金属夜

赤川凌我

第1話 金属夜

金属夜

 僕は今日仕事を辞めた。僕は赤川凌我という長髪かつ長身の男だ。23歳で大学を卒業してからは数か月を要し、前の職場に就職した。しかしながら何の因縁があるのか分からないが前の職場の上司に僕はパワハラをされていた。ハラスメントが悪だと言うのは世間に通底する認識であるのは当然の事だが、社会的にハラスメントが糾弾されづらいのはそこに複合的なファクターが絡むからであろう。実際僕へのハラスメントも事実無根や理不尽なものではない。少なからず僕にも難詰されるに相当する口実や理由なんてものも存在している。僕は学生時代にも暴行を教師から受けた事もあるのだがそれもいかんともしがたい僕の普段の行動の難点があった事も事実である。問題なのはパワハラに相当する主訴にあたる内容ではなく、その形式である。これは言い方であったり、無神経さであったりする。僕は精神疾患でガラスのメンタルであるからそういった卑俗な諸問題からは忌避しがちである。しかしやせ我慢をして仕事を続けて発狂した後に廃人となっては人生そのものを棒に振る可能性が多分に考慮できるため、僕は渋々前の仕事を辞めたという次第だ。これは体面で直接言うのは非常な精神的な労力を必要とするものであったため僕は電話で辞める意志をパワハラしてきた上司以外の上司に伝えた。おいおい僕の自宅に退職に必要な書類も電話でアポを取った上で前の職場の職員が僕の家まで運びに来てくれるらしい。僕は職場の給食代金の支払いが必須との事であったからその分の資本を私は銀行から下ろした。

 今現在、僕はブラックサバスの激しく官能的なリフを愛聴しながら、独自の世界に入り込んでいる。これを心理学的にはトランス状態というのだろうか、この心理的作用は僕をこの上なく幸福にさせるコスパ最高の、極上の趣味である。仕事を辞める時に僕の上司は「いいんですか?」と僕に聞いた。しかしやむを得ない。辞めなければ僕の人生は悲惨なものとなる事が不可避である。僕はこれから先に、職業訓練のような事をしながらゆっくりと着実に、自分のスキルや社会性を磨いていきたいと思っている。今までの僕は性急すぎた。

僕は船岡山に住んでいるのでよく健勲神社に参拝に行っていた。よく僕は自分の曖昧模糊な将来を案じてその神社へと足繫く参拝に出かけた事も多い。しかし今や夏である。僕は蒸し暑くてあまり積極的に外出しようとはしなくなった。今日は木曜日である、本来なら週5日勤務であれば、僕は明日も仕事をしている事だろう。しかし僕は清掃の仕事などはもう御免被る。あんなのは愚民か、余程の並外れた胆力を持つ者の適職だ。職業に貴賎なしとはよくも言った。しかし僕の中ではやはり職業に対して主観的な差別意識が働いて、客観的な判断が出来ずにいる。大体社会自体ももっと精神疾患者に優しくすべきだ。前の職場は障害者作業所であったものの、それは上皮だけの愚にもつかないものであった。偽善のようなものだ。結局障害への考慮なんてものは腫れもの扱いをしない程度のものであり、それはそっくりそのまま障害者を健常者と同じように扱う事に相違ない。勿論、社会生活を行う上ではある程度の自立心を涵養させる為に多くの人が障害者自身の力量の発露を期待するものであるが、精神疾患者であるという事は往々にして発症に至るまでの不幸な境遇やレジリエンスの低さがネックになっている事が多い。それを度外視して、何の分別もなく仕事をさせたりなんかすると問題や弊害が生じるのは自明の理である。しかし健常者はそのような問題に無頓着だ、それほどの余裕がないと言うのも確かだろう。凡人の浅はかさに僕は閉口した。僕は職場の連中と肝胆相照らす関係を構築したかったのだが、しかしそれは未然に終わった。

ブラックサバスは非常に良い。僕の脳髄を揺さぶり、爽やかにする。メタルのある夜はメタルナイト、金属夜である。これは僕にとって、また閉塞した世の中に生きる人間にとっても福音のようなものだろう。もはやブラックサバスは殊更僕にとってはバイブルである。今や僕はどのような書物も受け付けない。僕は圧倒的な集中力で遮二無二作業したり読書に勤しむ事も出来るのだが、しかし一度燃え尽きれば話は別である。今僕は敬愛する筒井康隆の小説であっても享楽出来ない。小説も無理なら自己啓発書のようなものも受け付けない。これから僕は今までの労働生活より遥かに負担の少ない日を送るだろう。そのようなものを僕は甘んじて受け入れるつもりだ。僕の上京は来年以降になるかも知れない。今や僕は愚かな妄想ばかりして、自分が一獲千金の富裕者になる事を確信している。これは統合失調症の誇大妄想のようなものなのだろうか?僕は文学賞を多数受賞したりミレニアム問題の証明が認められたりして自分が今後の日本の文明生活を担う大家となる事を確信している。もはや悲哀に満ちたこの革新の成就を僕は単細胞にも願わずにはいられない。

もはや京都の北区の雑踏に対し、僕は甚だしい嫌悪を感じるようになった。のみならず僕は人間に対する慄然に堪えきれず、今はただ部屋に引きこもっている。しかし何もしないで金が入る大層な身分でもない以上、何とかして働かないといけない。或いは何らかの国からの資金援助をも視野に入れて、検討しなければいけないだろう。

僕はカウンセリングにおいてはあまり従順なクライアントではなかった。僕は何度かカウンセリングを受けてきたのだが、どれも僕の未来に対し、或いは僕自身に対し変革を起こすような機能を誘発する者でもなければ、豊かな啓示を持つ者ではなかった。僕はカウンセリングの限界をそのセッションの中で垣間見た気がした。そもそも僕は口下手である。一緒に話していてリラックスも出来ない相手にどうして自分の蒙昧や嘆息を露呈させる事が出来るのだろう。そもそも僕はカウンセリングを受けるに値しない人間だったのだ。その資格が僕にはなかった。

統合失調症に対するスティグマ、それは健常者、障害者双方が互いに歩み寄る能力が不足しているが故に起こるものなのである。この関係性は対立的なものになるか、どちらかに利益が偏った不均衡なものになるのが現代では常である。また何かしら事件や事故が起きた時に民衆を扇動して、異なるものをその問題のスケープゴートにされる事も確かだ。これは科学的合理主義精神に即したものではなく、野生的で、ヒューリスティックな、半ばヒステリックなものなのである。

人間の懶惰が、差別意識を助長させる。人間の持つ薄弱な根拠を基調とした認識はもはや障害者とかは関係なく、人間そのものの未成熟さの問題なのだと僕は認識している。

いつの間にか夜になっている。この時間のメタルは僕を没入させる。そして今日も一日を生き延びたと、半ばサバイバル的な意識をしみじみと感じつつ、少量の達成感を感じている。生きているだけで丸儲けという言葉は僕のような統合失調症の病魔と死闘を繰り広げている人間ならばより格段に確信を持って信条に出来る言辞なのではないだろうか。オジーの声が僕の心に木霊する。まるでダライラマのように僕に安らぎを与える。騒々しい曲調が心の安寧をもたらすとはどこか滑稽な感じがする事実である。しかし今日僕は仕事を辞めた訳だが、何とか機転を利かせてパワハラ上司以外の上司に退職の旨を伝えて良かった。結果として紆余曲折あって人生が豊かになるのも事実なのだ。僕はこの希望と安堵が交錯した胸中を具して現状をまるで奇想天外のように感じてしまう。今の僕には健常者でさえ、ある種の妄想狂なのではないかと考え、戦々恐々とするのである。

僕は統合失調症であるし、その代表症状である幻聴や被害妄想にも悩む悶えているが、しかし外見的な偏見とは合致しない、ある意味典型的な統合失調症当事者ではない。また医者からは統合失調症とは断定出来ないなどと言われたりもした。僕は16歳で初めて精神科に来訪してそこから気長に治療を受けてきた。高校の時分の医師は僕に全日制高校を辞める事を僕に推奨しなかった。その事は今でも僕の中では疑問である。僕はどこまでも天衣無縫で優しい人間だと母親からは思われているようだ。昔母親には泣かれた事もある。あの頃は変な心地がした。母親にあんな風に泣かれると何だか可哀想に思えてくる。他の人だとそうはならないのに。これは何らかの意味が孕んでいるのだろうか。僕は医師や医療従事者の立場ではない。したがって精神医学の新分野である理論性進学を創始した時にもこれは非常に限度のある、素人の議論だという事を僕はその論文で強調していた。

しかし医師であっても有象無象も一定数存在しており、彼らは自身が患者となりかねない偏執的で素人目で見ても問題がありまくりな妄想を躊躇なく患者に話す。そして患者が気分を害し、それでも表面的に彼らを咎める事も出来ず、半ばパワハラ的に閉口したり、首をかしげたりしても彼らは仮借ない診察を行う。十分に指導や教育が行き届いていないと、世間の愚民のみならず社会的ステータスの高い医師にも腐乱が発生し、世の中は毒に蝕まれ、凋落していくのだなあ、と僕はその際しみじみと感じた。いうまでもなく、この話の患者とは外ならぬ僕の事である。しかし同様の消化不良に苦しんでいる患者はやはりいるのではないか、それが患者自身の精神医学会や製薬業者への敵愾心を発達させるのではないかと思う。即ち、ヤブ医者との邂逅が図らずも医学不審の温床となっているのがかねてよりの世界の実情なのである。

今日もサバスの音がまるで忠犬のように僕についてくる。それは僕にとってたちどころに僕を愉快にさせる事実である。だがしかし、決定的な自信につなげる萌芽としてはまだそれは未熟なものだ。僕はこれから批判を恐れぬ、真の男、真の天才として気を強くして生きていく。病気などは関係ないいつまでもうじうじしているのは男ではない。船岡山の赤川はそのように思った。

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金属夜 赤川凌我 @ryogam85

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