魔球
Jack Torrance
1.招かれざるピンチ
後一人、此奴を仕留めればゲームセットだ。
レッドソックスのクローザー、リッキー スタインバーグは自らが招いたピンチを背負い悪戦苦闘のピッチングを強いられていた。
伝統の一戦。
ヤンキース対レッドソックス。
グラウンドはレッドソックスにとっては敵地ヤンキー スタジアム。
得点差は2-1で僅かに1点差のリード。
此処がホームのフェンウェイ パークだったら少しは気持ちも楽なんだが…
スタインバーグは心の何処かでそう思いながらマウンドに向かっていた。
9回裏のヤンキースの攻撃は打順の巡り合わせも良く1番バッターのライル カールセンからだった。
スタインバーグは1ボール2ストライクとカールセンを追い込んでいたがカーヴをショートにどん詰まりにされ内野安打を許した。
畜生、当たりが強ければ1アウト戴きだったのにな。
スタインバーグは心の中で舌打ちする。
続く2番バッターのジェレミー ベッカーは1ボール2ストライクと追い込んでサードゴロと打ち取ったがゲッツー崩れで俊足のベッカーは1塁はセーフだった。
クソッ、此畜生めがッ。
スタインバーグはスパイクの爪先でマウンドを蹴り悔しそうに地団駄を踏む。
続く3番バッターのゲイリー フレドリクセン。
俊足のベッカーが気になりセットポジションで1塁への牽制球を執拗に放るスタインバーグ。
バッターのフレドリクセンには集中出来ずコントロールが定まらずにストレートのフォアボール。
畜生、クソッ、クソッ、クソッ。
左手のグローブを太腿に打ち付け悔しがるスタインバーグ。
1アウト一塁二塁。
得点圏にランナーを背負い苛立つスタインバーグ。
噛みタバコの唾を何回もマウンドに吐き苛立ちを露見させる。
4番バッターのサンチェス レブエルタを迎えた。
レブエルタはキューバ代表のスラッガーだったがスタインバーグはレブエルタとは相性が良かった。
今シーズンの対戦成績は12打数1安打と抑えていた。
しかし、レブエルタは芯で捉えれば場外まで持って行くスラッガーなので油断は大敵。
キャッチャーのルイス マルティネスのサインにあっさり頷き1球目を放る。
打ち気満々のレブエルタは1球目の内角高めの球速154kmのストレートを難無くショートのポップフライにしてくれた。
フー、ラッキーだったぜ。
溜息を吐くスタインバーグ。
続く5番バッターのドミンゴ イグレシアスも力を抜けるバッターではなかった。
今シーズンここまで3割0分7厘、本塁打29本と当たっているイグレシアス。
マルティネスのサインに二度首を横に振り投じた1球目。
イグレシアスは絶妙なバットコントロールで1球目の外角低めのスライダーを上手くバットに乗せて浅いライト前ヒット。
芯を外され流石に打球の勢いも無く当たりが弱すぎた為に俊足のベッカーもホームを狙うのは自重した。
これで1アウト満塁。
ピンチを招いた状況でレッドソックスベンチから監督のケヴィン ロゴサムがマウンドに発破を掛けに小走りで向かった。
小太りで顎と頬に肉を弛ませレッドソックスのユニフォームに身を包んでいるロゴサムは近所の陽気なレッドソックスファンといった感じだ。
「おい、スタインバーグ、もちっとシャキっとせい」
「イエッサー、監督」
ロゴサムがスタインバーグの臀部をパシッと平手で打ってベンチに引っ込む。
スタインバーグは次のバッターに備えてロージンバックを手に馴染ませる。
ロージンバックで白い粉を塗した指でベースボールキャップのつばに手を掛け脱帽すると額から吹き出る汗を二の腕の袖で拭い深くベースボールキャップを被り直した。
6番バッターは、これまた俊足でスラッガーのマリーノ キャグニー。
ここは内野安打や外野フライ、ましてやフォアボールも許せない重要な場面だ。
ゲッツー崩れでもチームの勝ちを飛ばしちまう。
ここは絶対に三振狙いだ。
そうスタインバーグは己に言い聞かせ慎重に球を放った。
マルティネスとの阿吽の呼吸で己の持ち得る球種と緩急自在のピッチングを駆使して際どいコースを突いていく。
ロージンバックに念入りに指を馴染ませ首元に伝う汗で指を湿らせボールがすっぽ抜けないように気を配る。
3ボール2ストライクとフルカウントからのキャグニーに放った渾身の163km内角ギリギリ高めのストレート。
スタインバーグの放った渾身の一球をキャグニーはボールと見て見送った。
クルーチーフも務める球審のコディ ブラネルは一瞬内心で躊躇ったがストライクのジェスチャーを豪快に決めた。
嗚呼。
どよめくヤンキー スタジアムのファン達。
キャグニーを三振に仕留めたスタインバーグとマルティネスのバッテリー。
またしても大きな溜息を吐くスタインバーグ。
ゲームセットまであと一人。
切れない緊張の糸。
7番バッターは、ここまで4打数で3三振とファーストゴロのファレ ペレケイノス。
ヤンキースベンチはここで動いた。
ベンチから身を乗り出さんばかりに自陣の攻撃を見守っていた監督のラウル スタイザーはベンチからゆっくり出て来た。
その緩慢な歩みはナマケモノを想起させる。
激し易い監督が多いMLBの中で温厚で気長に構えるスタイザーならではのパフォーマンス。
球審のブラネルに歩み寄ったスタイザーが一言。
「代打ロドリゲス」
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