アカシアの恋

フジオリ。

第1話

 

 まるで鳥籠の中にいるかのような錯覚を覚える蔦のカーテン。


 蔦の合間からこぼれ落ちる木漏れ日に目を細め「今日は暖かくなりそうだ」と葉がこすれる音だけがする通路を歩く。


 しばらく歩き続けるとまるで葉が避けるように開けた場所に辿り着く。

 目を細めその先を見つめると濃いマゼンダの髪をした少女が絵画のように優雅にお茶を満喫していた。

 少女はこちらに気づくと飲む手をとめ、にっこりと穏和な笑みを浮かべた。


「おはようございますイチヤ様」

「おはよう“アカシア”」


  “アカシア”と呼ばれた少女は片手で「こちらにどうぞ」と向かいの椅子を手のひらを上にして示す。


 アカシア以外に俺が見えることはないのだからもっとぞんざいに扱ってくれてもいいと伝えたというのに人として扱う。

 そんな心優しい少女を俺は


「本日はお話を聞かせてくださるのですか?」


「……ああ そうだな、これは俺の世界で起きた災害なんだが――」


 この世界の未来で惨劇を起こす悪役令嬢アカシアに、その糧となる災厄を語ろう。


 


 ことの始まりは、二ヶ月ほど前のことだ。

 

 幼なじみのハリ延寿エンジュに一冊の本を押し付けられた。


「私は気に入ってる本なんだけど一夜も読んで感想聞かせてよ」

「俺はお前と違って忙しいんだが?」


 いつものように延寿をぞんざいにあしらうも、なぜか俺に対してだけ諦めの悪い幼なじみエンジュはその淡い水色の瞳を伏せ、口をタコのように突き出す。


「ええ〜?この前のテスト私が教えた山が当たった“お礼”はくれないんですか〜?」

「……、なんで読んで欲しいんだ?」

「そりゃもちろん、一夜との共通点がもっと欲しいからだよ!」

「…… ……」


 延寿のこの思わせぶりな言い方が苦手だ。


 延寿は昔からなんでもできた。

 俺が赤点のテストも教科書をパラパラとめくった程度で満点だったり、同年代の誰もができないことを余裕綽々よゆうしゃくしゃくと当たり前のようにこなしていく。

 

 だから延寿は女子や一部の男子に嫌われていたりする……訳ではなく逆に


 それはもう、種族や国境の壁を超えて動物でも外国人でも少し話すだけ相手を魅了する魔性の女というレベルでだ。


 だというのになんの特技もいいところもない俺のことを


「だって私はきみが好きだからね」


 笑ってはいるが延寿の目には嘘がない。

 真っ直ぐこちらを見つめ、逸らさない。


「……そうかよ」


 その視線を逸らす。なぜこんな不甲斐ない男を彼女は好きになったのだろう。


「それじゃ感想、ちゃんと聞かせてね!」

 

 本を押し付けて駆け出す延寿にもう少しゆっくりしていけばいいのに、そんなことを思いながら押し付けられた本の題名を読み上げる。


「“ミモザの恋”…?」


 ミモザの恋

 たしか同じ講義をとっている女子達がはしゃぎながら話をしていたラブファンタジー小説だ。


 物語は平民として暮らしてきていた少女・ミモザが悪役令嬢・アカシアと花の迷宮で出会うところから始まる。

 その迷宮は公爵家の血を引くものしか抜けられないという伝説があるところで、ミモザが花の迷宮を通れたことから公爵の隠し子ではないかと疑われたことから始まる。

 陰湿なイジメにミモザが心の支えとしていた親の形見のペンダントをアカシアに奪われ壊された。

 

 ミモザは人の心のないアカシアに復讐を誓った。


 のちに恋人となる青年と出会い、助け合いそれまでアカシアによって起こされた災厄を二人で解決していくありきたりな話だ。


「珍しいな、延寿が大団円じゃない話を好きになるなんて」


 延寿はたとえ敵であっても死ぬような物語は好まなかった。

 小説の出来もよくあるラブファンタジーといった話で、恋だの愛だのに熱を上げるような人間ではない俺はこの小説が好きではない。


「持ってくるならSFサイエンス・フィクションとか持ってこいよ」


 本を閉じ無造作にソファーに投げる。


 リビングを一望できる位置に置かれたソファーが俺の定位置だ。

 家族は今日も遅くなるだろう。

 いつもなら延寿が勝手に入ってきて絡んでくるが、今日はそんなこともない。


 静かだ、コーヒーでも飲もう。

 腰を持ち上げキッチンに視線を向ける。


 ── 貴方が……


 一瞬、誰かいたような


 強めの瞬きを二回するとまぶたの裏に残った残像のような影は消えていた。

 十年前に両親が新しく建てた家だから事故物件のような不可解なこと心霊現象は起きないはずなんだが。


 ……疲れているんだな。


 ソファに戻り深く腰を掛け、そこから…… そこから?


 記憶が飛んでいる。

 俺はいつ、上も下もわからないただ暗闇が広がっているだけの空間に来たのか、おもいだせない。

 気づいたらこの空間をあてもなく彷徨ってた。

 光源が見当たらない闇だというのに手の皺まではっきり見える奇妙さが気持ち悪い。


 ファンタジーな小説を読んだからファンタジーな“夢”でも見ているんだろう、夢が覚めるまでここでその時まで待っていよう

 そう思い、歩みを止めようとした。


『ああ、いたいた』

 

 誰だ?

 光り輝く何かが、駆け寄ってきて話しかけてきた。


『キミ、望月一夜だろ?』


 なぜ名前を知っている? ……ああ、夢だからか


『俺は神だ、これからよろしく』


 俺のみる夢も神が登場するようになったのか。


『さっきから夢だなんだと言っているが、コレ夢じゃないぞ?』


 え?


『お前、家にトラックが突っ込んだの、忘れたのか?』


 トラックが家に…?


 ずきりと体に痛みが走る。


 外からブレーキ音がして、気づいたらいたらリビングの壁が目の前にあって……


『やっぱりいやだ、行かないで一夜!』


 どこかから延寿の声がして……


「俺は死んだのか」


 いつか家の裏を走ってる車が突っ込んできそうだなとは思っていた。 でもトラックとは、なんと非現実的な。 非現実的なことで俺は死んだのか


『キミは死んでいない、そして生きてもいない』


 神と名乗るその存在はニヤリと軽薄そうに笑う。


『キミとこちらの世界の因は繋がれた

 喜べ異世界人、キミは異世界渡航の切符を手に入れた』


「……なにを、言っている?」


 オペラとかミュージカルとかそういう演技のような口ぶりが俺を馬鹿にしているように聞こえ睨む。異世界渡航なんて望んでいない。


 ……いやダメだ、答えをすぐに出そうとするのは延寿にも指摘されていた俺の欠点だ。

 考えろ、何が有益か不利益か。


 光は語る。


『“ミモザの恋”の世界にある物語の舞台コーヨウ王国に行き、物語の終点に辿り着いてほしい』

「…… なぜソレが必要なんだ?」


 ソレとは物語に俺のような赤の他人が介入することを指す。

 言葉が足りなかったかと思ったがさすが神と言ったところか、こちらの意図を汲み取り答える。


『悪役令嬢 アカシアによって“ミモザの恋”はキミが読んだ物語から姿を変えようとしている。

 これは我々からすれば看過できるものではない。

 しかしこれ以上物語に干渉することもできない。

 そこで、異世界から人を呼んでアカシアをなんとかしてもらおうと肉体から魂が剥がれたキミに白羽の矢が立ったという訳さ』

「いまさらっとえぐいことを言われたような……」

『なに、物語の終点に辿り着いたあとに報酬がないわけでもない

 現世での復活か、異世界への滞留かどちらかの選択はできるように取り計ろう』

「いや……現世での生還で頼む」

『行く前に決めてもいいのかい?』

「ああ、どうせ誰にも心は動かされない」

『……まあいい。

 では“物語の終点に辿り着いたのち現世での生還”を契約にミモザの恋を成就させようか!』


 少年のような無邪気さで“神”は目標を設定した。



 

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