塔の住人たち-Ⅱ
199X年X月XX日、サンディエゴ州のコロネードに本部を置く教団イブの庭とその関連施設に、同州無人ビル爆破事件の死亡
「こちら、現場から中継でお送りします。教団イブの庭はコマンド・ベーコン被疑者への関与を依然として否定。両者の睨み合いが続いております。教団側は女性信者38名、児童20名を人質に立て
「さっきから知らん顔だけれど。本当に良いのかい? 君の母親じゃないのか。テレビに映っていたアジア人は」
「姉貴を殺した女だ。俺はもう母親だと思ってない」
高層ビルの一角にあるヨシュア・キンドリーの執務室。大理石の床と大きな執務机。時を正確に刻む振り子時計。
来客用のソファーにジョージ・モリシタは座っていた。目は落ち
テレビはどのチャンネルも、FBIによる教団イブの庭への一斉捜査で持ち切りだ。
ヨシュアは執務机の椅子に腰かけ、ジョージが持ち込んだ一冊目のファイルに目を通していた。
合間に電話を取り、招集をかける。
ファイルを閉じたヨシュアは、椅子を回転させると高層ビルからの景色を眺めだした。彼にしては珍しく困惑を隠せなかったからなのだが。どんな状況でも残酷な色に染め上げて楽しむのが、彼をヨシュアたらしめる
何をどう曲解したら、
コイツの母親は、クロエを差し出すつもりで密告してきた。娘に『
まあ、あの女の使い道は既に決まっている。問題はジョージだ。使い方を慎重に考えないと……
しばらく外を眺めていたヨシュアだったが、とある仮説に賭ける選択をした。膝を叩いて立ち上がり、微笑みを浮かべる。
「おい、ヨシュア。俺が会いたいのはオリヴァーだぞ。息子のお前じゃない」
ジョージがもう何度目かの訴えに声を苛立たせていた。そんな彼に向かってヨシュアが一枚の写真を差し出した。注意を引くため、わざとギプスで固められた右手をさする。
「そんなに冷たい事を言わなくても。一緒に写真を撮った仲じゃないですか。モルモット仲間でもある」
「俺が聞きたいのは1つだけだ。オリヴァーと親父は、どうしてステファンなんかの言いなりになった」
「さあ……
含みのある口調で
「大統領の暴力性に共鳴したか」
「思い出したんだ。エヴァって女がいた。アイツだけはいくら輸血されても平気だった。俺と彼女以外は全員死んだ。それに……似てるんだ、エヴァは。
「答えは明白でしょう、ジョージ。キング・トートが頼ったのはステファン大統領だ。さぞかし会いたかったんじゃないですか?
「……やはりそうなのか! イブの庭とステファンは繋がってるんだな! ヨシュア。じゃあ、どうして君はオリヴァーの所にいるんだ」
「私はデザインベビーですよ。大統領にとって都合の良い人物に見えますか? 真逆です。エヴァという女の子宮で作られたモルモットだ。父親役をオリヴァーに押し付けたと思っていますが。親子ごっこにも限界があるんですよ。その証拠に先日もオリヴァーから」
ヨシュアが
一方のヨシュアは確信を得て、笑いを堪えるのに必死であった。やっぱりだ。やっぱりジョージは洗脳されている。大方、父親が罪悪感に耐えられなくなって薬剤投与でもしたのだろう。
ステファンとエヴァでは、生まれるはずのない血液型。それがヨシュアとキングであった。
ファイルは血の記録とも言えた。エヴァという成功体を中心に構成されているため、至る所に証拠が散りばめられている。にも関わらず、ジョージはその部分だけを都合よく読み飛ばしていた。非常に単純な矛盾にすら疑問を持たず、全てをステファン大統領に転嫁してしまっている。
ジョージは洗脳されている、間違いない。
ヨシュアがうっかり笑い声を
「今、FBIが教団の女性を保護しました。アジア人のようです。女性が出てきまし……爆弾巻いてる! 体に爆弾巻いてる! 逃げて、逃げ! だsjヵういrq9れあwhfkj……ピー……――」
耳をつんざくような爆発音と共に中継が途切れる。ジョージの母ヒサエ・モリシタの最期の言葉は「エヴァ様と共に!」であった。叫びながらFBI特殊部隊に抱き着き、爆破を道連れにその生涯を終えた。
自分の肉片を見つめながら、事切れるまでの数秒で母ヒサエは
罪を拭い去らなければ、永遠に
生贄を捧げなければ。
ジョージ。貴方の未来のために。
ヨシュアを生まれ変わりと信じた彼女は、残された息子のために自ら進んで自爆テロの生贄となった。
FBIと教団イブの庭による、激しい銃撃戦の
◆
国境にほど近い廃墟と化した街の一角。そこにトロイは新しいアジトを置いていた。空気が酷く乾燥して、しょっちゅう砂嵐が起こる。
トロイの新しいボス。レイラとカインは、地下にある一室でテレビ中継を見ていた。古びたブラウン管にも時折、砂嵐が入る。
受話器を置いたレイラが座っているカインの隣に立った。ここでは捨て置かれたベッドがソファー代わりだ。銃の手入れをしているカインにとうとうと告げる。
「呼ばれたわ。処分が決定したみたいね、私」
「処分なら俺だって州警察の件がある。どうしてお前だけなんだ、レイラ」
「私がやったの、ユカリ・モリシタの始末だけじゃない『
「何?」
カインの大粒な瞳が、レイラの美しい横顔を捉えていた。
「里親を人質に取られたの。保護という名目の元にね。大変だったんだから『エヴァ様の元へ行くんだー!』って。アンタには分からないでしょ」
ベッドのコイルが
「俺が行く」
「それがさ。アンタも連れてこいってだって。
「えっ?」
トロイはまだ、後継の幹部を立てていない。数日中にも洗脳が外れたアダムの子から選出する予定であった。FBIとの戦闘状況
しかし、そうではないという事は。
首を
ヨシュアの執務室がある高層ビルのワンフロア、キンドリー邸。アンナ・キンドリーは、父オリヴァーの居室前に来ていた。朝からラジオでずっと中継を聞いていたが、ついに教団側が自爆テロを起こしてしまった。
動揺してキングがくれたポケベルを握りしめた、その時だった。父オリヴァーから内線が入ったのは。
「……父さん?」
何回かドアをノックしても返事がないので、扉を開ける。涙の匂いを感じ取ったアンナは、思わず入口で立ち止まってしまった。酷くしわがれた声のオリヴァーがアンナに促す。
「扉を閉めなさい」
ヨシュアの言っていた「エヴァ像が消えてなくなる」の真意。それは、エヴァの存在そのものを抹殺させる事にあった。当然、ステファン大統領失脚という側面を持ち合わせていたが、その実態は母親の否定。アンナはそう捉えていた。
「私を愚かだと思うかね、アンナ」
「父さんは、あの人を愛していたの?」
「――……今となっては分からんな。しかし、
オリヴァーはアンナの手を取ると、そっと握りしめた。一晩で一気に老け込んだ手が微かに震えていた。相変わらず漂う涙の匂いと共に。
「少しの間でいい。こうしていてくれないか」
「いいわ。ねえ、父さん」
「何だ?」
「私ってエヴァと似てる?」
鼻水をすする音がして、オリヴァーの
「馬鹿だなあ、アンナ。少しも似てないから、お前を選んだんじゃないか」
何に対してかは分からない。自分の置かれている立場も分かっている。ただ、なぜだろう。父さんの言葉から罪悪感と後悔の音がする。そしてそれは、不思議と不快なものではなかった。
アンナはその場に佇んだまま、父としてのオリヴァーの手を握り返した。
キングとエマが住むマンションでは、先程から
FBIと教団イブの庭が、血で血を洗う銃撃戦を始めてしまった。確かにヨシュアの発言通り、FBIが女子供を殺すことはなかった。しかし、マスコミですら中継を
僕が助けに行かないと。何も知らない子供たちが、こんなものに巻き込まれて死ぬ意味がない。何ひとつだ。
「坊ちゃん、テレビを消しましょう。ココアをお入れします」
「要らない。ちょっと出てくる」
「いけません、坊ちゃん。行けば、フランツ様の働きかけが全て無駄になってしまいます」
「でも!」
思わず声を荒げてしまったキングの顔を、悲痛な表情のエマが見つめた。
「今行ったら、
「エマ……?」
エマ・ハイネマン。それはただのエマになる前の本名だった筈だ。キングが意表を突かれて出来た一瞬の隙。その合間を
「私はもうこれ以上、家族を失いたくありません。坊ちゃんは私の弟です。血は繋がらずとも、ヘッゲルの養子である坊ちゃんと実の娘である私は
「いつから。いつ記憶が戻ったんだ」
「ハイスクールで銃の乱射事件があった時からです。魔術師さまが記憶を戻してくださいました。坊ちゃんが一人で抱えていたのに私は……」
エマの頬を涙が伝う。それはかつて彼女が屋敷で流した、エマの涙そのものであった。大戦末期に生まれたエマとキングとでは、親子ほどの年齢差がある。彼女が母親を失ってからどうやって生きてきたのかを、キングは知らない。それでも二人は、
「記憶を奪うのがどれだけ酷い事なのか。僕は、よく考えもしないで取引してしまったんだ。ごめん」
「いいえ、それは坊ちゃんの優しさです。子供たちへの想いも同じだと理解しております。けれども、お願いですから冷静になってださいまし。今からではもう、どうやっても間に合いません」
「エマ……」
キングが無力さに
「FBIの特殊部隊が児童12名を保護しました! 繰り返します、児童12名の保護に成功しました!」
キングは膝が震えるのを止めることが出来ないでいた。怒りに身を任せていたら、守れなかったかもしれない命だ。エマの言う通り、ここはFBIとステファン大統領を信じるのが正解なんだ。
「坊ちゃんには坊ちゃんにしか出来ない事があります。それを成し遂げてください。私は一生、坊ちゃんにお仕えいたしますから」
エマが常に切らさない花の良い香り。それはエマの優しさだ。白百合の甘い香りがキングを
◆
「ヨシュア様、到着しました。トロイの2名です」
「ああ、通してくれ。思ったより早かったな。ジョージ、君はどうする?」
再び場面は、高層ビルの一角にあるヨシュア・キンドリーの執務室に戻る。
居場所を自分で壊してしまったジョージには、ヨシュアの質問の意図が理解できなかった。返事の代わりに
頭が痛い、割れそうだ。お袋が爆発して死んだ。お袋のせいで、銃撃戦が始まった。クロエと年の変わらない子供たちが、巻き添えになって沢山死んでいった。
ワルイノハダレダ?
ああ、そうだ。
全部、ステファンのせいなんだ。
ステファン大統領とその息子、キング。
あの死神さえ現れなければ……
あの日、俺は暗殺すべきだったんだ。
大統領を。
邪魔をしに入ったのは、キングだ。
呪われた死神、キングも同罪だ。
ソノトオリダヨ!セイカイ!
「先日は申し訳ありませんでした、
「いきなり謝罪ってなんなんだ、カイン。相変わらずだな、君という男は。今、来客中なんだ。その話は後でしよう。客人と一緒でも構わないか?」
「来客?」
カインとレイラが揃って室内を見渡していた。何処にも客人は見当たらず、警戒心を強めてゆく。レイラの手が腰のナイフに掛かっていた。
目の前で座るジョージには、全く気付かないままだ。
仮にも二人は
ジョージは、無表情のまま一点を見つめていた。鼻からは血が流れて、口の中へと吸い込まれていた。
「……というわけだ。レイラには女優をやってもらいたい」
「連邦ビルに爆破テロを仕掛けて、死刑になってこいと言うわけね。やれば里親を返してくれるんでしょうね」
「人聞きの悪い事は言わないでほしいね、レイラ。君の里親を保護してるんだぞ。私の介入がなければとっくに死んでただろうさ。感謝くらいしてもらいたいものだな」
ソファーでさながら幽霊と化しているジョージをよそに、三人は今後の計画について話していた。教団イブの庭一掃作戦は序章に過ぎない。明らかにFBIがやり過ぎているという演出が大事なのだ。あくまでも目的はステファン大統領の失脚。
児童を12名保護したところで、教団が死亡
国家の失態。そして人種差別の被害者による犯行というナラティブが必要だ。今作戦での
「その作戦であれば、実行は俺でも構わないのでは?」
「バカね、カイン。筋書きの話聞いてなかったの? アジア人差別を恨んでっていう筋書きが大切なのよ。イブの庭って元々、アジア系信徒が多いの。何でだか知らないけど」
「レイラの言う通りだ。だからカイン。残念だけど君には出番ないよ。今回はね」
「そうですか。ではなぜ俺を呼んだんですか?」
「それは……」
もったいぶった口調のヨシュアが椅子から立ち上がって、ギプスをさする。すぐさま意図に気づいたカインが、瞳の奥に怒りをため込み始めた。
「君の方こそ私に用があるんじゃないかと思ってね。そういうわけで、レイラ。君はもう下がってくれて結構だ。詳細はカインに追って伝える」
「アンタまさか
「ああ」
「ハァ? 何やってんのよ」
「良いから早く行けよ、レイラ。命令だろ」
いつにも増して素っ気ない態度のカインに、釈然としない面持ちのレイラが渋々立ち上がる。彼女は二人を
去り際、ヨシュアがまた誰かに声を掛けていた。
「ここはカインと二人きりにしてくれないか」
全く感じる事の出来ない気配。それが逆に薄気味悪くなったレイラは、肩越しに背後を確認した。
しかしどれだけ警戒しても、やはり誰も見つけることは出来なかった。
カインはレイラが部屋から去ったと同時に、土下座をしていた。その程度で許すなら、最初からこんなに遠回しなやり方をしてこない。それがヨシュアという人間だ。それでもカインは、土下座をせずにはいられなかった。
「俺のしたことが原因ですか。レイラは今回の作戦に不向きです。どうか役割を俺と変えてください、
「おかしな事を言うね、カイン。『テロリストに自己犠牲は必要ない』君の言葉だよ。ところで……そっちの方はもう大人になったかい? レイラはコマンドの愛人だった女だろう。早速、手ほどきは受けたか」
「――……受けていません」
「ほぅ。では問おう、カイン。お前は誰から大人にしてもらうんだ?」
「――……
カインは言い終わるが早いか立ち上がって、黙々と服を脱ぎ始めた。
カインはまだ大人を知らない。アダムの子でこの年まで知らないというのは、
着ている物を全て脱ぎ捨てたカインがヨシュアを睨みつける。鍛え上げられてはいるが、少年らしさを残す褐色の身体をねめつけたヨシュアは、髪の毛を掴むと思い切り机に叩きつけた。
さあ、楽しいディナーの始まりだ。
「いつだって大人になる時には
歪みきった笑みのヨシュアが顔を近づけてくる。カインは歯を食い縛ると、最後まで目を閉じることなくヨシュアを睨み続けた。
完全防音が施されたヨシュアの執務室から出たレイラは、面食らった表情を浮かべていた。いつからそこにいたのか。アンナ・キンドリーがやけに深刻な顔をして部屋の前に立っている。
レイラはアンナの高級なワンピース姿を
「何にも知らないってのも気の毒なモノね。偽の恋愛まで掴まされてさ。アンタ、自分の恋してる相手が誰だか分かってんの?」
壁にもたれていたアンナが
「偽物じゃないし、相手が誰だかも分かってるわ。私は目が見えないけど、見えるものもあるの。貴方の後ろにいるのは、誰?」
青ざめたレイラが言葉を失って、アンナを見ながら棒立ちになっていた。
レイラの真後ろにいたのはジョージであった。
未だ鼻血の止まらないジョージ。早くも彼は、死の闇を
ーつづくー
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