第60話 閑話・子ども扱い

 今日は朝から雨が降っていた。雪に変わってもおかしくないぐらいの、寒い朝である。


 外の様子を見て薬草園の仕事が屋内になるだろうと予想したレイナルドは、共有の執務室には行かず自分の個室で執務をこなすことにした。


 隣でつまらなそうに書類を眺めていた側近のクライドが、思い出したようににやついた顔を上げる。ちなみにこれは間違いなくわざとである。


「レイナルド。今日はフィーネちゃん見られないね」

「……ああ」


「残念だね? 俺、フィーネちゃんが帽子を落としたり魔法道具を落としたりミア嬢に話しかけられてアワアワしてるのを見るの好きなんだけどな?」

「……工房勤務の日だってそうだろう。別に、窓からフィーネが見えないのは珍しいことじゃない」


 そっけないレイナルドに、クライドはぷぷっと笑う。


「あ、そっか。たまには集中できる日があってもいいもんね? こーんなに書類溜まってるし」

「……クライド。お前な、」


 ひたすらからかい続けるクライドに、レイナルドが片眉をあげて不快感を示したところで執務室の扉が開いた。


「ふふふ。二人とも楽しそうね」


 入ってきたのは、流れるような黒髪を美しく結い上げ、南の海のように透き通った青い瞳が印象的な美女である。すかさずクライドが立ち上がり、恭しく挨拶をした。


「王妃陛下、今日もブルーダイヤモンドのように輝いていらっしゃいますね」

「いやね。そんなにわかりやすい挨拶をするのはあなたぐらいだわ、クライド卿。女性に対してお世辞を言えるぐらいすっかり大きくなってしまって」


「王妃陛下の前ではどんな褒め言葉も無意味になってしまうのが悲しいです」

「ふふふっ。聞いた? レイナルド?」


 側近と身内の白々しい挨拶を横目に、レイナルドはため息をつく。


 昨日、フィーネから聞いた話は完全に青天の霹靂だった。そのことも手伝って、声色も無意識のうちに固くなってしまう。


「……王妃陛下。今日は姿をされているのですね」

「ふふふ。やっぱりこの格好じゃ母上とは呼んでくれないのね」

「当然です。いつまでも子ども扱いは……」


 いい加減に一人前として扱ってほしい、とレイナルドが口にしようとしたところで、王妃陛下は小首をかしげて少女のように笑った。


「ふふっ。だって、認識阻害ポーションが切れちゃってるんだもの。仕方がないから、普通にお仕事をしようかなって」

「なるほど。それは、国王陛下はさぞやお喜びでしょう」

「やあねえ。いくら何でも国王陛下のお仕事を取ったりはしていないわよ?」


 おっとりと微笑む母親に、レイナルドはよく似た笑みを浮かべながら頬を引き攣らせる。


(この人は本当に……)


 二十年ほど前、アルヴェール王国の筆頭公爵家から王家に嫁いできたレイナルドの母親、アデール・エリザベス・ファルネーゼ。当時から才女として名を馳せた彼女は、それと同時に変わり者としても有名だった。


 絶世の美女である彼女には国内外から多くの求婚があったらしい。けれど、その心を射止めたのは当時この国の王太子だったレイナルドの父親――現国王陛下、である。


 才女かつ絶世の美女であっても国家権力には逆らえないのか、と民衆は同情したようだが、実際のところはアデールが王太子の少し抜けたところに惚れ込んだのだ――ということをレイナルドは耳にタコができるほど聞いている。


 つまり、国王陛下夫妻はとんでもなく仲が良く、国王は王妃の尻に敷かれているということだった。


「ハイ、これ。この案件はレイナルドが抱えている別の件と深くかかわりがあるわ。一緒に進めたらいいお勉強になるわよ」

「……」


(いいお勉強……)


 執務机の上に置かれた書類を前にレイナルドはさらに顔を引き攣らせた。子ども扱いはやめてほしいと言おうとしたのにこれである。背後に控えていたクライドが笑いを堪えている気配もして、居心地が悪いことこの上ない。


 拗ねる一歩手前のレイナルドに、王妃陛下はたおやかに微笑んだ。


「そういえばね。私、いいお友達ができたのよ。今度あなたにも紹介するわね。きっと気が合うわ」

「! ……その方の名前を伺っても?」


「あら。興味があるのね? どんな子かお話ししてもいないのに」

「……王妃陛下の言動に意味のないことなどありませんから」

「まぁ。お母様のことを尊敬してくれていてうれしいわ」


 ニコリ、と笑みを深めると、王妃陛下はドレスの裾をひらひらとなびかせて部屋を出て行ってしまった。


(煙に巻かれた……)


 残されたレイナルドは敗北感を味わいつつ書類を手に取った。それを背後からクライドが覗き込む。


「おー、こわっ。レイナルドは絶対母親似だよな。外見もだけど、中身までそっくりだ」

「俺が王妃陛下に? 嘘だろう」

「いや、似てるって。絶対に敵に回したくないところがそっくり」

「……」


 それには極めて個人的な主観が入っているのではないかと思ったが、能力を評価する言葉でもある。それほどに、王妃陛下はただの国母ではなく才女として一目置かれているのだ。


「王妃陛下が言ってたお友達、って絶対フィーネちゃんのことだよね?」

「まぁ、だろうな」

「どーすんの?」


「フィーネにはあまり関わらないように言っておいたし、何よりもしばらくは認識阻害ポーションがない。このまま見守るか」

「そーだね。それにしても、王妃陛下が気に入った子をレイナルドに紹介したいなんて今までに聞いたことがないけど?」


 茶化してくるクライドを睨みつつ、レイナルドもその重みを受け止めていた。


(静かに研究をして生きていきたい彼女にとって、負担にならなければいいが……)

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