第35話 レイアの慟哭
ヒナミが真の姿を現した。
下半身にはイカのような、タコのような黒い触手が生え、そこから人が生えている。とはいえ、人型のほうも人間だとはとても言えない見た目をしている。赤色に染まった全身は湿ったように光沢を放ち、ツルツルとしている。腕は長く、3mほどあるだろうか。地面に引きずっているその先端には、イカの嘴のようなものが備わっていた。
唯一ヒナミだと判断できるのは顔だろうか。髪の毛も触手のように変わっていたが、触手の隙間からわずかに覗く顔だけは幼い雰囲気を残す彼女のままだ。
「まぁ、人魚というより烏賊の化け物ですが」
彼女はそう言うと、一番近くにいたエアサーベルテイルに触腕を伸ばした。その動きは恐ろしく早く、素早い虎のような身のこなしでも避けることはできない。
しっかりと胴体を赤い嘴で咥えられた獣はしばらく藻掻いていたが、噛み砕かれて絶命した。
「これがヒナミの本当の姿…」
エアサーベルテイルたちはヒナミを脅威と認識したようで、俺を無視して彼女を取り囲み始める。
数にして、10〜20匹はいるだろうか。そんな数の虎に囲まれたら、例え銃を持っていようが普通の人間では生還できないだろう。
ただし、彼女は普通の人間ではない。
「あは♡」
本体は決して俊敏ではないが、嘴の付いた触腕の動きはかなり早い。それに、この姿になっても引力は健在なようで、逃げようとした獣たちは吸い寄せられるようにして嘴に砕かれる。
腕は2本しかないため、獣全てを捌くことはできない。当然ヒナミは噛みつかれ、また彼らの名前の由来となったであろう尻尾から繰り出される空気の刃で切りつけられる。
プルプルした見た目のとおり、ヒナミの身体は柔らかいようで、攻撃されるたびに穴が空き、裂けるが、すぐに再生していた。
エアサーベルテイルたちは、アレには勝てないと判断したようだ。
およそ半数が砕かれたころに、獣たちは散り散りに逃げ出した。
しかし、それを彼女が許すはずがない。
様々な方角に逃げたはずの獣たちは、彼女を中心に吸い寄せられる。地面や木々に爪を立て、超常の力に抗おうとしていた獣もいたが、皆一様に引力に負け、ブラックホールに吸い込まれるように宙を舞った。
そこから先は、ただの虐殺だ。
逃げようにも逃げられない獣たちは、嘴が自分に襲いかかるのを待つしかない。
地面に伏せ、ただ静かに死を待つしかないのだ。
「これが転生者の力…」
思えば、レイアも天使と戦ったときに異形の姿を晒していた。
勝手に転生者は人型が多いものかと思っていたが、実は逆なのかもしれない。
本当の姿が、異形で、仮の姿が人型なのだと。
そう考えると、実はハルキも人間形態になれるのではないだろうか。常に調査団の団員の様子や、各地の枝の様子を把握しているためには、人間形態になる余裕なんてないのかもしれない。
そうしているうちに、あれだけいたエアサーベルテイル達は全滅し、ヒナミは異形の姿のままこちらを見つめていた。
「怖がらないんですね」
「最初の方が怖かったからな」
ぶっちゃけ、見た目がどうこうよりも縛られて切り刻まれる方が恐ろしい。
しかし、レイアも気にしていたが、やはり見た目は気になるのだろうか。
ハルキも自分の見た目の話をしていたときに少し元気がなくなっていたように思える。
元々人間だったがゆえに、人間相手にコンプレックスを感じやすいのだろうか。本当は人間でいたかったとか。
「ふふ、やっぱり優しいです」
彼女の身体の内側に触手がズルズルと収まっていき、徐々に身体が肌色になっていく。
「急に戻るな!!」
俺は慌てて目を逸し、ヒナミが服を着るのを待った。
「別に、私は見られても構いませんよ。一緒にお風呂にも入りましたよね」
すると、ヒナミが裸体のまま目の前にゆっくりと割り込んでくる。慌てて目を瞑ると、今度はそのまま抱きつかれた。
「一緒にいると、どんどん愛おしくなっていきます。やっぱり、もう二度と離れたくない…」
怖いことを言わないでくれ!
しかも、こんないつ獣に襲われるかも分からない場所で、片方は裸、片方は目を瞑っている。
いくらなんでも危険すぎる!
そして、こういうときの予感というものは当たるものだ。
俺は、かつてないほどの殺気を感じ、思わず目を開いた。
そこに居たのは獣ではなかった。
しかし、ある意味では獣よりも恐ろしい存在だった。
「何を、しているのかしら」
それは、一切の表情が抜け落ちたレイアだった。
「ち、違う!これは別に、やましいことはなくて!」
傍から見たら裸の女と野外で抱き合っている図だ。流石に異世界だって犯罪認定される。
「見ていたから知っているわ。そこの女が勝手に抱きついてきただけだということは」
良かった、誤解はないらしい。どこからか俺たちを見ていたようだ。
だとすると、彼女は何を怒っている?
静かに彼女は話続ける。
「貴方、私に守られたくないって言ったわよね。だから無茶なことするのよね?」
平伏の黄原で話したことだ。途中で遮られたと思っていたが、彼女はきちんと聞いていたらしい。
「あ、あぁ」
彼女の剣幕に圧倒されつつも俺は答える。
「でも貴方、そこの女に守られている間、何かしていた?」
「え…?」
彼女は、ヒナミがエアサーベルテイルと戦っていたときのことを言っているのか…?
少し考えている間にも彼女は話し続ける。
「そんなに私に守られるのが気に食わない?」
彼女がとんでもない誤解をしていることに気が付いた。
違う、そういうわけじゃない、俺はただお前と対等でいたいだけなんだ。
「わざわざ他の女と街の外に出るほど、私のことが気に食わないの?」
違う、俺はレイアが大事だからこそ自分にできることを全力でやろうとしているだけなんだ。
「答えろ、紳弥ッ!!」
彼女はヒナミを俺から引き剥がし、至近距離で俺を見つめる。
心のなかではいくらでも弁解はできた。
だが、こんな彼女を見たのは初めてで、言葉がでなかった。
彼女は泣いていた。
どうしてレイアがここに来ることができたのだろうか。きっと、嫌いなハルキにわざわざ俺の居場所を聞いて、端末の場所を追ってきてくれていたのだろう。
それこそ、俺が1人で町の外を彷徨っているのではないかと不安になりながら駆けつけてきてくれたのかもしれない。
俺は、何をしていただろうか。
ヒナミに守られて、それを当たり前だとは思わなかったが、確かに何もせずに見ていたのは事実だった。
これがもしレイアだったらどうだっただろう。彼女と獣の間に割って入っただろうか。少なくとも、彼女が真の姿を表す前にもう少し戦っていたかもしれないが、それは今、こうなってから考えていることであって、そのときにどうだったかは分からない。
いや、そもそも、こんな状況分析や、もしものことを考えている暇はない。
最愛の幼馴染が泣いている。何か言わなくては。
しかし俺が口を開く前に、再び彼女が口を開いた。
「助けになんて、来なければよかった」
彼女は俺を軽く突き飛ばす。
後ろに数歩、下がる程度の威力だったが、それは彼女が俺を拒絶した証だった。
「さよなら。これからは精々そこの女と仲良くしてろ」
レイアは俺に告げ、踵を返した。
このまま、何も言えないまま彼女を行かせてしまっていいのだろうか。
「情けないですね女ですよね。勝手に嫉妬して、自分勝手に拒絶して。大丈夫ですよ、貴方は私と一緒にいるんですから。あの女のことなんて忘れてしまいましょう」
いつの間にか服を着たヒナミがもう一度纏わりついてきた。
俺が拒絶する前に、レイアが振り返った。
「離れろ」
「嫌です。貴方が言ったんですよ。仲良くしてろって。まぁ言われなくてもしますけど」
「離れろ」
「本当に女々しい。そうやって、彼が追ってきてくれることを期待している。素直に諦めてくださいよ」
「離れろ!!」
レイアの剛腕がヒナミに振るわれる。
ヒナミは俺を突き飛ばし、その身体で拳を受け止めた。
「彼に当たるところでした。よくその口で、彼を守るだなんて言えるものですね」
「黙れ!」
更にレイアが力を振るう。
だが、殴られたヒナミは話すことをやめない。
「ずっと目障りだったんですよ。幼馴染だとか言って、彼にまとわりついて。私だって幼馴染なのに、彼は覚えてくれてないんですよ。でも、それはこれから思い出して貰えばいい話です。邪魔者がいなくなった、これから」
「黙れぇぇえ!!!」
ついにレイアは転生者としての能力を行使する。
現れた複数の腕。力を開放したレイアが繰り出した一撃は、容易にヒナミの身体を粉砕した。
「はぁ…はぁ…」
返り血に濡れながら息を荒くする幼馴染。
憎悪に塗れたその表情は、今まで一度も見たことのない顔だった。
「暴力ではなく、口で話せばいいじゃないですか。彼は話せば分かってくれる人ですよ」
粉々の状態から、何ともなかったかのように復活したヒナミは、そう言って彼女を更に挑発した。
「……るか」
レイアが俯いて何か言った。
「偽物の幼馴染に私の気持ちが分かってたまるか!彼のことならなんでも知っている、幼馴染だから!それなのに、今は彼が何を考えているかが分からないッ!彼はこの5年間で変わってしまった、この5年間を一緒に過ごすことができていれば、私達は変わらずに幼馴染だったはずなのよ!」
「はは、何を言っているか分かりません」
確かに支離滅裂なことを言っている。
だが、レイアの気持ちは痛いほど伝わってきた。
俺とレイアは同じ気持ちなのだと思う。ただ、俺が思っていた以上に彼女は不安だったようだ。
「ごめんレイア、俺は…」
「駄目ですよ、貴方が出る場面ではありません」
「ぐぅあ!!」
俺は突然ヒナミにナイフを刺される。
痛みで地面に倒れて蹲るしかできない。
レイアがこちらをチラリと見た気がした。
「そういうことが出来るのが貴方が偽物の証拠なのよ。本当の幼馴染なら、命を賭けてでも守りたいと思うの。傷つけるものは全て排除したくなるくらいに!」
「守れていないじゃないですか。彼、私からがあげた力が無ければ何度死んでいるんでしょうか。無力過ぎませんか?戮腕さん」
「可哀想に。他人の幼馴染を必死に自分のものだと思いこんで。見捨てられた女って、見苦しいわね」
「…今、なんて言いました?」
ヒナミの雰囲気が変わる。
それでもレイアは追撃の手を緩めなかった。
「見捨てられたって言ったのよ。貴方の幼馴染は、迎えにこない」
「そんなことはありません。そんなことは…ありえません!!」
突如激昂したヒナミの身体が、ボコボコと泡立ち始めた。
身体の色が赤く変色し、腰のあたりから皮膚を突き破るようにして触手が生えた。
「殺してやる」
再び真の姿となったヒナミは、表情の無い顔で宣告した。
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