第八話 母を慕いて

白き音をたてながら雪が降っていた。

雪は次第に達夫が住む茅葺の屋根に降り積もっていった。

日は昇り雪が解け始めて縁側に「したした」という音を静かに響かせながら

庭に咲く花に光を放ち光は達夫の横顔を悲しくも照らしていた。

達夫の家は貧しく幼少の頃は体も弱かった。

しかし、そこに母親は優しく達夫を見守っていた。


「お母さん、寒いよ」


雪の寒さを帯びたように達夫は凍えながら母親に訴えた。


「ちょっと待ってね、今、温かいお味噌汁を作ってあげるから」


雪のような白髪交じりの髪を肩に流しながら、母親の佳代子はか細い声で達夫に声をかけた。

達夫の母親は生まれつき体が弱かったのだ、それを佳代子は達夫に対して不憫に思っていた。

血のつながりは白く輝いてくれなかったことを実感しながら

しかし、達夫は母親が愛しくてたまらなかった。


「お母さん、手が冷たいから僕の手を握って」


必死で温めようとする佳代子、達夫の目には涙の雫が流れ落ちていた。

佳代子の目にも溢れていた。


「おい、腹がすいたぞ、飯はまだか」


冷たさが増すのは小さい達夫の家だけではなかった。

達夫の父親は事業を営んでいたが、ことごとく失敗に終わり借金で苦しんでいた。

夫の食事の支度をすぐさま終わせて、佳代子は達夫の元へ来た。

体温を測り終わると、だいぶ熱が下がってきたのだった。

そして、温かいお味噌汁を食べて元気になりなさいと、優しく声をかける。

達夫はうなずくと小さい手で味噌汁を食べ始め佳代子に訴えかけた。


「お母さん、今日は一緒に寝てもいい」


そう言うと佳代子は小さくうなずき、達夫の布団に入った。


「だいぶ、顔色がよくなったわね」


佳代子は達夫に優しく声をかけて達夫の寝ている布団の中に入った。

雪は降っていた、雪は降っていた、しかし達夫は温かかった。


「おかあさんと一緒に寝ると温かい」


佳代子の雫が達夫の手に落ちた。


「お母さん、ありがとう」


達夫の体温も雪解けの様に溶けて行ったのだった。

 

「明日から学校に行けそうよ」


そう、佳代子は励ますも達夫を待っていたのは、雪の冷たさだけではなかった。

達夫は体も小さかったこともあり、同級生から虐められていたのだ。

ある日のことだった、学校から達夫が泣きながら帰ってきた。

泣きじゃくる達夫に母親は寄り添いながら話しかけた。

身体が小さいだけではなく、お弁当も持っていけなかったのが原因でもあった。

そのことを、うっかり達夫は母親に話してしまったのだ。


「ごめんね、達夫、家が貧しいばかりで達夫に悲しい想いをさせて。」

「いつか、美味しい料理を作ってあげるからね。」

「そうしたら、みんなに虐められることはないから大丈夫よ。」

「お母さんは頑張って働くからね。」


自宅には、借金の取り立て屋が毎日のように来る有様だったのだ。

ある日の事だった、達夫の父親は東京に出稼ぎにいくということで家を出た。

しかし、それは母親と達夫を残し夜逃げしたようなものだった。

それから、達夫も高等学校へ進学することになったが、それを待ち受けていたのは母親の苦労であった。

それは達夫が通う高等学校での出来事であった。


「お母さん、もう達夫君の授業料が半年も払っていないのですよ。」

「なんでも、お父さんは借金で夜逃げしたみたいじゃないですか。」


「大丈夫です、私が昼も夜も働いてなんとかしますので、達夫を高等学校で学ばせてください。」


達夫は、後にその事実を担任の教師から知らされる事となり、退学を母親に申し出るが学業を続けるよう説得されたのだった。

しかし、そこに突然が襲う。


「ゴホ ゴホ ゴホ」


「お母さん、大丈夫」

「どうしたの、お母さん。しっかりして」

「すぐ、病院に連れて行くから」


すぐさま、達夫は母親を病院に連れて行った。


「先生、大丈夫ですか」


「肺結核だよ」


「治りますよね、先生」


「残念ながら、治らないのだよ」


「先生、どうして、どうして」


「達夫君かな、お母さんには、もう会えないよ」


「どうしてですか」


「肺結核はうつるからね」


「そんな、かまいません」

「お母さんのそばにいられるのは、僕しかいません。」


「いや、君はまだ若い。将来があるじゃないか。」


幸いに病院と達夫の家とは親戚であったため、院長が入院費等の援助をしてくれていたのだった。

数日が経ち、どうしても母親に会いたい達夫は、主治医に懇願した。


「先生、会わせて下さい」


「駄目なんだよ。達夫君」


「どうしてですか?」


「うつるかもしれないと言っただろう」

「君は若いんだよ」


しばらくの時が経過したがどうしても達夫は母親に会いたくてある行動にでた。


「お母さん待っていてね、夜に木の上から登って会いに行くから」


「お母さん、会いに来たよ」


「駄目よ、達夫、来たら駄目よ」


「どうして……」


「いいから、来ないで……」


「どうして……お母さん」


しかし、看護婦に見つかってしまい、会うのを制止されたのだった。


さらに時は経ち、母親の命も風前の灯火であった。


「達夫君、今日でお母さんの命はいっぱいかもしれない」

「残念だが、君の気持ちを考えると私も辛いよ」


「先生、僕は病気がうつってもいいです」

「会わせて下さい」

「僕は死んでも後悔しません」


今までの達夫の想いを考えると主治医も止めることはできなかった。


「そうだな……」

「わかったよ。達夫君、最後にお母さんに会ってきなさい。」


「はい、ありがうございます。」


「達夫君……」


達夫は母親と最後のひと時を過ごそうとしていた。

やはり、悲しい現実が待っていたのだ。


「お母さん、お母さん」

「どうして、目を開けてくれないの」

「お母さん、お母さん」

「どうして……」


「達夫……」


「お母さん、お母さん」

「あ、目が開いた」


「達夫……」

「かわいい、達夫……」

「ちょっと待ってね」

「達夫、これをお母さんだと思って大事にして」

「昔、ある人にもらったの……」


「赤いスカーフだね」


「そうよ」


「お母さん。だっこして。」


「達夫……」


「お母さん、お母さん、お母さん」


達夫は最後に母親の胸に飛び込んだ。


「達夫君……」

「最期によかったな」


しばらく時が経ち行方不明の父親が帰って来た。


「達夫、ただいま。いや、仕事で東京まで行っていたんだ」

「佳代子が亡くなって来たと聞いて帰って来たんだ」

「実は達夫に新しいお母さんを紹介するよ」

「新しいお母さんの君江さんだ」

「ほら、君江、何か言いなさい」


「達夫さん、お母さんが亡くなって……」


「馬鹿野郎」


「達夫、どうした」


「達夫さん……」


しばらく、達夫は家に帰ることはなかった。


「あなた、達夫さんが帰ってこないですね。」

「やはり、私は……」


「いや、気にするな。君江。」


しばらくして、達夫は家に帰って来た。

帰り着くと君江は達夫に謝った。


「達夫さん、ごめんなさい」


「大丈夫です。」

「君江さん、ごめんなさい。」

「あんなことを言ってしまって……」


高等学校において、今まで未払いであった学費のことで君江は呼び出されていた。


「あなたが、新しい達夫君のお母さんですか。」

「以前からの学費があるのですが、どうされますか?」


「大丈夫です。私がなんとかしますから」

「達夫を高等学校で学ばせてください」


「でも、あなたは達夫君の本当のお母さんじゃないから……」

「そこまでしなくてもいいんじゃないのですか?」


「いえ、達夫は高等学校に行かせます」


自宅にて君江は夫に相談をしていたのだった。


「あなた、私は今日から仕事を始めます」


「いや、君江、そこまでする必要はないよ」


「どうしてですか?」


「高等学校にいかなくても頑張っている連中もいるじゃないか」

「それに、達夫はお前の……」


「私は達夫の母です」

「当然のことをするだけです」


そこに達夫が現れて話し始めた。


「君江さん、そこまでしなくていいよ」

「僕はもう高等学校には行かない」


「達夫さん、大丈夫だから」


達夫は君江の強い説得により高等学校で学ぶ決心をしたのだ。


君江は回想し始めた。

君江には戦争に出征して亡くなった幸助という息子がいた。


「幸助……」


「お母さん、僕はもう高等学校にはいかなくていいよ」


「どうして」


「さっき、赤紙がきたよ。出征してくる」

「御国のために尽くしてくるよ」


父親は立ちすくんでいたままの君江が気になった。


「 君江、どうしたんだ」


「いえ……」


「また、幸助君のことを思い出しているんじゃないか?」

「幸助君は御国のために……立派な事だ」


幸助

幸助……

どうして……


白き音をたてながら雪が降っていた。

雪は次第に達夫が住む茅葺の屋根に降り積もっていった。

日は昇り雪が解け始めて縁側に「したした」という音を静かに響かせながら

庭に咲く花に光を放ち光は達夫の横顔を悲しくも照らしていた。

しかし、そこに君江は優しく達夫を見守っていた。

それは実の母親と同じだった。


君江さん、ごめんね。

お母さんと呼べなかったよ。

僕も幸助君と同じになって悲しい想いを指せてしまう。

本当にごめんね。

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