ちゃらんぽらんなクソ野郎

燕三里

第1話 終わりの始まり

「だから、メモ寄越すならせめて読める字で書いてくださいって何回も言ってるじゃないですか!!」


 オフィスに響く怒声。普段は影の薄い黒髪の男、黒木 由雄くろき よしおが椅子に座ったまま叫んでいる。その視線の先で椅子に座って背もたれに身体を預けているのは、佳賀里 孝人かがり たかと。茶色く染めた長い髪を後ろで一つに結び、高そうなスーツに身を包んでいる。彼はちょっとだけ由雄の方を見るとうんざりしたように眉をハの字に曲げ、それから視線をPCに戻した。


「だぁーらさ、忙しいんだって。お前がデスクに居なかったから、外出前なのにわざわざ電話を取ったんだろ。急いでたんだからそんなご丁寧にメモ取る時間ねーって」


「それならチャットで送ってくれれば良いでしょう! 大体、自分でも読めないってどういう事ですか!」


「だ・か・らぁ、俺PC苦手なんだって。ブラインドタッチとか、出来ない訳。大学でレポート書くのにちょろっと使ったくらいよ? PCなんて」


「だとしても業務で使うんだから、覚えてくださいよ!」


 もはや役目を成していない付箋を、孝人のデスクに音を立てて叩きつけた。周囲の社員がちらりとこっちを見たが、失笑して目を逸らす。始めこそ笑ったり心配したりしていた同僚達も、日常茶飯事の光景に慣れ切ってしまったようだった。


「へいへーい」


 孝人は適当に返事をして付箋をデスクからペリッと剥がすと、それをあっという間にくしゃりと丸めてゴミ箱に捨てた。


「ちょっと!」


「え?」


「え、じゃないですよ。どうするんですか、折り返しなんですよね?」


「どーするっつったって、分からないんじゃ仕方ないだろ。必要があったらまたかけてくるって」


「そんな雑な……」


「そもそも聞き覚えの無い社名と担当者だった。しかも俺宛じゃない。ってことは少なからず今付き合いのある会社じゃないだろ?」


「新規客かもしれないじゃないですか……」


「だとしても、メールじゃなくてわざわざ電話してくるぅ?」


(お前みたいにPCが使えない客なんだろ……)


 由雄は喉まで出かかったその言葉を、ゴクリと飲み込んだ。


「ま、そういうことで。俺また外出だから。直帰するからあとヨロシク~」


 あっという間にPCの電源を落とすと、孝人はタブレットの充電ケーブルを電源タップから引っこ抜き本体ごと鞄に仕舞った。それからさっと立ち上がり、まだ文句が言いたそうな由雄の後ろをスルリと素早く通り抜け、すれ違う女子社員に明るい挨拶を投げながらオフィスを出ていった。


 孝人の居なくなった椅子を、由雄はギロリと睨みつける。もし人目が無ければ、全力で蹴ってやりたい。が、女子人気の高い孝人にそんなことをすれば明日からどうなるか分からないので、実行に移す勇気もない。


「はぁ……」


 小さなため息をつくと、ゴミ箱に捨てられた哀れな付箋を見て、少し同情した。

 HANAKI株式会社で営業事務をして数年経つが、元々は孝人以外の営業についていた。その男は何か問題があると由雄に全ての責任をなすりつけてくる不遜な男だった。ある日突然「俺の営業成績が上がらないのはお前のせいだ」と騒ぎ出し、あっという間に配置換えとなってしまった。周囲の嘲笑うような目を思い出すと、今でも吐き気がこみ上げる。


 転職も考えていた由雄に提示されたのは配置換え。営業二課への異動だった。しかも毎度営業成績トップ3に名前の載っていた佳賀里 孝人とのペア。問題を起こした自分への対処としては好待遇だった。少なくとも当時はそう思っていた。が、蓋を開けてみれば決して好待遇では無かったことが分かった。


 孝人は確かに凄い。人当たりが良くフレンドリーで、壁を感じさせない。何故か本音で話してしまう不思議な魅力がある。だがPCに驚くほど疎く、タブレットをなんとか使えているのが奇跡だと思える程だ。資料を作らせれば誤字脱字ばかり、データはすぐに消し飛ばす。そのくせ成約件数やアポイントは多いので、プレゼン資料や経費申請の作成件数は異常に多い。それを殆ど全て一人でこなさなければいけないのだ。きっと前任者は嫌気が差して辞めたのだろう。


(俺も辞めてぇー……)


 缶コーヒーを煽りながら、もう一度ため息をつく。そろそろ転職サイトに登録するべきかもしれない。そんなことを考えていると、電話が鳴った。電話には取引先の名前が表示されている。PCのメモ帳を開くと、うんざりした気持ちを気取られないようにあほらしい程の明るさで電話に出た。


「はい。HANAKI株式会社 営業二課の黒木です」

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