とうとうラブコメの主人公になれたらしい!……俺の隣の席の奴が。

夏目有紗

第1話 ラブコメのはじまりはいつもご都合主義

「人生で一度くらいは、ラブコメの主人公になりたい!」

 握り拳が湿り気を帯びている。鼻の両穴がぴくぴくと膨らむのが分かり、慌てて自制しようとするが、意識すればするほど、ふんっふんっと己の鼻息を感じる。無理もない。こんな奇跡なんて一生に一度あるか無いかだ。この機会を生かそうとしない男がどこにいる?

 もう日もすっかり落ちてまん丸お月様が黄色く輝いている。その月光が照らす下、俺と少女は相対していた。俺は学校指定のブレザー。一方、少女は150センチもいかないであろう身長を白い着物で包んでいる。足元は赤いピンヒール。何より特筆すべきはセミロングの髪から生えている大きな白い耳。赤いリボンで飾られたそれらは、ぴこぴこと動いており、彼女が人間という種族でないことを分かりやすく表していた。

彼女は目を見開き、パチパチ、と瞬きをした後、心底、軽蔑したような眼差しを俺に向ける。

「うわっ……」

「お、お前が望みを素直に言えって言ったんじゃないか!」

「いやそうですけどぉ……」

 ごにょごにょ、と彼女は口ごもる。歯切れが悪い。

「永遠の命も輪廻の都合上、叶えられない、お金や土地など人の生んだ物や概念に関するものはどうにもならない。自然を動かすのは上の神様に叱られるから嫌。これもダメ、あれもダメ。で、これもダメなわけ?」

「強欲ですね」

「もう俺は帰るからな!」

 声が大きくなり慌てて口を塞ぐ。いくらここが田舎とはいえ深夜に大声を出そうものなら近所迷惑というものである。……いや、行きかう大型トラックのエンジン音の方がよっぽどうるさいしこのくらい問題無いな。

彼女は唇を尖らせて近くのブロック塀にもたれかかった。

「わかりましたよ、もう……ところでラブコメ?って何ですか?」

「知らないで引いていたの!?なんで!?」

「いやぁ……なんか知らないワード出してきたから困ったなぁって……」

「神様になろうとしているんだよねぇ!?世間知らず過ぎない!?大丈夫!?」

「失礼な!この私にかかればお前の望みなんか簡単に叶えてみせます!」

 こほん、と咳をすると、彼女は背筋を伸ばし、にぃっと笑みを浮かべた。

「それでは、天の奇跡、ご覧あれ~!」

 パンっと少女が手を叩く。瞬間、少女の姿は消え、暗闇の中に、ぽつんと俺だけが取り残される。

「……え?」

 ラブコメについて一切わからずに消えてしまったけど、大丈夫?



 話は数時間前に遡る。放課後、教室の端で俺は優(ゆう)と共に一冊の雑誌を囲んでいた。雑誌はアニメ雑誌と類されるもので、今月の特集はとあるラブコメ。

「ぐふふふふ……」

 でっぷり、という表現が似つかわしい体形の男、優がいかにもオタクらしい笑い声をあげる。椅子に座った彼の前には推しの『まどかちゃん』のビキニイラスト。

「嗚呼、ようやく!ようやくまどかちゃんのターンが来たんだ!……ぐふっ」

「良かったな」

 優の勢いに若干気圧されながらも俺は笑う。日陰者、陰キャ、オタク。どうとでも言ってくれればいい。俺らはつまりアニメが好きなのだ。まぁ、優は見た目から口調まで典型的なキモオタなのに対し、俺は口調も普通だし、見た目だって比較的まとも、だと信じたい。

「真守(まもる)氏はいい加減推しを一人に絞るでござる」

「無理に決まっているだろ!」

「じゃあまどかちゃん沼へ一緒に……」

「確かにまどかちゃんのぺったんこ胸は庇護欲をそそるが、なぎちんの美脚も捨てがたいし……」

 ラブコメ『俺がモテ始めた件』は主人公の男、ケイが様々な女性に好意を持たれていると勘違いする話だ。様々な女性が大変魅力的に描かれており、この中から一人を選ぶことなんてできない。

 雑誌を見てうっとりと溜息をついた時だった。

「教室に何持って来てんの、あれ」

 不快感の混じった、鋭い女子の声。この声の主は江波だ、江波莉子(えなみりこ)。少し離れた席で他の女子二名と共に冷ややかな視線を送っている。胸は大きめ、顔も綺麗で整っており、茶色っぽいセミロングの髪を後ろで一つに縛っている。黙っていれば美人という言葉を送りたい女性、クラス内できっと第一位。彼女はつかつかとこちらに歩いてくると、俺らの机にあった雑誌を取り上げた。

「没収」

 ちょ、えっ。

 唖然とする俺らに彼女は平然と言ってのける。

「校則違反でしょ」

「お前だって髪の毛茶色に染めているじゃねぇか!」

「これは地毛だってば!ちゃんと入学時に申請してあるし」

「だからって何の権利があって、」

「私、風紀委員だけど、何か文句でもあるの?」

 そう言われてしまってはどうしようもない。押し黙った俺としょんぼりとする優を背に彼女は教室を出ていく。その後ろを女子二名がくすくすと笑いながらついていった。



「はー、最悪」

「しょうがないでござる。校則違反は我々の方」

 苦笑する優は穏やかだ。いつもしょうがないって諦めていて、親友からすると少し心配になる。優しくて何事も受け入れ過ぎだ。

 雑誌を取り上げられた俺らは大人しく電車に揺られながら帰宅している。雑誌は担任にでも提出されてしまうのだろうか。それとも彼女達によってごみ箱に捨てられてしまうのだろうか。いずれにせよ戻ってくることは望まない方が良いかもしれない。

「それではさらばでござる~」

「さらばー」

 帰り際の挨拶は彼の言葉にいつも合わせている。さらば。ちょっと面白い。優は横に大きな体でホームへと降り立つ。

 高校生になって日常に変化があったかと問われるとそんなことはない。通う場所が変わった程度で彼女ができるわけでもなく、クラスのイケイケサイドに入れるわけでもなく、ただ真面目ですって顔をして平均以下の点数を取りながらクラスにいるだけ。優も同じ中学出身だし、俺と似たり寄ったり、といったところだろう。まぁ優の場合は中学の時に体形でいじめられていたから、そいつらと別の高校に入学したことで『さらば』できたわけで、だいぶ日常というものの変化を感じているのかもしれない。ともかくまぁ俺にとっては平凡な日常でスタートしてしまった日々は平凡のまま。ぼけーっとしているうちにいつの間にやらもう季節は夏の終わり。じめじめとした空気が肌を湿らせる。きっとありふれた男子高校生の日々。



 山々に囲まれた小さな駅の改札口を通ると開けたロータリーが見える。田舎の平日は人がほとんど見当たらない。地元の名物、おからドーナツの店はロータリーの向こう、右斜め先。ぐうぅ、と鳴るお腹が足を動かす。そうだ、高校生くらいになってからお腹がすくようになったのはちょっとした日常の変化かもしれない。成長期ってことか。170cmくらいまでは身長が伸びてほしい。今は165cmもいかないけど。

 狭い店内に入ると、見覚えのある丸い背中。見なかったことにして店を出ようとするが、後ろから声がかけられる。

「真守じゃないか」

「……ばあちゃん」

 杖もつかずにしっかりとした足取りの御年70歳の俺のばあちゃん。町内会のアイドルを自称する彼女は心も体も若い。そしてばあちゃんは大体面倒事を持ち込んでくる。

「ドーナツ、買いに来たんだろう?何帰ろうとしているんだい?」

「いや……」

「買ってやろう、ほら、どれがいい?」

「い、いや、自分で買うから」

「これとこれで良いか」

 ひょいひょいとかごに詰め込んでいく姿に諦めて俺は欲しかったドーナツをいくつか指差す。駅から家まですぐなんだし、空腹に負けて寄らなきゃ良かった。

「それでな、先日、祭りがあっただろう?」

 始まった。

「お社を掃除する人手が足りないらしいんだよ」

 ばあちゃんは俺に背中を向けて会計をし始める。話を察した俺はできる限り距離をあけるが、くるりとばあちゃんは振り向き、俺の足はピタッと止められてしまった。

「よろしくね」

 ばあちゃんはおからドーナツを俺に差し出すと、ニカッと笑う。



 昔からばあちゃんはよく真幸(しんこう)神社によく通っていた。俺の名前の『真守』の真の字はおばあちゃんの強い要望でつけられたと聞く。社は家からそう遠くない山の中にあるのだが、少し長めの急な階段を登っていかなければならない。ばあちゃんが足腰丈夫なのはこの階段を上り下りしているからに違いない。

 箒を担いで一人、階段を上る。管理する人がいない神社までの道のりはだいぶ草木が生い茂っていた。ばあちゃんは祭りがあった、と表現していたが、要するに毎年恒例の老人会の飲み会だ。中には80歳を超える人もいるらしく、誰か転んでケガしないかと心配になる。

 階段を上り終えると倒れかけの鳥居が俺を迎えた。昔は綺麗な赤色だったのだろうが、今やところどころが剥げてしまっている。小さい頃見た時には左右に狛犬の座った台座があったはずだが、いつの間にか片方の台座からは狛犬の姿が消えていた。誰かが撤去したのか物好きな人が盗んでしまったのか。そんなことが起きてしまっても話題にならない程度のお社。それが真幸神社だ。山の中腹にあって面積はそこそこあるものの、時代と共に見向きもされなくなって朽ちていく真っ最中のお社。

 神殿の中にあるというご神体が本当に今でも残っているかどうか、なんて話をばあちゃん達にするのは酷だろう。彼らの心の拠り所を掃除が面倒臭いから、なんて理由で無くしてしまえるほど俺も非情ではない。まぁさっきのおからドーナツで手打ちってことにするか。あ、結局ばあちゃんの思惑通りに動いちゃっているな。



 夕日が地平線と重なり、空を赤く染める中、箒とごみ袋を担いで階段を下りていく。普段、誰も手入れをしない神社というものは掃除し甲斐があるもので、気づいたら空が綺麗な赤色に染まっていた。社の裏側とかまだまだ綺麗にしたかったが、夜になると足元が見えなくて危なくなるのでおしまい。山の中だから夜に一人だとどんな野生動物に襲われるかもしれないし。

 階段を降りると緊張感が少し抜けて再び胃が空っぽになっていることを意識する。軽い。早く帰ろう。

 歩くスピードを上げる。ごみ回収所にごみ袋を放り投げ、角を曲がり――

「待ってください!」

 背後から女の子の声。振り向くと誰もいない。視線を落とすと、地面にうつ伏せに倒れている少女が目を潤ませながら立ち上がろうとしていた。どうもこけてしまったらしい。俺が慌てて腰をかがめて手を差し出すと、小さい手できゅっと掴み立ち上がっていた。

 可愛い。そう、可愛かった。顔は丸顔で目はくりくりとしている。高そうな白地の着物が転んだことで汚れてしまっていて可哀想だ。頭には犬のような白い耳がついている。あぁそうか、コスプレか。可愛いな。コスプレで秋葉原にでも遊びに行って帰ってきたのかな。こんな可愛い子、地元にいたのか。

「大丈夫?」

「ありがとうございます……やっぱりこの姿慣れません……」

「コスプレ初挑戦?」

「ちょっとよく分からないです」

「そ、そっか」

 なりきっているらしい。胸の鼓動がほんの少し速くなる。変わった子との遭遇。日常に起きた、そこそこ大きな変化。

「で、どうしたの?」

 努めて冷静に。お腹が空いていることより変化への渇望の方がずっと重症だ。

「真幸神社、掃除していましたよね?」

「見ていたの」

「はい」

 首を縦に振られる。と、心地良い風が首元を通り抜けた。神社からはもうとっくに離れたというのに、まだ神社の中にいるような不思議な感覚に襲われる。神社の中で掃除をしていた時よりもずっと己が神聖な場所にいるような気がした。ここは日常、道路の上。

「だから決めたんです」

 息を飲む。彼女の姿がコスプレという俗なものに見えていたはずなのに、まるで神聖な存在に触れてしまったかのような気がした。いや、多分それを期待しているのだ。いつか大きな変化が起こりますように。いい意味で予測不可能な日々を得られますように。

 彼女は紅を引いた唇に弧を描いた。

「あなたの祈りを叶えます!」

これはちょっとじゃない、すごく大きな変化だ。そうであってくれ。



 彼女の言葉を鵜呑みにするとこうだ。彼女は真幸神社の狛犬で神が消え去った後もずっとお社を守り続けてきた。けれど、神のいない社に力は無い。人々の切なる願いをいくら聞こうが狛犬にはどうすることもできない。朽ちていく社で一匹、たまに参拝に訪れる人々を眺めるだけ。だから、狛犬自身が神となることを決めた。八百万の神に直訴したところ、一つ条件を出された。『真幸神社に立ち寄った者の願望を神として叶えること』。タイムリミットは次の真幸祭まで。



「本来の真幸神社の能力を私に仮で付与されている状態にしていただきました」

 狛犬だと名乗る彼女は平然と語る。至って真剣な眼差しを信じたくなるくらいには俺も変化に飢えているわけで。

「でも、なんで俺なの?」

 ばあちゃんとか、老人会の人々の願いでも良いはずだ。そりゃ掃除はしたし、掃除の前にはきちんと神殿に手を合わせたりはしている。けれど信心深いかと問われれば間違いなくNOだろう。

「ウメさんの願いや幸次郎さんの願いは……いえ、神は人の祈りをみだらに口にするべきでは無いですよね。とにかく、あなたの願いは参拝する毎にいつも変わっていたので」

 ドキリ、とする。信心深くない分、参拝するたび、好き勝手に欲望を垂れ流していたのは確かだ。間違ってはいない。

「仮で力を与えられている状態なので行使にだいぶ制限がありまして。欲の深いあなたなら制限のある私でも叶えられる願望も持っていそうだなーって」

「ははは……」

 何とも言えない気分だ。煩悩の固まりですよ、俺は。君の言う通り。

「じゃあ、今から色々願望言っていくわ」

「お願いします!」

 彼女は綺麗に笑う。煩悩の固まりであろうが、その煩悩がこの子の役に立つというのなら喜んで差し出そう。真実がどうとか関係無い。こんな可愛い子とお喋りできるわけなのだから騙されたとしても仕方ない。

「よし、じゃあまずは石油王になりたい」

「石油や資源といったものは管轄外です」

「金持ちになりたい」

「人間が生み出したものについて神は干渉できかねます」

「不死身の体!」

「権限がありません」

 これはなかなか制限が厳しそうだ。

 あとは、と己の欲望を振り返っていると、彼女はしょんぼりとした顔をしていた。

「難しそうですかね……」

「いやいやいや!」

 正直、可愛い女の子と話せる機会をここで簡単に手放すのも勿体ない。嗚呼、そうだ、俺はやっぱり煩悩の固まり。

「いくらだって付き合うよ!」

 俺は勢い良く言い放ち、再び思いつく限りの欲望を口にし始めた。



 ――この時の俺は知らない。まさか制限があまりにも多過ぎて、このやりとりが夜遅くまで続くということを。



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