第四十話 金井秀人は忘れて、思い出す



 十二月二十日。午後十時半。


 空は曇っていて、月も出ていない。

 雪は降っていないが、降りそうな気配はある。そんな夜。風はほとんどない。


 住宅街の中にある、一戸建て。近くの建物と隣接している。隣接部分は日当たりが悪そうだ。


 そんな一戸建ての敷地内に、秀人は入っていった。


 隣にあるのは、最近まで営業していた、住居一体型のコンビニエンスストアだった。


 老女の家を出た洋平と美咲が、住みついたコンビニ。


 秀人が敷地に入った一戸建ては、新しかった。新築と言ってもいい。隣に建っているコンビニとの外観の違いが目立つ。綺麗な家だ。


 この家の窓は全てカーテンが閉められ、中は見えない。一階の部屋の明かりが点いている。カーテンの隙間から、光が漏れ出していた。二階は、明かりが点いていない。


 狭いが庭と呼べる場所に足を運んだ。外壁の段差になっているところに、大きな窓がある。秀人の身長よりも大きい窓。


 秀人は窓際に立った。リビングに通じていると思われる窓。


 左手から、超能力を出す。棒状に出したそれを、細く絞り上げた。窓の隙間すら通るほど、細く薄く。


 窓と窓の隙間から、家の内側に超能力を滑り込ませた。生み出した超能力を自分の手のように使って、窓の鍵を開けた。ゆっくり、音が鳴らないように。


 この窓の向こうに、家の住人がいる。

 

 秀人は無造作に窓を開けると、カーテンをくぐり抜け、家の中に侵入した。


 窓から入った部屋は、思った通りこの家のリビングだった。ダイニングと繋がっている。


 ダイニング付近にある食卓テーブルの上には、ビールと枝豆。リビングの奥にあるテレビは消えていた。今は誰も座っていないソファーには、クッションが二つ。


 テーブルの椅子には、一組の男女が向かい合うように座っていた。晩酌の最中なのだろうか。秀人と同じ年頃の男女。夫婦だろう。二人の左手薬指に、指輪。リビングのどこにも、子供の遊び道具は見当たらない。二人暮らしの夫婦のようだ。


 夫婦はしばし呆然としながら、窓から侵入してきた秀人を見ていた。突然の出来事に、理解が追いつかないのだろう。


「だ──」

「さよなら」


 誰?──とでも聞こうとしたのだろうか。声を上げかけた妻の方に、秀人は超能力を放った。続けて、夫の方にも。


 打ち出した超能力は、あっさりと二人の命を奪った。血が飛び散る。ビチャッという水音が所々で鳴った。コップのビールや皿の枝豆に、血がかかった。点々とした血痕がリビングダイニングに残った。飛び散った、赤い色。夫婦の頭からは、血が流れている。


 命を失った夫婦は、椅子から、ゆっくりと倒れ落ちた。ゴトン。夫婦の体が床に落下して、鈍い音がした。


 秀人はレーダーを広げた。この家は、おそらく夫婦の二人暮らしだろう。けれど、一応、他の人間の気配がないか、探ってみた。レーダーには、何も引っ掛からなかった。


 この家は、見るからに新しかった。きっと、ローンでも組んで、二人の生涯の住処として建てたのだろう。その目的は、もうすでに果たされたわけだ。予定よりはずいぶん短い期間になっただろうが。


 人の命など、こんなものだ。

 人の人生など、こんなものだ。

 他者に簡単に踏みにじられる。

 踏みにじられ、潰される。

 潰した人間は、何の感傷も抱かない。

 秀人の人生を踏みにじった者達のように。

 秀人が今、この夫婦の人生を終わらせたように。


 夫婦が座っていた場所の近くに、ドアがあった。


 秀人はドアを開け、リビングから出た。廊下。正面と左側の二手に分かれている。左側には玄関。正面方向に洗面所や浴室があった。


 秀人は玄関側に進んだ。玄関の正面に、二階に通じる階段があった。


 二階に登る。部屋が三つある。洋平達が住んでいるコンビニが見えるであろう位置の部屋。そのドアを開け、中に入った。


 明かりが点いていない部屋は、当然のように暗い。客室にでも使っていた部屋だろうか。綺麗に片付いていて、小さなテーブルが隅にあった。六畳ほどの部屋。左側に押し入れがある。ドアの正面奥に窓。カーテンが閉まっている。


 秀人は部屋の奥まで進むと、指で少しだけカーテンを開けた。思った通り、洋平達が住んでいるコンビニの窓が見えた。コンビニの二階。住居部分の部屋の窓。


 目の前にあるカーテンもない部屋は、暗かった。電気は止まっているはずだから、明かりなど点くはずがない。


 あそこの家主は、どこかの管理会社に管理を依頼していないのだろうか。どうでもいい疑問を頭に浮かべながら、秀人は、洋平達がいるであろう部屋を凝視した。


 暗闇に目が慣れてきた。洋平達がいる部屋が見えるようになってきた。部屋の中央部に、布団が敷かれている。布団の中には、二人の人影。


 布団の中で、洋平と美咲が重なっていた。


 暗いので、二人の表情などは見えない。ただの人影のようにしか見えない。それでも、彼等が今何をしているのかは、容易に分かる。


 表情などは見えない。二人の声が聞こえるわけでもない。それなのに、その動きや仕草から、洋平や美咲の気持ちがここまで伝わってくるようだった。


 影しか見えないような状態でもはっきりと分かる、慈しみ合う二人。愛おしそうに触れ合う二人。


 情欲を満たす行為なのに、劣情を感じない。ただただ、目の前の相手を求めている。純粋に、お互いを求めている。


 その姿は、胸を裂かれるほど美しかった。


 自然と、秀人の口元が緩んだ。無自覚に浮かべた笑みだった。微笑んだまま、しばし、二人に見とれてしまった。


 二人がきつく抱き合って影がひとつになった頃、秀人は我に返った。


 結局、そうなったか。口の中で呟いた。


 美咲が洋平に想いを寄せていることは、秋田家に侵入した時点で気付いていた。


 その時点で、洋平の美咲に対する気持ちは、恋愛感情とは言い切れないものだった。けれど、あれから、二人の間に何かがあったのだろう。今では、完全に互いを想い合っている。先ほど目にした行為は、ただの慰め合いではない。情欲を満たすだけのものでもない。そう断言できた。


 そういう関係になったのなら、好都合だ。


 美咲は洋平から離れない。今では洋平も、美咲から離れられなくなっている。秀人と共に行動していた頃とは違う。


 あの時の洋平は、自分を犠牲にしてでも美咲を守ろうとしていた。その結果、彼女と一緒にいられなくなっても。


 だが、今の洋平は、どんなことがあっても美咲から離れないだろう。彼女とともに行動し、逃亡する。たとえ彼女が、足手まといであったとしても。


 警察の──超隊による捕縛作戦が開始されて、追い詰められても。それでも決して、離れようとしないはずだ。


 秀人はすでに、三橋に洋平達の居場所を伝えていた。


 その情報は、三橋から、洋平達を追っている捜査本部へ知らされている。


 捜査本部は、現時点で、洋平を超能力者だと断定していた。そう断定するように、秀人が仕向けた。洋平達が最後に侵入した家の大学生を、超能力を使って殺したのだ。頭を打ち抜いて。


 洋平に不法侵入され、警察に訴えた大学生が殺された。頭を打ち抜かれたのに、銃弾が出てこない。その事実から、警察は、洋平が報復のために大学生を殺したと判断した。超能力を使って大学生を殺したのだ、と。


 捜査本部では、慎重に会議が進められた。警察側も、超能力者の捕縛作戦を立てるのは初めてなので、念入りに計画が練られた。


 決定された作戦の決行日は、十二月二十四日の午前零時ちょうど。コンビニ周辺を超隊の隊員で囲み、正義まさよしと五味という超隊員がコンビニの中に乗り込む。


 周辺を囲む超隊員は、コンビニから十五メートル以上の距離を取る。これは、正義が提案したという。洋平は周囲の動きを察知できるはずだから、と。


 住処の近辺を包囲され、二人の超隊員に乗り込まれる。


 もう、洋平達に逃げ場はない。


 それでも洋平は抵抗するだろう。美咲と一緒に逃げるために。美咲と離れないために。


 洋平達は追い詰められる。銃を撃って威嚇し、攻撃し、必死に抵抗する。


 抵抗して、抵抗して、抵抗して……。


 そうなるように、秀人は仕向けた。洋平達が、必死に抵抗するように仕向けて。


 ──そう仕向けて、どうする?


 重なる二人の影を見ながら、ふいに、秀人は考えた。あの二人を追い詰めて、俺は、どうしたいんだ?


 頭に浮かんだのは、三人で暮らした日々だった。


 洋平と美咲が楽しげに話している。二人が、秀人を慕っている。


 洋平が何かを身に付けるたびに、秀人は彼の頭を撫でた。秀人自身が、自分の父親にされていたように。


 美咲が食卓に出した料理を食べるたびに「旨い」と感想を述べた。秀人自身が、自分の母親にそうしていたように。


 まるで、本当の家族のようだった。そんな暮らし。今でも鮮明に浮かび上がる、たった三ヶ月の暮らし。両親はもういないが、家族が戻ってきた。二度と戻らないはずの家族が。そんなことを思わせる日々。


 もう二度と戻らないと思っていた家族。失った家族。


 理不尽に奪われた家族。


 ──優しかった父と母を、理不尽に奪われた! 


 そうだ。秀人は思い出した。洋平達の動きを追っていた理由を。彼等に執着していた理由を。


 利用するためだ。この先起こす暴動の検証材料として、利用するため。徹底的に追い詰めて、警察が管理する銃を使って、警察に抵抗させる。


 超隊が相手なら、殺意はなくとも、洋平は銃を使わざるをえない。全力で抵抗する必要がある。


 超隊の奴等も、抵抗する洋平に対して本気になるだろう。彼等は、洋平を超能力者だと思っているから。結果として、激しい闘争になる。それこそ、死人が出るほどの。

 

 死人が出ればいい。


 戦力的に考えて、死ぬ可能性が高いのは洋平だ。


 超能力を使えるわけでもない少年を、超隊の人間が殺した。少年が所持していた銃は、本来、警察が厳重に管理すべきもの。


 その出来事が明るみに出たとき、世間はどんな反応をするか。マスコミは、どんな報道をするか。


 その内容によって、引き起こす暴動の計画や方針、中身を決める。


 洋平や美咲を使った実験は、思惑通りの結果になる可能性が高い。秀人が考えていた理想に近い。


 洋平が超隊に殺される結末が、理想。


 重なる二人の影を、秀人はじっと見つめていた。家族のように暮らした二人が、互いを想い合っている姿。目にしたことで、つい微笑んでしまった二人の姿。


 先ほど浮かべた微笑みは、もう、秀人の顔から消えていた。




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