01.夢と出会い
「あのさ、もしもすっごく長生きできたらイアンはどうする?」
青々とした草花に囲まれながら、遊び疲れて二人風に揺られていた時ティムはそう聞いてきた。
僕は〝すっごく〟がどれくらいの長さかわからなかったし、長生きっていいことなんだと思ってたから、その時思い浮かんだことを素直に言った。
「そうだなあ、どうせなら空を飛べるようになりたい! 地上で綺麗に咲いてる花たちや、きらきら輝いてる湖がどんな風に見えるのか知りたいな……。でも、もしそんなこと出来なくたってティムがいればいいや!」
そしたらティムは少し悲しそうな顔をして、
「そっか、そうだね。僕もイアンがいればそれでいいよ」
って答えてくれた。僕は、ティムがどうして悲しい顔をするのか分からなくてじっと見ていたけど、見間違いかと思うくらいすぐにいつもの優しい顔に戻ってしまったから、それは最後まで分からなかった。
でも、それはずっと後に、最高に酷い形で分かるようになる。
……pipipi,pipipi,pi.
「ふぁっ……ぅ〜……」
いやに眠気の切れない土曜日の朝。きっと心ゆくまで眠ればいいんだろうけど、体内時計が狂ってはいけないからというのが母から言われ続けた言葉だ。子供ながらに納得してからはずっとこの生活を続けている。
かれこれ十数年の付き合いになる青縁の眼鏡をかけてベッドから降りる。ここは都会からまあまあ……いや、結構離れた土地にある家で、周りが栄えていないのと家の状態が悪い(つまり古くてボロい)ので結構安くで買わせてもらえた。普段はソーシャルワーカーとして働いていて苦しいというほど生活には困っていないので、実は少し余裕があったり。
顔を洗いつつ、『軽く身支度してパンを買いに行くか』なんて考える。今日は何が安いかな?チーズが食べたい気分だし帰りに買ってこようか、考えるだけでワクワクしてしまうな。
「財布持った、服OK、後は……」
こうして声に出して確認してしまうのは物心ついた時からの癖。大きくなるにつれ周りの反応も悪くなり、みんなと同じように出来ない事を悩んだ。だから僕は人に寄り添える、「貴方は変なんかじゃないよ」って言ってあげられるこの仕事を選んだんだ。僕の受け持つ人は僕が何かやらかしても「大丈夫よ」「そういうところが可愛いの!」「出来ない人の方が優しくて安心するもの」なんて優しく言ってくれて、むしろこれあげる、これ食べな、ともらってばかりになるからいつも申し訳なさとありがたさで目が潤んでしまう。
パン屋のおじさんだってそう。いつもなんだかんだ少し負けてくれるのだ。「これからを担うのは若造だからなあ!」なんて豪快に笑ってオマケまでくれる。僕はあの亭主が大好きで、いつかあんな大人に、と密かに尊敬までしている。
おじさんの元気な声を期待しながらパン屋に入ると、聞こえてきたのは鈴の音のような可愛らしい声。もちろんガタイのいいおじさんの茶目っ気あるおふざけではなく、華奢で可愛らしいショートヘアの女の子が立っていた。
「ちょうどパンが焼き上がったところだったんです。これなんて上手に焼けたんですよ!」
「わ、美味しそうですね。じゃあそれ一つと……」
ふと店内を見渡した時。どこかに違和感。なんだろうとよく見ていると、部屋の端の空間が嫌に気になる。
「どうかしました?」
しかし何か分からない事を言っても混乱させるだろうと、何も言わずにパンを買って立ち去った。
その日の話で興味深い噂を聞いて青ざめたのは、その数時間後の事だった。
「はぁっ、はっ、ヒュッ」
僕は息が詰まって止まってしまうんじゃないかと思いながら、もうすっかり暗くなった空の下を走っていた。すれ違う人もいない。町の灯りもだんだん消え出している。そんな中での景色は朝とは随分違っていた。
ようやくの思いで店の前につき、息も整わぬままノックする。
「遅くにすみません。どなたかいらっしゃいませんか」
返事はない。もう一度声をかける。やはり返事はない。
ただ店の店主が不在で、あの女の子が家に帰り着いているのならいい。でも、この消したくても消え切らないこの嫌な予感はなんだ?なんだか朝に感じた違和感も変に引っ掛かって仕方ない。
ドアが、開いてる?
普通なら閉まってるはずの鍵が機能を果たさず、軽い感覚でドアは僕を部屋に招いた。直感的に予感は当たったと分かってしまった。
そこには、暗くて色の分からない液体と床に横たわる朝に見たショートヘア。息が止まる。数秒固まってから「息を確認しなければ」と体が勝手に動いてその子に近寄った。口元も指も動かないし、触れた首元は無機物のように冷たい。絶望した瞬間に背中に水が伝った。汗が伝ってもおかしくはないけど、こんな時に流れるにしては温い。
垂れるとしたら––––天井から。そう、あの違和感を感じた天井から、水が垂れている。
怖くて、上を向く事ができない。目線はずっと彼女の首元に縫い付けられて、指先ひとつ動かせなかった。
先に動いたのは、向こうの方だった。
「おいおい、人が死んでんのがそんなに怖いかあ? それともなんだ、こいつに一目惚れでもしちまってたかよお?」
ケラケラと笑うそいつの声になんとか首を動かせば、天井に張り付いたそいつは…………この世のものとは思えない、美しい姿をしていた。
白く透き通った肌、月明かりを浴びて輝くプラチナブロンドの髪、そして身に纏う服達がこの男の高貴さをこれでもかと訴えかけて仕方ない。
「なんだお前、今回は眼鏡かあ? 似合わねえなあ! 服もダサいし、髪も……」
なんだかずっと喋りかけられているがそんな事は一切耳に入らず、僕はずっと男に見惚れていた。深く、紅い瞳に、魅入られていた。途中、ふと彼の言葉が脳に直接届いたような感覚がして顔を上げる。
「イアン……?」
彼に投げるでもなく、零したに近い僕の言葉に彼は酷く反応したように見えた。
「お前、知ってんの? 覚えてんのか?」
「……い、や、知らない。けど、なんだか引っかかるんだ……」
「ふぅん……そうかよ」
そう言ったきり、アイツは口を閉ざした。死んだ女の子とよく分からない男と三人という状況で、僕の頭はもう働こうとしてくれないようだった。
「あの……貴方の、名前は?」
「は?」
普通、人殺しをするようなやつに声をかける人間なんてそういない。僕だってそうなったら一目散に逃げ出すと思っていた。でも、今の僕は正常ではなくて、とにかくこいつに釘付けになっていたんだ。
「……お前に教えてやる名前なんて、ティムで十分だ」
ティム。
「なんだろう、やけに口に馴染む名前だね。いい名前だ」
「はっ、そんな事言うやつはお前くらいだよ」
そう言って笑った顔は少し歪んでいて、遠い昔、どこかで見たような顔だった。
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