続・嘘つきな僕ら
桐生甘太郎
1話「それからの僕」
「僕たち、真剣な付き合いをしているんです。だからどうか、認めて下さいませんか」
彼がその台詞を言うまでに、五年掛かった。その間、僕たちは自分たちの関係をまた秘密にしていた。
僕の両親の困惑する表情を見つめながら、僕は考えていた。
“今度はもう放したくないんだ。だからどうか「うん」と言ってくれ”
話は、五年前に遡る。それから、もっと前の事についても、改めて僕が考え直した結論を話そうと思う。
あの頃、僕と雄一は、お互いを愛していた。でも、その心と言葉は拙くて、僕たちはまだ何も知らない子供で、結局、「愛するってなんなのか」なんて事も、考えなかった。
互いを裏切る形で別れる事になって、後悔をしていたのに取り戻せなかったのは、勇気がなかったわけじゃない。「戻れるんだ」と知らなかったからだ。
信頼を取り戻す。それは、時間と愛を費やせば可能性はあると、僕たちは知らなかった。だから戻る道が見えなかったんだ。
大学を卒業した僕は、死ぬかと思うほど辛い思いをして、一軒の零細企業で事務員の仕事に就いた。
そこは本当に小さな会社で、僕が入った年の新卒内定者は、もう一人の女性だけだった。それも特例なくらいに多いらしく、いつもは一人採るか採らないからしいと、後から聞いた。
「社長が変わってから、仕事を積極的に引き受けるようになってね、人手が足りなくなったのさ」
課長は喫煙所で煙草を吸いながら、僕にそう言ってくれた。僕も、手元のセブンスターを一口吸ってから、煙を吐く。
「そうだったんですか。じゃあ製造と運送は忙しくなりますね」
「そうそう。そっちの方がもっとてんやわんやだよ。こちとら配送だって自社持ちなんだからさ」
課長はやれやれといったように首を振って、ちょっと凝り固まった肩を回す。
「まったく。確かに、仕事を断れば次からは受けづらくなるとは言え、人を増やしてからやってほしいもんだ」
「まあ、そうかもしれないですね」
あまり社会に明るくない僕は、積極的な答えが返せなかったけど、愚痴を言い終わると課長は「お先に」と言って、喫煙所を出て行った。
一人喫煙所に残されて、僕は胸に苦い煙を吸った。
仕事。それは、辛い事の方がずっと多い。楽しみもないわけじゃないけど、やっぱり辛かった。
そんな風に思っていると思い出す事があって、とうとうこんな物に手を出してしまった。
彼が吸っていた、気障できつい煙草。それは今や、僕の物でもある。
“どうしてるかな”
そう思っても、確かめる術なんかない。
別れて数年してから、彼は引っ越したと風の噂で聞いて、僕は削除した電話番号も、メールアドレスも忘れてしまっていた。
“もう会えないから、思い出としてとっておこう”
僕はそう諦めながらも、彼を忘れられなかった。苦い別れだったから、余計に気になったのかもしれない。
煙草をもみ消してスタンド灰皿の中に落とすと、僕は仕事に戻るため、喫煙所を出た。
僕は毎日雑務をこなし、時に課長から愚痴のように叱られて、一緒に入った女性社員と、毎日雑談をしていた。
彼女の名前は谷口真理。社員証の顔写真の横には、かわいらしいクマの、ぷよぷよとしたシールが貼られている。
彼女は可愛い物が好きな、甘い飲み物が好きな、ごく普通の女性だった。
仕事は頑張り屋で、たまに僕も置いて行かれるほどのスピードを見せる事もある。だからなのか、時にそれにくたびれてしまうらしいので、僕は「力抜いて、谷口さん」とよく声を掛けている。
その日の昼休憩の時に、僕はいつものように谷口さんと喋っていた。
「ねえねえ、相田さん、今度カラオケでも行きませんか?」
「え、ええ?カラオケですか?僕、歌ってあんまり得意じゃなくて…」
「ええ~、そっかあ。でも、歌は楽しければいいんですって!」
「で、でも、恥ずかしいですよ」
僕は、その時思い出していた事があった。いつも、こんな時には心が過去に戻ってしまう。
“雄一はロックが好きで、歌ってる姿もかっこよかった”
今の僕より、ずっと若くて、幼いとすら感じるようになった、それでも大事な彼の姿。
照明が薄暗いカラオケボックスで、彼のシャウトにびっくりしていたら、「なんだよこんくらいで。びっくりしたのか?ごめんな」と気遣ってくれた、彼。
“それなのに、どうしてあんなことになったんだろう”
その答えももう出ている。僕たちは若すぎたのだ。
「相田さん?どうしたんですか?カラオケ、やっぱり嫌…?」
僕がはっと気が付くと、目の前の谷口さんは、心配そうに僕を覗き込んでいた。ブラウンの彼女の髪が、傾けた首を滑るようになぞっている。
「い、いいえ、ちょっとぼーっとしてて」
「そっか。すみません、なんか、変な誘いしちゃって」
「大丈夫ですよ。僕こそすみません」
僕は彼女に気を遣わせてしまったので、謝る。そうすると、彼女はこう言った。
「でも…相田さんと、お食事くらいなら行きたいな…」
そう言った時、谷口さんは顔を赤くしてうつむいていて、僕は彼女にどう見られているのか、分かってしまった。
“断らないと”
そう思ったのに、僕はその理由がなんなのか分かっていたから、悲しかった。
“僕はまだ彼が好きなんだ”
とうに失った恋のために、自分が今を捨てようとしていると思うと、ほんの少し切なくて、とても寂しかった。
「す、すみません…じゃあ、機会があれば…」
やんわりと、彼女の誘いを断った。だって、機会は作らなければ訪れない。
谷口さんは、「そっか。ごめんなさい」と言って、自分のデスクに椅子の首を回して向い合せ、うつむいて食事に戻った。
僕は、今傷つけてしまった彼女の事も忘れ、もう帰れない日々について、考え続けていた。
Continue.
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