僕はホムンクルス
はなぶさ
第1話 ホムンクルスと錬金術師①
僕はホムンクルス。名前はまだ無い。
どこで生まれたか、フラスコの培養液の中。薄暗い部屋で、たくさんの物で溢れている。そんな部屋の片隅に僕はいた。
僕が意識を獲得した時、僕はすでに知っていた。僕が錬金術師によって作られた人造人間、『ホムンクルス』であるということを。
視力はまだ弱く、くぐもった影がせわしなく動くのを時々薄目を開けて見るのみではあるけれど、僕は知っている。この影が僕を作った『錬金術師』だ。
彼(もしくは彼女)は、僕を作ったにも関わらず、僕という存在にはさして興味が無いようで、いつも忙しそうだ。僕はそれを培養液の中からそっと気づかれないように観察していた。
僕は『ホムンクルス』であることを知っているし、僕は『錬金術師』によって作られたことも知っている。
だけど『なぜ』作られたのかは知らない。わかろうとは思わない。でも、いくら気づかれないようにしているとはいえ、僕が観察していることにいつまでたっても気がつかない錬金術師の様子を見るに、そんなにたいした理由ではなさそうだ。
フラスコの中は錬金術師を観察するしか、することがなくて、早く出たい。
僕は観察しているその人間のように『立つ』ことや『歩く』ことを知っているし、時々聞こえる、『話す』ことも知っている。だから早く外に出たい。それらは、今の僕には出来ないことだということはわかっているのだけれど。
そうして僕は思う。これが『退屈』だという感情なのだと。
僕が退屈という時間をどのくらい過ごしたのだろうか、気がつくといつの間にか僕の視界には2つの丸が出来ていた。
僕はそれを興味深く見ていた。そしてそれが握った手のひらであることを早々に理解した僕はその手を『開く』、『閉じる』といった行動を繰り返すといったことに夢中になっていて、いつもならすぐに気がつく影が、じっとこちらを見つめていることに気づかないままでいた。
「やっとそれらしい形になったな」
僕は急に近くから聞こえた声にびっくりしたけれど、それを悟られないように声の方にゆっくりと視線を向けた。視線はたしかに交わったように思う。だけど、近くでフラスコを通して見る影はひどく歪んでいて、つられて僕の顔も歪んだ。
目の前の歪な影は口元を隠すとその口元から「ふふ…」と息を漏らす。
僕は、僕を作った錬金術師が、僕を見て『笑う』、笑ったことを理解した。笑われた。
そうした途端、僕はひどくモヤモヤとした不快な感情に襲われた。歪んだ顔を更に歪ませたいような気持ちになった。僕は僕の感情を理解出来ないまま、目の前の人間をただただ、嫌いだ、と思った。
それから、そうしたことは度々あった。
僕が外の世界や錬金術師を観察するように、錬金術師も僕を見ていた。
そのたびにその錬金術師は薄く気味悪く笑うものだから、はじめは不愉快な思いを抱いていた僕もその回数を重ねるごとに考えを改めた。
錬金術師である彼の研究の産物である僕、ホムンクルス。
その僕を見て笑うというのは、その研究が順調であるということだろう。
それなら思わず笑みが溢れるというのも致し方ない。相変わらず、『笑われる』というのはひどく不快な感情を引き起こすものだったが、僕は『寛大』な心で許してやろうと心に決めた。
僕の体が大きくなるにつれ、更に大きなガラスの中に移されるということを三度繰り返すと、僕は人間で言うところの6歳頃の背丈になっていた。
もう十分に『立つ』ことも『歩く』ことも『話す』こともできるはずだ。
なのにこの錬金術師はいつまでたっても外に出さない。出そうとしない。僕はいつも錬金術師と視線が交わるたびに出してほしいと視線で、全身の体の動きで訴えてきた。だけど錬金術師はうんうんとうなずき微笑むだけで、ちっとも伝わりやしない。
僕はついに業を煮やして暴れに暴れた。手足をバタバタと上下に振って、大きく『叫ぶ』。
残念ながら『空気』を震わせることは出来なかったけれど、僕はこれが『叫ぶ』ということなのだと、そしてその様子を見ても僕の欲求が少しも伝わる様子のない『悲しみ』や『絶望』、そして培養液の中に溶けていった僕の瞳から流れ出たものが『涙』であるということを本能的に悟った。
結果的には僕は培養液の外に出してもらうという欲求を満たすことが出来たのだけど、念願かなって外に出してもらえたというのに僕はちっとも『嬉しい』などとは思えなかった。なぜなら、錬金術師は僕の欲求を知っていたのにも関わらず、僕の行動をひとしきり観察し、僕が暴れ疲れて寝静まった頃にようやく観察も終わったとばかりに、培養液の外に出したようだった。
僕は錬金術師の手のひらで踊らされているような『無力感』を感じた。
肺を使った初めての『呼吸』も、培養液や硝子を通してではない初めての晴れた視界も僕の心を動かすものではあったけど、それでも『無力感』には勝てなかった。
僕はホムンクルス。錬金術師の実験動物。いつかこの錬金術師にもう必要はないと判断を下され、命を奪われる時が来るのだろうか。
僕はなんの保証もない『未来』に、ホムンクルスとして生まれた生を嘆いた。
そんな僕を相変わらず、あの不愉快な錬金術師は観察しているいるようだった。
僕は顔をあげることが出来ずに、ただ座らされた椅子から足元を見ることしか出来ずにいたけれど、時折何か錬金術師が『書く』ような音が聞こえる様子は伺えた。テーブルの向かい側で僕の様子を記録しているだろう錬金術師は一体、何を思っているのだろう。ただいつも培養液の中から聞いていた錬金術師の漏れ出たような笑い声が無い静寂だけが唯一の救いだった。
「さてと」
錬金術師は持っていたペンから手を離すと、椅子を引いて僕に向き合うように座り直したようだった。
「はじめまして、…ではないな、こんにちは」
僕は錬金術師の顔を見た。錬金術師が僕の観察をやめて意思疎通を測っている。僕は錬金術師の顔をじっと見つめていたけれど、それさえも観察なのだろうかと思うと僕の視線は再び下へと向いていく。テーブルの上では錬金術師がテーブルの上で手のひらを組んでいるのが見えた。
「こんにちは」
錬金術師は再び言った。僕と錬金術師の間には再び静寂が訪れるだけであったけど、その静寂は僕の考えを戒めるようであった。
僕は、僕が黙っていることが、自身の欲求を満たすことが出来なかったことに対する、『拗ねる』といった、幼稚な行動に思えてきたのだ。
「………こんにちは」
そしてこれが、僕の生まれて初めての産声となった。
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