
「佐々木さん、待って……留美ちゃん。留美ちゃん、ここに来たら駄目だよ」
「佐々木さん、行かないで」
「駄目だよ」
「それなら、私も乗せて行って」
「駄目なんだよ……留美ちゃん」
「佐々木さん……」
「いやあ。行かないで……」
「少佐、あの女学生が基地の柵を乗り越えて、走って特攻機を追いかけています。」
「そうか……見なかった事にする。」
「佐々木さん。待って……」
「留美ちゃん……」
ブーン
「どうして……佐々木さん……」
「留美、泣かないで」
「辛いけど泣かないで。そう、言っても無理よね。私も同じ想いを……」
「佐々木さんはいつも傷ついた私の体を癒してくれたのよ。小百合、わかる、この気持ちが……」
「うん、わかるよ。わかるよ……私も……」
「でも、佐々木さんは運の強い人だから。だって私が言って、おとがめを受けなかったでしょ。きっと生きて帰ってくるの」
「兵隊さんに聞いてみる」
「留美、駄目よ。やめた方がいいよ。」
「いいの、大丈夫だから。だって、私がお守りを上げたから大丈夫なのよ」
「小百合、お守りの中には四つ葉のクローバーがはいってるから、必ず大丈夫なのよ」
留美は佐々木のことが気になって、整備兵に結果を聞いたのだ。
「兵隊さん」
「ああ、君は……」
「佐々木さんは生きて帰ってきたのでしょ?」
「聞かなかったことにする。君を非国民にしたくない」
「いいの、教えて、どうして黙っているの?」
「それは言えない。だから、聞かなかったことにすると言っているじゃないか」
「いいの、非国民でもいいの」
「そうか……佐々木少尉は途中で敵艦隊に見つかり打ち落とされた」
「君がどうしてもというから教えただけだ。これ以上言うな」
そんな、どうして……佐々木さん、私を一人にするの。
留美ちゃん
佐々木さん
どこ
佐々木さんの声が・・・
幸せになるんだよ。
佐々木さんの声が・・・
どこかわからなかったが、佐々木の声が留美に届いたのだった。
戦争という暗い影が深い悲しみを写し出していた。
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