ディートハルト9
『用事で家を空けるんだけど……大丈夫かな? 国を出るから一ヶ月くらい家空けることになるけど…』
同居して一ヶ月を過ぎた頃、シルヴィアはディートハルトにそう告げてきた。
急ぎの用事と言うことで、話をした翌日にはシルヴィアは準備をして旅立った。
それから半月以上。シルヴィアからはなんの連絡もなく、ディートハルトは一人家で過ごしていた。
一ヶ月など、愛し子であった自分にしたらあっという間に過ぎると思っていたが、シルヴィアのいない時間は意外にも長く感じてしまった。
「……なんの用事なんだろうな」
本を閉じて、ぼそりと呟くも部屋はしんっ、としていてディートハルトの声は静寂に消えていく。
いつもなら、朝起きているかシルヴィアが訪ねてくるのに、ここしばらくはそれがないことに彼女がいないということを改めて実感させられる。
シルヴィアが起こしに来るから朝早く起きていたが、彼女がいないことが影響して、生活リズムが変化し、ここ最近不規則な時間に起きてしまっている。
「ニャゥ~」
ディートハルトの独り言に返事するようにシロが足元に来てすり寄ってくる。
「…なんだ? 寂しいのか?」
「ニャッ」
青い瞳がディートハルトをじっと捉える。
まるで、こちらの心を読もうとしているかのように。
「…お前の相手はしないからな」
「ニャウゥ~」
この白猫は人の言葉がわかる。だからきっと不満を口にしているのだろうが、相手は猫。当然、ディートハルトは猫の言葉はわからないしわかるつもりもない。
だがこの白猫はシルヴィアに懐いていた。シルヴィアも白猫をかわいがっていたな、とディートハルトは思う。
「…お前はシルヴィアに懐いていたからな」
窓枠に肘を置いて外を眺める。
外には人がたくさん歩いているのが窺える。
「……」
窓枠から離れてベッドに寝転がる。
国を出るなんて何があったんだろうと考える。
故郷で何かあったのだろうか? だが国外追放されたと言っていたから違うはず。
一ヶ月も家を空けるなんて普通じゃないことはわかる。だから尋ねたかったが、自分たちはそんなこと聞ける関係ではない。聞けるはずがないのだ。
「……俺は、
先日の外出で初めて聞いた内容を思い出す。
貴族令嬢だったことに婚約破棄と初めて知ったことばかりだった。
ディートハルトも王宮に一時的に滞在していたため、貴族について多少知っている。貴族の子女なんてみな非力そうな女ばかりだ。
ドレスに宝石を着けて優雅な生活を送っていただろうにいきなり平民に落とされるとは。
「……恩人にでも会いに行っている、と考えるべきか」
シルヴィアは恩人に対してとても恩があるように見えた。きっと大切な人なのだろう。
「……生きてて羨ましいよ」
自分はもう、大切な人と二度と会うことができないから。
そう思うと、普段は抑えている暗い気持ちに引っ張られる。
「…そもそも、ほんとに帰ってくるか」
家を空けると言った時のシルヴィアの顔を思い出す。
隠そうとしていたが何か抱えた表情をしていた。何か問題が起きたのかもしれない。
そう考えると帰ってくるかもわかったものじゃない。
「……こういう時、外の空気吸った方がいいな」
ぐるぐると胸の中で回る暗い感情に折り合いつけるために図書館に行って本でも読んで気分転換しよう、ディートハルトはそう考えて外套を着て外へ出たのだった。
***
シルヴィアが住むのはキエフ王国の王都で、当然のことながら人が溢れている。
三百年前の、自身が味わったスラムなどはなく、美しくきれいな街並み。
図書館の帰り。行きは昼頃だったため、人が多いのはわかるが、もう夕方なのに未だ王都には人が溢れ、賑わいを見せている。
シルヴィアには食材を使って好きに調理していいと言われているため、適当に作るかと考える。
「……」
賑わいを見せている王都を見て、シルヴィアは今何しているのだろうと脳裏によぎる。
お人好しだからまた人助けでもしてそうだ、と考える。誰にでも手助けすることはないと言っていたが、恩人に似ていると単純な理由で自分を助けたから信用できない。
「……作るのはなんでもいいか」
ぼそりと呟いて歩いていく。
すると前方から見知っている人間が目に入った。
「あれ、ディーン君?」
「…ニコル」
前方にはニコルが歩いていて、ディートハルトが名前を呼ぶと、相手はニコリっと微笑んだ。
今日は騎士の服装ではなく、私服と思われる服装をしていて、隣には男が二人いる。
「ニコル、知り合い?」
「へぇ~、子どもと?」
「まぁね。ディーン君、一人? エレインさんは?」
「…別行動している」
「そっか」
ニコル・ウォルフ。無愛想な自分に何かと気にかけている騎士。シルヴィア同様、よく自分を気にかけるな、とディートハルトは思う。
「何か困ったこととかはないかい? エレインさんにも言っているけど、何かあったら騎士団で俺の名前を出してくれたらいいからね」
こちらも完全に子ども扱いである。
「…なんで気にかけるんだ?」
「子どもを気にかけない大人はいないよ。ディーン君も守るべき国民だからね」
ニコッ、と微笑みながらディートハルトに向けて告げてくる。
こいつもまた、世話焼きの部類であるとディートハルトは結論付ける。
だが以前、師に言われた通り、悪人もいればシルヴィアやニコルのような世話焼きの善人もいるのだと、この放逐生活を通して知った。
「…大丈夫だ。…帰る」
「気を付けるんだよ」
手を振ってくるので、ディートハルトも手を小さく振り返して家へまっすぐに向かった。
食事は簡単に作って一人テーブルで摂る。
『いただきます。…うん、今日もおいしくできた!』
いつもなら向かいにシルヴィアがいて、楽しそうに食事をしていて。
少し、寂しいなと感じてしまった。
こんなこと、レラを亡くしてからなかった感情なのに。
「…忘れるな」
即座に否定する。同時に、琥珀色のペンダントを見る。
自分は大切だったレラを救うことができなかった人間だ。もう、大切な人を作らないと決めた。
これは一種のまやかしだ。そう、レラを忘れてはいけない。
「これは…違う」
心の中にある感情を否定して、言い聞かせてディートハルトは食事を終わらせてベッドに入った。
***
夢を見ていた。どんな夢か、と問われたら覚えていないが、決して不快な夢ではなかったとだけは言い切れる。
「…ただいま帰りましたよ」
僅かに聞こえる声に耳を傾けると同時に、頭を撫でられてくすぐったくて身動ぎしてしまう。
「んぅ…」
ぼぅっとした意識の中でゆっくりと目を開けるとそこには見慣れるようになった金髪の少女──シルヴィアがいた。
「……シ、ルヴィア…?」
久しぶりに紡いだ目の前の少女の名を呼ぶと、ニコリっと微笑んでくる。
「おはよう、ディーン君」
微笑んで挨拶するシルヴィアにディートハルトも瞼をこすって同じく挨拶を返す。
いつから人の顔を見ていたんだ、と尋ねるとそそくさと逃げたシルヴィアの様子を見て、寝顔を見られたと理解し、思わず不機嫌な顔になってしまった。
だが、同時に帰ってきたことに安心してしまった。
リビングに行くと約一ヶ月ぶりにシルヴィアと話をしながら食事をした。
心配していたのか、と聞かれつい嘘をついてしまったが相手には気付かれていて、じっと見ても無視された。
そして会話していたら言う気のなかったことまで話してしまった。
話してから何を言ってるんだ、と思って口を開こうとしたら大きな声で半ば叫ばれて、ディートハルトは耳をおさえた。
「私は絶対この家に帰るよ。だから安心してね」
小指を差し出して約束するまでの内容ではない。
だが、その内容はディートハルトの心を温かく包み込んだ。
レラの件以降、突然知り合いが消えるのに苦手意識を持つようになったため、その言葉はディートハルトの心を安心させるのに十分だったから。
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