第三十話 金井秀人は分からない



 夏場の晴天。

 空から、太陽の光が降り注いでいる。


 昼間の、午後一時。


 一人暮らしの学生用マンションやアパートが密集している地域。


 スモークガラスの車に乗った秀人は、冷房の効いた車内で、目の前のアパートをのんびりと見つめていた。


 秋田一家を全員殺してから、一週間が経っていた。


 洋平や美咲と決別した日。使えないと判断したから、切り捨てた日。


 秀人にとって、あの日は、ただそれだけの日だった。


 彼等に優しく接した。色んな事を教えた。自分の過去を話した。誕生日にケーキを買った。全ては、彼等の心を掴み、自分の思うように利用するために。


 秀人の思惑とは違い、洋平は使えない奴だった。人を殺せない。殺意を持って引き金を引けない。利用価値がない。だから捨てた。


 美咲は、洋平をコントロールするために必要な駒だった。当然、洋平が不要になれば、美咲も不要となる。だから捨てた。


 電化製品と同じだ。壊れていて使えないから、捨てる。使えない道具に、持っている意味などない。


 とはいえ、ただ捨てるのも癪だった。買った電化製品が不良品だったら、購入元に問い合わせをする。それと同じような感覚で、秀人は、銃と車を洋平に譲った。彼が、少しでも秀人の思惑に近い行動を取るように。


 秀人に見捨てられた洋平は、再び、浮浪者生活に戻ることになる。車があるから、車上生活か。


 美咲は、そんな洋平から離れないだろう。彼女は洋平を慕っている。まだ自覚はないようだが、彼女にとって、洋平は掛け替えのない存在になっている。だから、どんなことがあっても洋平の側にいる。


 元浮浪者である洋平にとっては、車上生活など苦でも何でもない。むしろ、屋根のある場所で眠れる生活は、彼にとっては有り難くさえあるはずだ。


 けれど、美咲は違う。彼女は、親の愛情に恵まれなかったとはいえ、衣食住に苦労することはなかった。そんな美咲が、長い間車上生活に耐えられるか。


 否、だ。


 美咲は間違いなく、肉体的にも精神的にも疲弊する。それはすぐに体調にも表れる。それでも、洋平から離れないだろう。平気なふりをして、無理をして、大丈夫と言い張って、洋平と共に行動するだろう。


 洋平は馬鹿ではない。むしろ、知能の高さは天才と言っていい部類だ。それは、彼を指導していた秀人が一番よく分かっている。今までの生活環境のせいで、常識や社会性は確かに低い。それでも、秀人と共に過ごした時間が、彼の思考を常人レベルよりも上に成長させた。


 だから、洋平は簡単に気付く。美咲が、無理をしていることに。強がっていることに。


 知識や経験を得ても、洋平の根幹は変わらない。弱い者を守る。美咲を守る。そのために、彼はどうするか。家もなく、職もなく、社会的地位もなく、さらに犯罪に関わった自分達が、普通の家で生活するにはどうしたらいいか。


 美咲の家に戻ることはできない。住む場所も食べる物も、自分達でどうにかするしかない。


 そうなると、洋平に残された選択肢はひとつだ。自分一人で生きていたときのように、一人暮らしの学生の家に強制的に入り浸る。


 秀人には、すべて予想できていた。思い通りに彼等を動かすために、車や銃を洋平に渡した。


 洋平ひとりなら、いくらでも上手くやるだろう。学生の家に入り浸り、警察に通報されても逃げ延びるだろう。


 しかし、美咲を庇いながら、そう簡単に逃げ延びることができるか。


 この答えもまた、否、だ。


 警察に追われ、もしくは入り浸る家の家主に抵抗された洋平は、さらに犯罪に手を染める。美咲を守るために。殺しはできなくとも、美咲を守るためなら、必要最低限の攻撃はできる。それは、暴力団から彼女を助けたときに証明されている。


 美咲を守りながら逃げる洋平の姿が、秀人には容易に想像できた。


 警察に追われることとなれば、たとえ殺す目的でなくとも──威嚇の目的であっても、銃を使用する場面があるはずだ。警察から奪った銃を、威嚇や攻撃のために発砲するのだ。


 それはある意味で、秀人の目的のプロトタイプと言えた。適当な人間を利用して、警察の銃を使って暴動を起こさせる。その前段階の実験として、洋平達を使い、警察と争わせて銃を発砲させる。


 美咲という足手まといを守り抜くため、洋平は、秀人の思い通りに動くだろう。殺しという禁忌を犯さない、ギリギリの境界線で。


 秀人は、彼等の動きを追っていた。車に付けた発信器を頼りに。新しい車の中で。


 車など、秀人は簡単に入手できる。岡田に「ちょうだい」と言えば、彼は簡単にくれる。


 洋平と美咲は、秀人の思惑通りに動いていた。


 秋田家から逃げた後、車上生活を開始した。

 美咲は、たった三日で体調を崩した。


 美咲を心配した洋平は、四日前に学生を叩き伏せて、その家に入り浸り始めた。彼女を、柔らかいベッドで休ませるために。


 二階建てのアパート。その一階。


 洋平がひとりで生きていたときは、概ねひと月程で学生の家を出ていたという。それ以上長居すると、家主の学生の精神に異常が出ると判断した。そう、彼自身から聞いていた。


 今になって考えてみれば、この話を聞いた時点で、洋平が殺しに向かないことが分かりそうなものだ。無関係な学生にすら気を遣う彼に、人殺しなどできるはずがない。


 なぜ、そんな簡単なことに気付かなかったのか。


 自分らしくない考えの甘さに、秀人は苦笑するしかなかった。


 どうして自分の目は、こんなにも曇っていたのか。どうして冷静に分析もせず、洋平に傾倒していたのか。どうして彼を褒めるときに、無意識に頭を撫でてしまったのか。どうして、洋平が引き金を引けなかったあの瞬間まで、彼を手放すのが惜しいなどと思っていたのか。


 どうして、褒められて嬉しそうに笑う洋平を見て、子供の頃の自分が思い浮かんだのか。


 たぶん、三人で暮らしていたときの自分は、どこか変になっていたんだ。


 考えてみれば、幸せな雰囲気に包まれて生活するなど、ずいぶん久しぶりだった。父親が逮捕されたとき以来だから、二十年以上振りだ。


 一見すると、幸せそうだった彼等との生活。しかし、慣れない環境は、自分にストレスを与えていたのだろう。


 秀人の結論は、そんなところに着地した。


 でも、今は違う。今は冷静だ。思考も正常に行えている。目の前の状況も、正確に判断できている。


 学生のアパートに入り浸り始めてから、洋平や美咲は、一度も外に出ていない。少なくとも、秀人が見張っているときは。飲食は、デリバリーを使っているようだ。時々、配達員が学生のアパートを訪ねていた。代金は、家主である学生の財布から出しているのだろう。


 以前の洋平の行動から考えると、今の侵入生活を、あと三週間ほど続けるはずだ。


 これからの動きの時系列を、秀人は頭に浮かべた。


 洋平達が出て行った後、家主の学生は、警察に被害届を出す。


 洋平の不法侵入事件については、すでに警察の捜査が始まっている。同一犯の犯行として、さらに捜査が進められるだろう。


 そのタイミングで、三橋に、洋平達の顔写真でも渡すか。捜査を進展させ、洋平達を追い込むために。秀人自身の思惑通りに事を運ぶために。


 そんな流れを頭の中で思い浮かべていると、秀人の視界の中で、学生の部屋のドアが開いた。


 デリバリーの配達員が来たわけではない。学生の家には、誰も訪ねて来ていない。


 内側から開かれたドアから、洋平と美咲が出てきた。おどおど、コソコソとした様子の二人が。


 洋平の顔は、苦渋に満ちている。申し訳なさそうで、苦しそうで、悔しそうで、心配そうで。そんな痛々しい表情で、美咲に何かを話しかけていた。


 洋平に何かを言われた美咲は、笑いながら、ポンポンと彼の肩を叩いた。


 彼等の会話は、秀人の耳には届かない。


 美咲の顔色は、明らかに悪かった。明るい太陽の光に照らされた彼女の顔は、死人のように真っ白だった。表情は笑っていても、その顔色が、彼女の不調を明確に物語っていた。


 二人で一緒に出てきたということは、もう、この家を出るのだろう。それは容易に想像がつく。


 分からないのは、どうして洋平と美咲がこんなタイミングで学生の家を出るのか、だ。


 洋平が学生の家に入り浸る期間は、平均で概ね一ヶ月程度。彼等が今の家に侵入してから、まだ四日しか経っていない。美咲の体調だって、明らかに回復していない。


 それなのに、どうして。


 家主の学生に、隙を見て通報でもされたのだろうか。考えられる要因は、それくらいしか思い当たらない。


 洋平は美咲をおんぶした。少しでも、彼女の負担を減らすように。


 背負われた美咲は、洋平に甘えるように密着していた。洋平の背中に頬を当ながら、まだ微笑んでいた。もう、洋平の目に美咲の顔は映っていないのに。無理に笑う必要なんてないのに。明らかに具合が悪そうな顔色で、どう見ても体調が悪いのに。それでも、幸せそうに笑っていた。


 秀人は、彼等の様子をスマートフォンで撮影した。三橋に──警察に渡す犯人の写真として。


 洋平も、美咲も、追い込まれている。秀人が撮影した写真が警察の手に渡れば、追い込みにさらに拍車がかかる。


 思惑通りだ。洋平が人を殺せないことに気付かなかったのは、確かに失態だった。だが、それ以外はコントロールできている。


 秋田家での出来事を除いて、自分の思惑通りに進んでいる。


 ほくそ笑むべき展開だ。


 それなのに秀人は、笑うことができなかった。




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