第57話 何者なのでしょうか

 その次の休日。


 いろいろなもやもやに堪えられなくなっていた私は、気分転換のために王宮図書館へとやってきていた。


 レイナルド様の前から逃げ出してしまった日。私はクライド様に助けられて夕方のアトリエに行き、魔力を補充するポーションをお返しした。


 レイナルド様はとても心配そうな表情をしていたけれど、私の顔色を見ると納得してくださった。そして「こんなにすぐに回復するぐらい魔力量が多いなら大丈夫だったね」と微笑む姿は本当に普段通りに見えて。


 些細なことで動揺したり恥ずかしくなったりする未熟な自分を何とかしたい……!



「ふぅ。やっぱりここは素敵な場所だわ……」


 ドーム型のステンドグラスから差し込む光に照らされて、いくつかの魔法書を読んだ私の心は凪いでいた。


 今なら、たとえ顔中についた泥をレイナルド様に拭いてもらって、抱きかかえられて薬草園に搬送されたところで慌てることはない気がする。……ううんやっぱり無理かもしれない。


 ところで、魔法書にはただ呪文が並んでいるわけではない。それぞれの呪文ごとに留意事項や周辺知識などが書いてあって、それを読むのも楽しいのだ。


 次の本を手に隅のベンチに座り直した私は、こちらに視線が注がれているのに気がついた。この前、私に声をかけてくださった女性だった。


 私は慌てて立ち上がって挨拶をする。


「フィ……フィーネ・アナ・コートネイと申します」

「また会ったわね。魔法書の棚はいつも空いているのに」

「お、お邪魔して申し訳ございません……!」

「あら、いいのよ。いつも一人で寂しいもの。ここの本が好きな仲間がいると思うだけで私も楽しいわ」


 上品な女性の笑顔につられて、私もつい微笑んでしまう。女性は「リズ」と名乗った後、私にこの図書館のいろいろなことを教えてくださった。


 会話が一段落したところで、リズさんはドーム型の天井を見つめて息を吐く。


「もうすぐ、ここに希少価値のある魔法書が増えるわ。今、特別な仕掛けがないか確認をしているところなの」

「……それは、楽しみです」


 きっと、それは没落したスウィントン魔法伯家で保管されていた本たちのことで。もうすっかり受け入れてはいるけれど、懐かしい思い出が私だけのものでなくなることは寂しい。


 そんなことを考えていると、リズさんはため息をついた。


「はぁ。うちの息子にもあなたみたいなお友達がいたらよかったんだけどねえ。趣味もぴったりだし」

「リズさんには息子さんがいらっしゃるのですね」

「ええ。あなたと同じぐらいの年齢かしら。錬金術や魔法に夢中で、お年頃なのに一度も好きな子を連れてきたことがないのよ? 確かに魔法は素敵だけれど……屁理屈ばっかりで婚約者も置いてくれないんじゃ、本当に困っちゃうわ」

「そ……それは」


 リズさんに私と同じ年頃の息子さんがいると聞いて親近感を覚えたものの、ドロシー様たちとの夢物語に近い恋バナしか知らない私は何と答えたらいいのかわからなくて言葉に詰まる。


 そんな私の様子をものともせず、ペラペラと魔法史の書物をめくっていたリズさんは、あるページに目を留めるとにっこりと笑った。


 この強引さは、誰かに似ているような……と思ったけれど、肝心の誰なのかが全然出てこない。


「あ。あったわ。あなたを見ていると、この挿絵を思い出すなって思っていたの」

「……?」


 軽く会釈をして覗き込んだ先には、美しい男女が佇む挿絵があった。ページのタイトルには『精霊に近い存在』と書いてある。


「これは……遠く離れたリトゥス王国について書かれた内容ですね」

「あら、よく知っているのね。これはアカデミーでも習わない内容だわ」

「あの……好きなんです、魔法の話が」

「ふふっ。ますます気に入ったわ」


 微笑みを浮かべるリズさんはとっても華やかで。気に入った、という言葉がうれしくて、私はつい饒舌になってしまう。


「リ……リトゥス王国はこのアルヴェール王国から遠く離れた地にある小国です。海を越え、山脈に囲まれた高地という地の利もありますが……これまでに一度も他国の支配を受けたことがない国だと。魔法を起こす精霊とも特別な関係があると言われています。この世界から魔法は消えたといわれていますが、それについてもリトゥス王国は沈黙を貫いて……、」


 私はハッと気がつく。しまった喋りすぎてしまった……!


『申し訳ございません!』と頭を下げたけれど、リズさんは特に驚くこともなく優しい微笑みをくれた。


「そうよ。他国ともほとんど交流を持たないから、実情はヴェールにつつまれているのよね。私も行ってみたいのだけれどねえ。入国の許可どころか夫がなかなか難しくて」

「ご……ご主人が?」


「そう。いろいろうるさくって。……じゃなかったわ。今気になったのはあなたの外見なのよ。この挿絵に載っている金色の髪と碧色の瞳はリトゥス王国では王族の証でしょう。もちろん、このアルヴェール王国でも偶然同じ特徴を持って生まれる人間はいるけれどね」


 私は認識阻害ポーションを飲んでいるけれど、髪や瞳の色など特徴的な部分はそのままだった。もちろん、レイナルド様に対しては『フィオナ』と『フィーネ』が遠縁にあるといえば逃れられるものではあるのだけれど……今そのことを考えるのはやめておこうと思う。


「そ、そうですね。私の外見の色は少し珍しいですが……リトゥス王国に縁はないし、全くの偶然です」

「そうよね。ごめんなさいね、変なことを言ってしまって。ふふふ」


 上品に微笑んだリズさんはゆっくりとした動作で立ち上がると続けた。


「さぁて。明日からしばらくここには来られないのよ、私。フィーネさんと言ったかしら」

「は、はい」

「今度、お茶にでもご招待するわ。もっと、いろいろなお話をしましょう」

「わ、私とでしょうか!?」

「ええ。あなたがいいの。とっても気に入ったわ」


 またね、柔らかく微笑んで魔法書のエリアを出て行くリズさんの後ろ姿を、私はぼうっと見送る。


 私と同じように魔法や錬金術が大好きなリズさん。とっても綺麗で優しくて、素敵な人だけれど……なんだか掴みどころがない。


 一体、何者なのかな。

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