Nil Umwelt

鳩芽すい

本編

0章 喉が渇いた

#1 等身大の投身

 身投げした。無価値な肉体をアスファルトに叩きつけたつもりだったが、身体が沈みこんだ先は温度の無いスプリングだった。無駄に眩しい春じゃなくて、マットレスのスプリング。笑えることに自分を傷つけようとした先が身体を休めるための生活用具だ。天国へ飛びこむ活力さえ私はもたない。自分が嫌いなはずなのに、自分可愛さでベッドへ逃げる。そんな自分がますます嫌いだ。たぐり寄せた薄手の毛布は私の全身を包むけどそっけなくて、心の冷たさを奪ってはくれない。

 今日も何もなかった。それは心内で身投げする理由にはならないかもしれないが、毎日身投げしなくては生きる痛みと比較して割に合わない。なんの釣り合いを図っているのか、皮肉にも衝動的な思考回路が破滅的な命を行き当たりばったりに救っている気もする。私という生物とは、ほんとうにどうしようもなかった。


 さて。今日は母が帰ってこなかった。

 少し、世界が整って見えた。それは、冷たい事とも同義だった。私は、世間から非難されることをした。どこかで理性が働いたかどうかは怪しかった。

 昨夜は、丸くて優しいものに身を委ねた。喉が渇いて仕方がなかった。視界は虹で染まった。

 次の日は、尖って優しいものに身を委ねた。手首が痒くて仕方がなかった。視界は赤で染まった。そんな想像をした。制服のスカートは、汚れないように放り投げていた。


「××って、時々なに考えてるのか分からないよね」

 自分の名前は嫌いだ。

「えー、そうかな」

「この世界にいないって感じ」

「うーん」

「楽しくないの?」

「そんなことないよー」

 自分の笑顔は嫌いだ。

「あーかわいー」

「えへー」

 自分が気持ち悪い。

「そうだ、土曜行くよね?」

 面倒な。

 太陽の元気な教室で私がまばゆい笑顔を造れているとして、表層ばかりの友人関係は夜を救ってくれない。かといって、裏の心を分かってほしいわけじゃない。嫌いな自分をさらけだしてしまえば、視線と気遣いに怯える私は外で息ができないだろう。

 ある人は自分一人で楽しく生きていけて、他の人を助けている。ある人は自分一人で死にかけて、他人に大きなお世話をかけて命を救ってもらっている。一方は自分の力を他人の分まで使うことで賞賛される有意義な生き方で、もう一方は人間一人分も自律できていない。他人に負担をかけてしまえば代償として、他人の手を必要としてしまう自分の価値は毟られて相対的に下がっていくのだと想像するのは、私の拙い夢想力でも簡単だった。

 結局私が人と関わる意義は、人と友好的に関わることができる自分は社会不適合者ではないことに安心するだけ。なんて次元が低すぎる報酬だろう。


「つかれた」

 私が夕日に照らされた部活で汗を流して煌めいているとして、痺れた身体に報いはない。

 突発的な達成感と幸福があれど、生涯をかけてたっぷり胸に溜めこんできた不幸感があっけなく打ち消した。後に残ったのは負債ばかり。身体と心の枷になる重い疲労だけだ。疲労は日常生活の余裕を無くし、さらなる絶望を生み、私は不幸せになっていく。


 私が母の前で輝いていたって、安心されるだけ。私の裏の苦心は分かってもらえないし、要求されるレベルは『期待』などという周囲の勝手で押し上がっていく。見られていれば、手を抜けなくなる。

「……」

「……」

 なんて、いつからかその安心も読めなくなってしまったのだけど。親子に会話はなく、責めるような視線といつかの『期待』の残滓を肌で感じた。家でも私の心は休まることはなかった。


 行動の先に、私の幸せはなかった。努力が足りないのだと言われたら、私にできる努力なんてなかったんだろう。自分に期待なんかしていない。諦められるよ。


 夜は毎日訪れた。

 食物連鎖の隅っこにいる小動物が一匹きりで落葉樹に寄りかかるように、私は部屋の隅で心臓をならしていた。

 指を動かしている。スマホに流れる文字列を無表情に眺め、ただ朝を待っていた。何も考えなくて良くて、これは苦と痛の間をとりあえず埋めておくために一番楽な行動だった。朝に何があるわけでもない。学校に行く。また、苦痛があるだけ。

 インターネットには辛かったことが流れている。他にもあった気がするけど、私の目にはそれだけしか見えていなかった。世界中の誰かがもっともっと不幸で、重い不幸の中心に浮かんでいる私はまだましなほうで、水銀の中で浸された軽い私は相対的に浮上して水面へ顔を出せる気がした。同時に、自分の不幸なんてその程度かと笑えてしまう。何も良いことなんて無かったんだから、せめて自分だけが世界で一人の可愛そうな人であってほしかった。この心を支配する感情が他の誰にでもあるものだと分かってしまえば、もっと可愛そうな人が幾らでもいるんですよなんて諭されてしまえば、もう私に価値はない。

 不幸の水面から顔を出しても、私のための酸素は用意されていない。当然沈んでいても、息ができない。どちらにせよ、身体は水銀の悲しい毒に浸されていて蝕まれていくのだ。

 

 ×× @worldend_49xoxo ⊂□

  寂しい。

  誰か助けてよ

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