死神の罪悪感-Ⅲ

 プルルル……プルル――


「はい。どちら様でしょうか」


 キングの住むマンション。フランツ・デューラーの協力によって提供されたセーフハウス。現在は国家プログラムによって保護されている。その機密性から連絡先を知る者は限られていた。


 部屋で花を生けていたエマは、滅多に鳴らない電話の受話器を取っていた。ファーストネームはこちらから名乗らない。それは国家プログラムよる指示であった。


「……ええ、はい。そうです、トートはこちらで間違いありませんが。え?」


 エマの白百合を持つ手に自然と力がこもっていた。表情が強ばって険しくなる。


「フランツさまが拘束? ちょっと待ってください。どういう事ですか」


 電話の主は中央情報局であった。フランツにソビエトスパイの嫌疑けんぎがかけられていると言う。にやられた――エマの直感がざわついていた。教団が表の顔でしかない事は分かっている。表面上は解散したが、その中身は未だ健在だ。


 なにより州警察。あそこには、の息がかかっている。彼らはフランツを狙い撃ちにして情報のリークをしてきた。こうなるのも時間の問題だったのかもしれない。


「キングさまは半年ほど前に養子となられたばかりです。フランツさまの血縁者は私です。はい、エマ・ハイネマンと申します」


 受話器を置いたエマが急ぎ足でキッチンへ向かう。彼女は白百合が枯れてしまわぬよう水を張ったシンクにそれを戻した。自室へ戻り、スーツに着替える。化粧っ気のない顔に薄く紅を引いた。


「ただいま……」


 キングの酷くかすれた声が玄関から聞こえてきた。かつての自分が散々漏らしてきた声。何が起きたのか想像に難くない。エマは、口紅のキャップもそのままに自室のドアを開けた。


 玄関には泣きはらした目をしたキングが、魔術師のシルクハットを抱えて立っていた。


「坊ちゃん!」


 エマは彼の寿命を知っていた。どういうわけだか、魔術師とエマはウマが合った。記憶を戻してもらってから度々、二人がお茶をしていた事をキングは知らない。


 寿命に関しては、魔術師の意向で伏せてきた。しかしジョージの消息を含む諸々の話が後手後手になってしまったのは、による邪魔立てが原因だ。あるじとマトモに話をする機会をことごとく奪われてきた、という表現が正しい。


 ああ、ついにこの日が来てしまった――


 駆け寄ったエマは、キングの小さな身体をそっと抱き寄せた。エマの身体からはいつでも、花の良い香りがする。打ちひしがれたキングの瞳から、再び大粒の涙がこぼれ始めた。


「……魔術師が……」


「寿命をお迎えになったのですね。魔術師さまから伺っておりました」


「エマは知ってたの?」


「ええ。直接、ご自身の口からお伝えになりたいとの事で。申し訳ありません、内密にしておりました」


 その言葉を聞き終えたキングが、ついに声を上げて泣き出してしまった。エマに身体を預け、嗚咽おえつをしてはしゃくり上げる。15歳の少年らしい反応にエマは心のどこかで安堵していた。だがその安堵も、次の言葉であっけなく崩れ去った。


「僕は最期を看取れなかった……ジョージが……死神になってしまった」


 フランツの拘束に加え、消息不明だったジョージの死神化。はキング一人だと聞いていたエマは、その衝撃に眩暈めまいを覚えていた。当事者ではないエマでさえそうなのだから、キングのショックはいかばかりか。見ているだけでキリキリと胸が痛む。


 記憶を取り戻した今だからこそ理解が出来る。過去の辛い感情は、何も忘れ去る事だけが全てではない。重ねる事で引き取れる痛みもある。


 、私は決して貴方たちを許さない。


「坊ちゃん、ココアをお入れします。少し話をしませんか?」


 なおも声を上げて泣き続けるキングを抱きしめたエマ。彼女の目にもまた、涙が光っていた。





 この国で最も機密が約束された部屋、ホワイトハウスの大統領執務室。その中で中央情報局員のホワイト&ブラックが如実に困惑していた。


「本当にオリヴァー州知事を副大統領にご指名なさるおつもりですか?」


「ああ。国務長官の了承は得ている。本日中にも副大統領を更迭こうてつするつもりだ」


 大統領は椅子から立ち上がると、手を叩いて二人の周りを歩き始めた。


 ステファンは同じ共和党でも、タカ派から批判の多い人物だった。おっとりとした性格は両刃の剣だ。弱腰、決断力不足、八方美人。よく言えばお人好し。そういったステファン像とはかけ離れた言動に、二人はうつむくしかなかった。


 ホワイトがやけに軽い大統領の足取りに疑念を抱く。職業病と言われればそれまでだが。

 

 腹心そのものだった副大統領を更迭?


 オリヴァー州知事が司法を買収している可能性がある。共和党も一枚岩ではない。そう言って、内偵を指示してきたのは他でもない大統領自身ではないか。


「何か不都合でも? ホワイト君」


「いえ、私どもは仕事をするだけですので。州警察への内偵に関しては如何いかがしましょう」

 

「……内偵ね。引き続き頼むよ」


「ハァ……かしこまりました。それでは失礼いたします」


 大統領は何がしたいんだ、一体。

 

 指示を受けたホワイト&ブラックは、首をひねりながら執務室を後にした。二人を見送るステファンの瞳がいびつな悦びに輝く。


「やはりステファンは政敵でしたね、父さん」


 大統領のホログラムが色あせてその正体をあらわにした。なりすましていたのは、ヨシュアだ。彼は振り返ると、ジョージと共に姿を現した父オリヴァーに笑いかけた。


「良かったですね、オリヴァーさん。俺の言うとおりだったでしょう? ステファンは、貴方に責任をなすりつけたばかりか疑っていた。悪魔そのものです」


 ジョージの馴れ馴れしい口調に舌打ちをしたオリヴァーが、二人を睨みつけていた。そんな彼にヨシュアが仰々しく大統領の椅子を差し出す。


「これでこの国は父さんのものです。ついに念願が叶いましたね。おめでとうございます。安心してください。引き続き、は私とジョージでおこないますので」


 それは暗にキングの抹殺を意味していた。同じく東側との決裂も意味する。冷戦構造による既得権益もここまでだ。そうでなくても、東側はヨシュアのを望んでいない。


 は代々、国や人種等を横断する組織として成り立ってきた。その頂点、称号者に求められるのは官僚気質。緩衝材かんしょうざいとなれる調整力だ。リーダーシップではない。ましてや独裁など。先の大戦は、の内部分裂が近因となって勃発ぼっぱつした。それを知っていて何故だ。


 何がしたい、ヨシュア。


 大統領椅子に座らされたオリヴァーが、苦虫を噛み潰したような顔になる。ヨシュアは父を無視して歩き出した。相変わらずエヴァとよく似た顔で、無邪気に笑みを浮かべている。


「そういえば父さん、私は考えを改めたんですよ」


「……なんだ」


「私はの移植に反対していたじゃないですか。強奪して飼えば良いと」


 ……!


 目を見開いたオリヴァーが机を叩いて立ち上がった。怒りで身体は震え、こめかみには血管が浮き出ている。佇んでいたジョージが指1つで強引に座らせた。指揮者のように指を振る。


 その様を見ていたヨシュアが嬉しそうに手を叩いた。


「やはりアンナに移植しましょう。兄妹きょうだいごっこもお終いだ。アレには器としての役割を果たしてもらわないと。成功率は今、80%でしたっけ? ねえ、父さん」


「ヨシュア……貴様!」


「今更、情が湧いたとか勘弁してくださいよ。父さん、貴方は女に弱い。エヴァだって結局は始末を躊躇ためらった。違いますか?」


「お陰でキングが産まれて、俺は全てを失った。責任を取ってもらうぞ、オリヴァー」


 黒マントから不気味な顔を覗かせたジョージ。その瞳が凄まじい憎悪で淀んでいた。合間を絶えず狂気が揺れ続けている。闇に堕ちきった蟻地獄の如き眼差し。ヨシュアは、そんな彼を本当に飼い慣らしてしまった。


 とんでもない化け物だったのは、私の息子だ。


 オリヴァーはため息をつくと、力なく肩を落とした。





 ◆





 州警察からさほど離れていないダウンタウン。その一角にある廃ビルをカインは新しいアジトとしていた。何でも以前、ここでソビエト工作員が殺害されたらしい。真相は未だ不明なままだ。


 州警察に潜伏するトロイの指揮権はカインにある。その彼が知らなかった事件だ。現にから言及がされたこともない。キューバの組織から教えてもらって初めて知った。 


 こちらでは関心を持たれなかった事件現場。州警察だらけの街で身を潜めるには最適の場所だった。


 工作員が使用していたと思われるPCがそのままになっている。


「掃除屋もやるならきちんと引き揚げていけよ」


 独りごちたカインは、試しに電源を入れてみた。工作員の死因は漏電による感電死と聞いている。PCもショートを免れなかっただろう。カインは諦め半分、暇つぶし半分で自分のラップトップにケーブルを繋いだ。


 武闘派のイメージが強いカインであるが、彼はある種の英才教育を受けて育っている。よって、そこいらの大学生より遙かに知識が豊富だった。

 

 カインは他のアダムの子とは違い、人身売買された子ではない。隣国の路上に産み捨てられて瀕死だったのをトロイが拾った。18歳になるまで大人を知らなかったほどだ。大切に育てられた彼とトロイの間には絆があった。


 しかし皮肉なことに、それがカインの命を軽くしてしまっていた。。彼の平坦な感情は贖罪の意識がもたらしたものだった。


 急に文字列が流れ出したラップトップ。それを見ていたカインの眉がピクリと動いた。


「データが残ってる」


 ラップトップからPCの起動を試みたカインは、流れてくる文字列を見つめていた。パソコン通信の履歴だ。やりとりの内容は、詐欺師のそれとなんら変わらなかった。


 こんなもの……引っかかる方もどうかしてる。


 呆れたカインが別のログに移ろうとしたその時だった。見覚えのある文字列が目に飛び込んできたのは。


「モリシタ?」


 カインは洗脳の入らない子として一時期、研究対象にされていた。無機質な研究所でしばらく過ごした。その時の担当者が、モリシタという医師だった。結果は愛情だのの成分だの抽象的で当を得ないものばかりだった記憶がある。


 それより強烈に覚えているのは、同じく洗脳の入らなかったレイラが研究対象とならなかった事だ。それが不思議で一度だけ尋ねた事がある。


 あの医師は、あからさまに話をはぐらかしていた。

 ――モリシタはレイラを知っていたんじゃないか?


 あの医師とこのログに残されたモリシタ。発信元はこの州だ。偶然で済ませられるほど、この辺りは日本人が多くない。


「レイラ――」


 カインは思わず名前を呼んでしまっていた。無意識に唇をなぞってしまう。あの日の事を思い出しただけで、身体が火照ってどうにかなりそうになりそうだった。


 連邦ビル爆破テロ決行前日、その夜の出来事。


 レイラは、から汚された俺の身体に触れてくれた。

 彼女の身体は柔らかくてとても温かかった。


 カインはキューバの組織から借りた携帯電話にケーブルを繋ぐと、ラップトップでモリシタの情報を集め始めた。





 父オリヴァーが、かりそめの大統領となった夜。


 高層ビルの自室にいたアンナは、ピアノを弾いていた。楽譜は読めないが、音を聞けば真似事くらいは出来る。そしてアンナは、ピアノを弾くのが好きだった。


 副大統領が更迭こうてつされたというニュースは夕方聞いた。

 昨日、兄さんは血の匂いにまみれて帰ってきた。もう一人の男と共に。


 一体、どこで何をしていたの? 兄さん。


 旋律が徐々に乱れて激しいものへと変化してゆく。キングの温もりを追随ついずいしたアンナは叫び出したい感情に駆られていた。両手を思い切り鍵盤けんばんに打ち付けてしまう。ヨシュアは自室にいる。盗聴しているこの部屋にまもなく訪れるだろう。


 鳥籠とりかごの獲物が息をしているか確かめるために。


 それでも自分のふがいなさに、アンナは突っ伏して泣いていた。キングに会いたい。焦がれる想いを堪えるので精一杯だった。


 私が兄さんを終わらせる。

 それしか、もう方法は残されていないのかもしれない。

 

 私たちは二卵性双生児なんかじゃない。

 赤の他人だ。


 それでも、兄姉きょうだいとしての絆は確かにあった。

 今だって兄だと思ってる。


 私はエヴァに救われた。

 あの日、彼女の温もりに触れられたから。


 けれども、兄さんは違う。

 エヴァを憎んでいる。

 キングを身ごもったあの日からずっと。


「兄さん」


「泣いてるなんて珍しいね、アンナ。どうしたの?」


 シルクのガウンが衣ずれの音を立てている。まだ湯気の立ち上る身体にガウンだけを羽織ったヨシュアがアンナの居室にいた。裸足が床に湿った足跡を残している。それは、彼が浴槽に浸かりながら盗聴していたことを意味していた。


「私をここから出して」


「もうじきだよ、アンナ。目を移植したら何処へだって行けるじゃないか」


「そういう話じゃないの! はぐらかすのはやめて。そこにいるのは誰?」


 アンナの抵抗にヨシュアの瞳が凍てつく氷のような冷徹さをはらんだ。直ぐそばには忠実な飼い犬ジョージがいる。彼は突き飛ばしてやりたい衝動の代わりに、アンナの手首を掴んだ。痣が残る力で締め上げる。


 ヨシュアとアンナ。血の繋がらない兄姉きょうだいに決定的な亀裂が入った瞬間であった。


 ずっと、お互いに本音を避けてきた。お互いを可哀想だと思ってきたからだ。褒められたものでなくて良い。ただ、それくらいの情はまだ在ると思っていたかった。


 アンナは力を振り絞ってヨシュアの手を振りほどくと、その頬を平手で打った。


「何するんだよ、痛いな。男が現れた途端にコレか。しかも、あんな出来損ないのチビ。お前には失望したよ、アンナ」


「私が誰を好きになろうと自由だわ。部屋を盗聴するのもやめて」


「……いつ自由があるなんて勘違いしたんだ? 滑稽だな。私たちは試験管で作られた子供じゃないか」


 アンナはヨシュアの胸ぐらにすがりつくと、強く揺さぶりながら叫んだ。


「私はそうかもしれない。けれど、兄さんは違うわ! 父さんとエヴァが愛し合って……」


「それ以上言うな。言ったら本気で殺すぞ」


 ヨシュアがアンナの首を掴んでいた。苦痛の表情を浮かべた彼女を床に投げつける。冷たい床に転倒したアンナ。普段の彼女なら、そこで項垂うなだれて終わりだっただろう。けれども、この日は違った。

 

 アンナには心の目がある。

 彼女は、ずっと隣で見ていたジョージに向かって語気を荒げた。


「貴方は目が見える。なのに、目を閉ざしたままでいいの? このままだと手遅れになるわ。お願い、目を開けて!」


 気配を消していたジョージは一瞬だけ怯んだ。アンナには見えないモノが見える。その静かな気迫に戸惑いの色を隠せなかった。だがしかし、彼は既に飼い犬だった。すぐさまヨシュアの方を向き直ると、逃げるようにして部屋から去っていった。


「貴方の中に巣くうものが、いつか貴方を食い殺すわ。逃げないで、ジョージ」


 アンナの声が虚しく部屋に響いていた。





 ◆





 場所は再び、キングの住むマンション。

 

 エマの入れてくれた甘いココア。大好物を飲んだキングが、ようやく泣き止んでいた。燃え尽きたように小さくなっている。エマは自室で普段着に着替えると、ティッシュで口紅をぬぐった。


「フランツさまが中央情報局から拘束されました」


「……州警察だ。僕の父と兄がやった」


「魔術師さまは、坊ちゃんのお兄さまを危険視されていました。しかし、ジョージさまの事までは。それは私も同じです」


 エマは自分用のコーヒーをれると、ブラックのまま口をつけた。


「兄がジョージを焚きつけたんだろうか、エマ」


「分かりません。けれども、ジョージさまは自ら消息不明となりました。クロエさまから聞いたお話ですと、急に別れを告げて出て行かれたと」


 キングの肩が大きく動く。彼は憔悴しょうすいしきったその身体で、クロエの元へ向かおうとしていた。察したエマがマグを置いて、やんわりと制止する。


「クロエさまなら大丈夫です。坊ちゃんはお願いですから、少し休んでくださいまし」


「そうもいかないよ。イブの庭はっていう連中が作った。今のは僕の兄だ」


……」


 エマの表情がにわかにいぶかしくなる。言葉の意味するものに心当たりがあるようだった。視線が目まぐるしく動いている。キングは泣きすぎて腫れた目でその様子を見つめていた。


「魔術師から聞いた?」


「いいえ。魔術師さまは、少しでもリスクを避けたかったのでしょう。聞いておりません。ただ――」


 エマは自らの両腕でその身体を抱いていた。運命のいたずらがあるとするなら正にこの事、とでも言いたげに。


「坊ちゃん、私はに育てられました。元、と言えば良いでしょうか。彼らは国や人種、組織をまたぐ存在ではありませんか?クロエさまは今、私が育った所に向かっております」





 クロエと一人の少女が、日本は長崎の街を歩いていた。色とりどりの飾りが目に美しい中華街を抜けて、港へ出る。グズグズと泣き続けるクロエを見ていた少女は、わざと大きなため息をついた。


「どうすれば泣き止んでくれるの? ボク、方法が分からないんだけど」


「……ジョージがいないもん」


「そんなこと言ったら、ボクなんて兄ちゃんが死んじゃったんだぞ」


 少女は、陶器のような白い肌に金髪の縦ロール。エメラルドグリーンの瞳。花を添えたドレスハットを被り、ロココ調を彷彿ほうふつとさせるレースをふんだんにあしらったドレスを身につけていた。大きく膨らんだスカートは膝丈で、繊細なレースの隙間からは細い足が伸びている。その愛くるしい見た目は西洋人形そのものだった。


「これからどこ行くの?」


「ボクの知り合いんトコ。あ、痛いこととか嫌なことはされないから安心して」


 鼻水を手で拭き散らかしたクロエが少女を見上げる。彼女はふわりと宙を浮いていた。足を交差させながら猫さながらにしゃなりと歩いている。手の込んだレースシューズがクロエの視界に入っては消えていた。


「ねえ、なんでボクっていうの?」


 街を行き交う人からは見えない少女。彼女はパラソルをくるりと回すと、その美しい瞳でクロエをのぞき込んだ。


「クロエさあ、自己紹介聞いてなかったでしょ? ジョージしか言わないんだもん。ボク、男だよ。名前はプルト。魔術師の弟ですぅ」


の弟……あ、炒飯だ。プルト、お腹空いたや」


「えっ? ……わあ、美味しそう。中に入れば食べられるのかな」


「ちょっと、年寄りを歩かせるんじゃないよ! 何処をほっつき歩いてんだい、プルト! 教会は反対方向だよ」


 振り返った二人の前に、結んだ髪から白い後れ毛をたなびかせた老婆が立っていた。煙草をくわえて気さくな笑みを浮かべてる。その顔はどこかジョージと面影が被った。クロエが引き寄せられるようにして歩み寄ってゆく。煙草を携帯灰皿にしまった老婆が、しゃがんで視線を合わせた。


「人間界、何年ぶりだと思ってんのさ! 兄ちゃんがなんて言ってったか知ってる? 『クロエをエマが育った場所へよろしく』そんだけだよ。分かるわけないじゃん!」


 口を尖らせてそっぽを向いてしまったプルト。昔と全く変わらない彼に肩をすくめる。クロエの方を向き直った老婆は、その頭を優しく撫でた。手はゴツゴツとしているが温かい。


「遠いところからよく来たね、クロエ。私はセツコ。モリシタ・セツコって言うんだ。こんなんでも教会でシスターやってんだよ」


 モリシタ・セツコ。そう名乗った老婆は親指を立てると、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。

 


 

 ー第3章『兄と弟』へつづくー


 

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