第3話 見知らぬ子

「ほんと、あんたって気持ち悪い。あんたがいるだけで空気が澱む」

主犯格のクラスメイト…名前を覚える値もないから、Aとでも定義しよう。

Aは平然と座席について無視をする伊上に、そう詰め寄る。

「…で?」

校則違反ギリギリを責めた茶髪と、趣味の悪いゴテゴテとしたネイル。

リボンはだらしなく緩められ、シャツとベストの間でゆらゆらと揺れている。

失礼なのだろうが、それくらいしか情報として入ってこない。

伊上は死んだ魚のような目で、Aの目をしっかり見た。

「うざっ!」

Aは手に持っていたペットボトルの水を伊上の仏頂面に思いっきりかけた。

バシャ、という音と同時に、軽くなったペットボトルが顔に当たる。

反射的に閉じた目を開けた時には、ペットボトルはカラカラと空しく音を立てて床を転がっていた。

「そのなんでも見下した態度、ほんとムカつく!」

このAは語彙力がないのだろうか。もっと言いたいことを言い放てれば、その歪んだ心も少しは理性的に発散できるだろうに。

伊上は黙って顔と顔についた水滴を拭い『気が済んだ?』とだけ呟いた。

その態度がまたAを逆上させたようで、彼女は取り巻きを呼んで伊上を取り囲む。

「あんた、覚悟できてるの?」

威嚇するAだが、伊上は動じない。

「覚悟って、何に?必要のないことは、私はしない。ホームルームの前に一冊読みたい本があるから、席に戻ってくれない?」

静かに返したはずの伊上の言葉は、クラス中で反響していた。

こそこそと『やべえ』だの『死んだな』というどうでもいい外野の声が聞こえる。

Aは真っ赤な顔をして、伊上の右頬を力任せに叩いた。

伊上がかけていた眼鏡が床に落ちると、それを取り巻きが踏んで故意に破壊する。

レンズは外れ、フレームは見る影もなくグニャグニャに曲がっていた。

「…あーあ。これないと、見えないのになあ…」

これほど怒りを表すAにも、相変わらず興味のない伊上。

「押さえて。もう許さない」

Aが取り巻きに呟くと、囲んでいた3人の女子が伊上をがっちり羽交い絞めに回った。

伊上は僅かに身体を動かすが、抜け出せるようなものではなさそうなことがすぐに分かり、チェックを止める。

目の前にいたAは伊上の前髪をぐっとつかみ上げ、空いていた手には鋭いハサミが握られていた。

「目が片方潰れるくらい、大したことないよね?全部あんたが悪いの。こんな陰キャが私を差し置くなんて出過ぎたことをするから」

伊上はAの眼が嫉妬に狂っているのだな、とあくまで冷静に見る。

差し置いたつもりは毛頭ないのだが、この女は何かを勘違いしているのだろうか。

Aは殺る気満々だ。流石に少しまずいかもしれない。

瞳には狂気と殺意を明確に帯びた嫌な光が射している。


【もー。ダメだよ、こんなことしちゃあ】

聞き覚えのない、少年のような声で確かにそう聞こえた。


そう聞こえた後、振りかぶられていたハサミと動き始めていたAは時間が止まったようにピタリと動かなくなった。

【後で会おうね!】

どこから現れたのか、全く分からない。

見たことのない制服を着た少年…同い年くらいだろうか?

その少年がAの両肩を掴み、紫色の亜空間ホールの中にあっという間に引きずり込んでいった。


『…え?』

『嘘だろ…消えた…?』


少年が消えて、周りの止まっていた時間は再び動いたようだ。

カラン、とAが持っていたハサミが床に落ちるのだった。


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