12 ネコチャンは、全てをぶち抜く。

 その日のグラジオ様は、会ったときからずっと変でした。

 目をこすったり。目を閉じて考え込んだり。視線が変な方向にいっていたり。


「あの、グラジオ様。お疲れのようでしたら、今日は……」

「いや、そういうわけではない、はずなんだが……」


 グラジオ様は、次期辺境伯。

 家を継ぐのはまだ先とはいえ、とてもお忙しい方です。

 こうして私に会う時間を作るのだって大変でしょう。

 それでも数日に一度は、必ず私と一緒に過ごしてくれるのです。

 ごく短い時間なこともありますが……。愛されているなあと、実感してしまいます。


 今のグラジオ様は、鍛錬後に身体を休めているところでした。

 婚約してすぐの頃は、そんなときにお邪魔していいのかと心配になりました。

 私がいたら、休息にならないのでは、と思ったのです。

 グラジオ様曰く、回復が早くなるからむしろ会いたいとのことでした。

 ご本人がそう言うならそうなのだろうと、自分を納得させていましたが……。

 今日のグラジオ様は、明らかに様子がおかしいのです。


 グラジオ様はまた変な方向を……私から少しずれた場所を見て、目元を抑えながらため息をつきました。


『この男、我が見えてるんじゃないか? さっきから我と目が合っておるぞ』


 そう言うのは、私の周囲を飛び回るミュールです。今日も黒猫のような姿をしています。

 私の魔力を使って身体を作っているからか、彼女は私から離れることができません。

 顕現しているときは、私のそばで気ままに過ごしているのです。

 

 ミュールの顕現後もグラジオ様には何度もお会いしましたが、彼女の姿は見えていませんでした。

 もちろん、他の人にもです。姿も見えないし、声も聞こえないのです。

 ですから、このまま誰にもわからないものだと思い込んでいました。


「疲れとは、自分でもわからないうちに、溜まっているものなのかもしれないな……」


 ずいぶん参ってしまった様子のグラジオ様が、そうぼやきます。

 どうしましょう。ミュールの言う通り、グラジオ様にも私に憑いた悪魔が見えているのかもしれません。……見た目はほぼ猫ですが。

 ですが、どう切り出せばいいのでしょう。

 悪魔、見えちゃってます? なんて、聞けるはずもありません。


「リリィ、その……。真面目に取り合わなくてもいいから、話だけでも聞いてくれるか」

「は、はい」

「君の周囲を……猫? が飛んでいるように見えるんだ。おかしいよな。すまない。疲れてるんだろうな……」


 はい、見えてますね。これは確実に見えていますね。

 今も猫のような何かが私の周りを飛んでいます。グラジオ様、大正解です。

 なんと言ったものでしょう。これは私にとり憑いた悪魔です、と言うのも、ちょっと……。

 そんな風に頭を悩ませる私のことなど無視して、ミュールは『ほら! やっぱり見えておるぞ!』と盛り上がっています。


『リリィベル。早く言った方がいいんじゃないのか? お前に見えているのは高等悪魔のミュール様じゃと』

「変な猫が、リリィに話しかけている……。そして、自分は悪魔だと言っている……。俺は……」

『ほれほれ。言ってやらないとこの男が可哀相じゃぞ。自分がおかしくなったのだと思い始めておる。いいのか? 愛しい人を苦しめて』

「っ……! ミュール、あなたの言う通りかもしれませんね」

「リリィ……? 君、その、猫? と会話を……?」

「グラジオ様。この猫のようななにかは……私にも見えています。本人の言うことが正しければ、彼女は悪魔です」

「あく、ま」


 あまりにも突然すぎてついていけない。そんな雰囲気でした。

 それもそうでしょう。

 ある日急に、婚約者の周りを飛び回る猫のような何かが見えるようになって、その正体が悪魔だなんて言われたのです。

 訳が分かりませんよね。

 正直なところ、私もなにがなんだかわかりません。


 この状況を作ったミュールはというと、


『おお、この菓子美味いのう』


 と呑気に茶菓子を食べ始めています。

 猫のようなこれは、仮の姿。猫であって猫でないのです。ミュールは雑食でした。

 人間の食べ物は栄養にならないそうですが、味はわかると言っていました。

 普段は人の目がある場所でこういったことはしないのですが、グラジオ様にも見えているとわかったからか、好きに振る舞い始めました。


 翼の生えた黒猫がテーブルに座り、前足を使ってお菓子を食べる姿を見たグラジオ様は――


「……可愛いな」

「……可愛いのですよね」


 可愛い。その一言で全てを片付けました。

 私とグラジオ様は、二人揃って猫派なのです。

 猫ちゃんの可愛さは、全てをぶち抜きます。

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