第56話 真実を明かせないのは

 それは間違いなく私がレイナルド様の心遣いを無視してアトリエを飛び出してしまったからで。自分のことにいっぱいいっぱいで、あんなに優しい人を傷つけてしまったかもしれないという事実に、さぁっと青くなった。


 私の様子に構うことなく、クライド様はキラキラの小瓶を取り出す。


「でさ。これ預かってきた。魔力を回復させるポーション」

「あ……あの」

「見た感じ、これめっちゃ高いやつじゃない?」


 たしかにその通りだった。紫色のリボンが巻かれた尖った小瓶は特に質の高いポーションの証。気軽に友人に贈るものではないのが一目でわかって、困惑していただけの私は息を呑む。


「こ、これは受け取れません……! それに、私は元気です……!」

「レイナルドはそう思ってないみたいだったよ? なんかすごい心配してたもん? 子どもの頃からの仲良しの側近を邪険に扱うぐらいに?」

「ほ、本当に申し訳……、あの、これからアトリエに行ってお礼をお伝えして、お返しします……」


 私がか細く呟くと、クライド様は「絶対受け取んないと思うけどなぁ」と笑った。確かに私もそう思う。どうしたらいいの……!


「ていうかレイナルドと何かあった? 困ってるんだったら助けになるけど。もちろん、レイナルド側の視点でだけどね」

「ありがとうございます、クライド様……」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるクライド様にほっとした私は、今朝からの違和感をお話しすることにした。


「……あの。私、今朝レイナルド様から逃げてしまったんです。レイナルド様はただ私を心配してくださっているだけなのに」

「うっわ。予想はしてたけど、やっぱそういうやつ? これ。ちょっとやだな」

「!? えっと、あの……も、申し訳、」

「あ、フィーネちゃんは謝ることないよ? これはこっちの問題だから」


 こっちの問題、というのは、レイナルド様は『フィオナ』に好意を持っていたのに、当のフィオナである私が別人になりすましていることを指すのだと思う。……たぶん。


「お、お友達になってくださってうれしかったのですが……やはり、あらゆる意味で私とは過ごされている世界や視点が違う気がしてしまって……」


 そのほかにも逃げてしまった理由はあるし、もちろんそちらの方が大きい。けれどそれを話す勇気は今はなかった。


 私の話を少し聞いただけで腑に落ちた様子のクライド様は「なんだ、そういうこと。警戒して損した」と笑ってから続ける。


「……そっか。ねー、もし、レイナルドがフィーネちゃんとフィオナ嬢が同一人物だって知ったらどうするの?」

「それは」


 急に真面目な声色になったクライド様を前に、私は言葉に詰まる。


「レ、レイナルド様が私とお友達でいてくださるのは……きっと、私がフィーネだからだと思うんです。もしそうなったらこれまでの関係には戻れないし、ますます私は……」

「ん。前と考えはそんなに変わってないんだ。でもほんとにフィーネちゃんはなぁ。もっと自信を持っていいよ?」

「じ、自信ですか……」


「俺だって、フィーネちゃんをこうして気遣うのはただレイナルドの大事な友人だからってわけじゃないんだよ。わかる?」

「わか……わかりま、」

「わかんなくてもわかって。とりあえず、フィーネちゃんは頑張り屋さんだよ」


 そう仰ると、クライド様はくるりと私に背を向けて歩き始めた。向かう先はアトリエなのだろう。


 それを追いながら、改めてレイナルド様もクライド様も本当に素敵な人だと思う。私もこんな風に誰かを気遣える人になれたらいいな。


「そういえば、薬草園だけじゃなく工房でもフィーネちゃんの評判、すごくいいみたいだね」

「えっ?」

「レイナルドがうれしそうにしてた。人事系でいい報告が上がってるって。本当にアカデミーに通っていたことを明かさなくていいの? 絶対もったいないよ」

「……私は……」


 アカデミーに通っていたことを明かすということは、すなわち私がフィオナ・アナスタシア・スウィントンだと名乗り出ることでもある。


 レイナルド様にフィーネとフィオナが同一人物だと知られること以上に、上級ポーションの中でも特別な『特効薬』の生成者が『フィオナ』だと知られてはいけない。静かに生きていきたい私にとって、魔法が使えることは秘密なのだから。


 言葉に詰まってしまったのを、クライド様は私が困っていると勘違いしたらしい。立ち止まって私を振り返ると、髪をくしゃくしゃとかき乱している。


「ああごめん、しつこいね。あーあ。そんな顔させたら、またレイナルドに怒られるな」

「いえ! あ……あの、ク、クライド様とレイナルド様は本当に仲が良いのですね……」

「そう見えてる? 俺に対しては暴君だよ、暴君。あれが将来この国を担うかと思うとほんと恐怖っっつーか」


「ぼ、暴君」

「そ。王子様な振る舞いをしているのはフィーネちゃんの前だけだよ。まぁ、といってもフィオナ嬢に対するものよりはアイツらしいけどね」

「……」


 あらためて、クライド様の口から『フィオナ』がレイナルド様にとって特別な存在と聞くと心の奥底になんだかもやもやしたものが湧きあがった。


 この気持ちはきっと……自分への戒め。


 フィーネとして生きていく私が立ち止まらないためのものに違いない。

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