VS黒江雪樹



◆VS黒江雪樹



 2人で夕暮れの道を歩いていた。長く伸びた影を踏みながらゆっくりと。

「ずっとこうしていられればいいのに」

 クロエ君が呟いた。

「僕は、君とはずっと一緒にいたいって思ってるよ」

 僕はそう返して、違和感を覚えた。デジャブのような感覚だった。

「それが無理なんだよ。ロロル君」

 なぜか彼は言い切った。

「どうして? 死が2人を別つまで僕らは————」

 あれ? 僕は一体誰と会話をしているんだ?

 別の誰かが、僕の中にいる。

「良い夢だったよ。でももう時間だ。ロロル君、ぼくはあの時の返事がききたくね」

「クロエ君、なんの話をしてるの?」

 館に着いた。エントランスに入ったところで彼は僕を振り返る。

「もう、思い出してくれていいよ。今和野一君」

 今和野一。

 その言葉で、僕は目の前の人間が復讐対象である黒江雪樹だと理解した。即座にスキル【怨呪】を使おうとしたが、発動の仕方までは思い出せなかった。

「返事を聞かせてくれ。覚えているだろう? きみはぼくに告白された。その時きみは言った。『分からないから保留にさせてください』とね」

 たしかに、言った。告白もされていた。

 1年生の終わり、冬だった。唐突に、「好きだ。付き合おう」と言ってきたのだ。意味が分からなかった。夏にはニコニコしながら人の腕を折っておいて、付き合おうだって?

 到底理解できない状況に、僕は「保留」という手を打った。

 彼の好意は、本物だ。

 今になって分かった。黒江雪樹でなく、クロエ君と過ごしたことによって、なぜ黒江が僕の腕を折ったのかが分かった。

 気を引きたかったのだ。

 イジメが渦巻く日常で、彼はどうしたら僕の気をひけるか考えたんだろう。クラスメイトがイジメに趣向を凝らすなか、黒江はシンプルに、インパクトのある行為を選んだわけだ。間違いなく黒江が1番だった。クラスメイトたちも一線を越えたイジメをした黒江を恐れた。何を考えているのか分からない黒江雪樹を。

「僕の仲間がここにいるんだろ? 返せ。無事なんだろうな」

「その質問の答えは、保留にさせてもらうよ」

 黒江は背を向けてエントランスを歩いた。

「ふざけるなよ」

 怒りがこみ上げてくる。手が何かに当たった。剣の柄だ。忘れていたけど、ずっと背負っていたんだ。抜刀して、黒江に斬りかかった。脳天めがけて真上から振り下ろす。

 高い金属音がした。僕のショーテルはクロスさせた双剣によって止められた。湾曲してる故に防御しにくいショーテルをうまく防いだ剣……僕はそれに見覚えがあった。

 ふっ、と目の前から黒江が消えた。いや、黒江は屈んだのだ。床を擦るように放った蹴りが僕の脚を払う。冷たく硬い石の床に僕は倒れた。

「カズ君は何人その剣でかつてのクラスメイトを斬ったんだい?」

 追撃はこなかった。革靴で軽快に床を鳴らしながら、黒江はエントランスを歩く。僕は立ち上がって、逆に質問した。

「クラスメイトたちの記憶から僕を消したのはなぜだ?」

 もう一度スキルを使えないか試した。

 ダメだった。

「きみは忘れているけれど、それはね、きみがぼくに頼んだことだったんだよ」

「僕が……?」

「そうさ。きみはね、みんなと一緒に目覚めてるんだ。女神のあの真っ白い空間でね。そして自分の死と、周りの状況を見て泣き叫んだ」

 そうだ。

 僕は言ったんだ。

「『死んでもコイツらと一緒なのか』ってね。みんながスキルを貰い受ける中、きみだけは泣き続けていた。【忘却】を貰ったぼくはきみに言ってみた。『苦しいなら、忘れさせてあげるよ』ってね」

 そして、僕は頼んだ。

「じゃあどうして、僕の記憶から君を消した。好きなんだろ? そうだとしたら好きな人の心に残りたいと思うはずだ。違うか?」

「そう! まさにその通りなんだよ。ぼくは永遠にきみの中にいたいんだ」

 黒江は笑った。クロエの時と変わらず、彼の笑顔には偽りがない。

「その気持ち故のことだったんだよ。この一連の出来事は」

「なにが」

「君の中の僕を消したのは、きみの頼みだったからだよ。でもね、ぼくの中からはきみを消さなかった。死んでも死にきれなかったきみをね、ぼくの中だけに生かすことにしたんだ。この世界で、ぼくしかきみを知らない。素敵な気分だったよ。きみはぼくだけのきみ。きみは現実逃避するように眠ってしまった。そして————」

 黒江は不意に斬りかかってきた。僕はショーテルの刃を裏返して受ける。弧の内側だと塞ぎにくいからだ。2本の短剣のうち1本は防いだが、残りの1本が僕の腹部を掠めた。

 黒江は再び距離をとる。

「そして1年後、偶然にもぼくはきみを見つけた。仲良く奴隷服に身を包んだ2人組。きみの隣にいた女の子が、きみが探してる仲間さ」

 奴隷服を着ていた日? 王城から抜け出して、新しい生活に胸を躍らせていたあの日か。

 隣にいた女の子。そうだ、恥ずかしがり屋で、僕に不死の呪いを分けてくれたあの子。

 不死の繋がり。死が2人を別つまで————。

「フェニ……!」

 ようやく思い出せた。フェニ! フェニだ! 僕をずっと支えてくれた女の子。こんな僕を肯定して、好きでいてくれた人。

「やっと思い出せたんだね、カズ君。そう、フェニ。賢木藤美。ぼくもね、忘れていたんだよ。うっかりしていた。クラフトたちの記憶は消した。でも罪人として奴隷に転生した彼女の記憶を消すのを忘れていたんだ。ショックだったよ。ぼくだけのカズ君だと思っていたのに、それなのに……きみはあんなに嬉しそうに笑っていた」

 両手をだらりと下げて黒江は立ち尽くした。

 僕は太刀川の言葉を思い出した。

 彼は自ら大馬車に飛び込んだように見えたんだ————。

 黒江はとても悲しそうに見えた。

「さぁ、カズ君。そろそろ聞かせてくれるかい。あの日の告白の返事を」

 僕はあの頃の黒江が怖くてたまらなかった。ちらりと視線を向けるといつも目が合った。

 彼は常に僕を見ていた。車にはねられ死にかけた猫を殺した春の日から、ずっとだ。

 僕は震えていた。涼しい顔で骨を折られた。やがては命まで彼に奪われるんじゃないかと。

「僕は、君とは付き合えなかったよ」

「そうか」

 彼はうなずいた。僕は続ける。

「怖かったんだ。あそこでの黒江は。でもこの世界で絵を描いていた君とは、いい友達になれるんじゃないかって、そんなことも思ってた」

 復讐対象に、なにフォローをいれてるんだ。

 身も心もズタズタにしてやれ。こいつは僕の腕を折ったんだ。大切な人を消したんだ。

「ロロル!」

 そこにサティとニロがやってきた。

「2人とも! 無事だったんだね!」

「ご歓談は後ッ! 【フレイムスネイク】!」

 サティが問答無用で魔法を発動した。地を這う大蛇のごとき炎が黒江を襲う。

 黒江は気だるそうに短剣を上着の内側の鞘に戻して、手を翳した。炎の壁が出現する。2つの炎はぶつかり、真っ黒な煙となって消えた。

「へぇ、魔法も使えるのね。でもね————」

 黒江の後ろで何かが動いた。ニロだった。

「【奈落の一口】(エイビスハグ)!」

 ニロの腹の口が黒江を噛みちぎったかのように見えた。いや、噛んだのは黒江の黒い上着だった。

「個性豊かな友人だよね」

 彼自身は天井高く跳んでいた。電気が走ったかと思うと、シャンデリアが砕け散った。破片がそのままナイフとなって僕らに降り注ぐ。

「【サンダーウェブ】」

 サティが僕らの頭上に雷電の網を張る。シャンデリアの破片は僕らに届く前に焼失した。

「このままアンタを電気の網で捕まえてやるわ」

 黒江は重力にしたがって落ちてくるしかない。そして電気の網に直行……のはずだった。

「ふうん? 2人ともぼくのスキルを防ぐほどの防御魔法を被ってるのか」

 あろうことか、黒江は宙に浮いたままだった。

「まさか……アンタ浮遊魔法まで使えるの!?」

 サティが驚きを隠せずに叫んだ。黒江は首を振る。

「ぼくが使えるのはせいぜい三属性の中級魔法ぐらいだよ。これはスキルの効果さ。ぼくの体に重力を忘れてもらったんだよ」

「今までクラフトが可愛く思えるほどの能力ね……」

「君たちはどうやらまだ彼女を思い出していないみたいだね。もう意味ないし、返してあげるよ」

 黒江はパチンと指を鳴らした。

 サティとニロは突然、深い水中からやっと出た時のように荒い呼吸になった。

「フェニ……」

「思い出したぁ〜……」

「よかったね。大切な思い出だけが戻ってきて」

 電気の網が消えたのを見計らい、黒江は床に舞い降りた。

「なんでも『忘れさせられる』なんて……チートかよ」

 僕の口から乾いた笑いが漏れる。

「ぼくらクラフトのスキルは使い方次第さ。例えば、生きることを忘れさせたり」

 刹那、視界が真っ暗になった。

「ロロルぅ!」

 ニロの声で我にかえる。

「この男、とんでもないマナを保有してるわね……。強化後のロロルぐらい。これじゃスキルも撃ちたい放題だわ。ニロ! そいつを足止めして! アタシはロロルの分のベールを作るわ!」

「了解ぃ!」

 ニロが黒江に突っ込む。肉弾戦だ。黒江は相変わらずの涼しげな顔で回避する。

「今アニスにこの館やあたりをネクロマンシーで探してもらってるとこよ」

「見つかってくれ……!」

 ニロの悲鳴が聞こえた。彼女はなんらかの攻撃を受け、エントランスの壁に叩きつけられるところだった。杖のように長い燭台を持った黒江が、エントランスの中央に立っている。

 生きることを忘れさせられたって、僕は死ぬわけじゃない。

「黒江ぇ!」

 僕は黒江に斬りかかる。黒江の持つ燭台は三又になっていた。そこに引っ掛けるようにして黒江は僕の斬撃を止めた。振り回しても蝋燭の火は消えずに燃える。蝋燭自体も溶けて滴らない。そんなこと忘れているのかもしれない。

「カズ君、そんなにあの子が大事か」

「当たり前だ!」

「いま猫の子が館を必死に探してるんだろうけど、見つかるのかな?」

「どういうことだ?!」

 僕の怒声に、黒江は微笑む。

「パーティの料理、どれが美味しかった?」

 氷の魔法でも受けたのかと思った。全身が冷たくなる。

「柔らかく蒸したあのお肉? それともトマトのスープ?」

 こいつ、何を言ってるんだ……?

「まさか……」

「うわぁあああああ!」

 ニロが黒江に飛びかかった。黒江はマタドールのようにそれを躱す。

「そうそう。彼女の血で夕陽の絵を描いたよ」

「クソがぁあ!」

 僕の剣は虚しく空を斬る。

「でも誰も買わなかった。だから川に捨ててやったよ」

 炎の匂いがした。

 天井まで届く火柱が突如として現れる。

「ど腐れお坊ちゃん、その性根鍛えてやるにゃ」

 アニスだった。火炎を握るグローブを打ち鳴らし、死んだ魔物の群を従えている。

「ごめんねみんな! どこにも見当たらなくて、我慢できなくて来ちゃったんだ」

「ちょうど猫の手を借りたかったとこよ! 【ロックコーラル】!」

 サティの魔法により、石の床がサンゴのような棘を何本も生やした。

 だけど、黒江は炎も石も避けて、階段に立った。

「ロロル、これ!」サティが僕にマナのベールを被せた。「これでヤツの【忘却】は効かないはずよ」

「ありがとう!」

 これで4人共【忘却】に対抗できる体になったわけだ。

「そんなにぼくを殺したいかい?」

「フェニを返せ。僕らは復讐者だ! 仲間を傷つけた怨み、絶対に忘れない!」

「あははっ。ずっと忘れてたくせに」

 黒江は燭台をヒョイと振った。

 館中に火の手が上がる。

「カズ君、きみはぼくを殺すのか。こんなにぼくは、きみのことが好きなのに」

「もう一度言う! フェニを返せ!」

 僕は階段を駆け上がった。身体強化の魔法を駆使して肉薄し、剣を振り下ろす。

「カズ君。ぼくが死ぬまで一緒にいようよ」

「断るッ!」

 僕の渾身の一撃は容易く燭台で遮られた。つば迫り合いとなり、僕らは至近距離で向き合った。

「なぜだい?」

「僕は……」

 そうだ。

 黒江や、クロエ君のことは関係ないじゃないか。

 この場で断る理由は決まってる。

「僕はフェニが好きだからだ!」

 ぽとり————。

 手のひらに熱いものが当たった。

 蝋燭だ。火で溶けて、僕の手に垂れたんだ。

「彼女を返せェ!」

 黒江の燭台を力で弾き、ガラ空きになった彼の腹を斬った。

 燭台が黒江の手から落ちる。僕はショーテルの弧の外側でもう一度黒江を斬った。

「あーあ……つい防ぐの忘れちゃったよ……」

 彼は踊り場に倒れた。

「やったの?!」

 サティが聞いた。

「うん。きっとね」

 僕は答えた。

 その時、館の出入り口の扉が開いた。

 そこに立っていたのはフェニだった。

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