第54話 慣れない焦燥感①

 翌日。


 いつもよりもさらに早起きをしてアトリエにやってきた私は、昨日加工して天井から吊るしたばかりのフェンネルの束をひとつ手に取り、わくわくしていた。


「光魔法を使うのははじめて……!」


 かつてこの世界に魔法が存在したころ、魔法使いの魔力と引き換えに魔法を発動させてくれる精霊は火、水、風、土、光、闇の六種類が存在していた。


 私が素材の加工に使うことがあるのは火や風、土の魔法。たとえばきめ細かいシナモンパウダーをつくるときには火魔法で乾燥させたあと風魔法で粉砕したし、レイナルド様にお借りした魔石に核を作るときには土魔法で鉱物の構造を変化させ魔力を蓄える核を作った。


 昨日の私が図書館で覚えてきたのは光の精霊による「物の時間を操る魔法」。


 光の精霊に力を借りて作用する魔法は、回復魔法など少し特殊なものが多かったと言われている。そのせいか、スウィントン魔法伯家にも光魔法の呪文がのった魔法書は残っていなかった。


 けれど、あの図書館の魔法書のコーナーで見られるものは、かつて存在した一般的な魔法に他ならない。だから、珍しい光魔法が私に使えるかもしれないのだ。


「この魔法を応用すれば、薬草だけじゃなく農作物の生産量なども一気に増やせそうな気がするのに……誰でも使っていい一般的な魔法に分類されているのはどうしてなのかしら……」


 魔法が消えたと思われているとはいえ不思議な気がする。けれど、その答えはすぐにわかった。



 ≪対象の時間を戻せ≫


 記憶してきた通りに唱えると、私の手元はぱぁっと明るくなる。長持ちさせるために加工された薬草は、みるみるうちに生命力を取り戻していく。


 水分が抜けかけた茎に光の粒がまとわりつき、萎れた葉はみずみずしくふっくらと復活した。


「!?」


 けれど。途端に、身体がずしんと重くなる。


 何が起こったの……? 両手を顔の前まで持ち上げるのすら億劫で、私は目を瞬いた。瞼もものすごく重く感じて、眠さがすごくて……でも、以前魔石の加工をしたときに体力不足で動けなくなったのとは違う、不思議な感覚で。


 そっか。これって、魔力が大量に持っていかれてしまったということ。魔力量の多い私は魔力切れを起こしたことがない。だから、気づくのが遅れてしまったらしい。


「たった一束でこれなんだもの。これじゃあこの魔法を活用するなんて、絶対にむ、り……」


 言い終わる前に、私の意識はぷつりと途切れてしまった。




 一体どれぐらいの時間が経ったのだろう。


 気がつくと、アトリエにはコーヒーの香りが満ちていた。窓から差し込むのは、朝になりたての青い光ではなくてお昼に向かう金色の光。


「え……っと……」


 突っ伏していた作業机から顔を上げると、さっきまで重かったはずの身体はいつも通り動いてくれた。やっぱり、魔力を一気に持っていかれたせいで一時的に眠ってしまっただけみたい。よかった。


 ……じゃない! 薬草園の仕事が! 


 あわてて体を起こすと、肩にかけられていた外套がばさりと落ちた。途端に、ふわりとグリーンの爽やかな香りがする。これはレイナルド様のものだ、とどきりとする前に、私の真向かいで設計図を書いていたその人が立ち上がった。


「おはよう、フィーネ。ここで眠ってしまうなんてめずらしいね」

「あっ……あの、おはようございます、レイナルド様。時間は……」

「大丈夫。薬草園の仕事が始まるまでにはまだ十分な時間があるよ」


 よかった、と息をつけたのは束の間だった。レイナルド様は私の顔を覗き込んだあと、柔らかだった表情を一瞬で強張らせる。


「……フィーネ。ここに入ってきたとき魔力の気配があったけど、もしかしてさっきまで何か生成していた?」

「!」


 いけない。寝ぼけていて気が回らなかったけれど、魔力切れや魔力の大量消費が起きると、それが身体の表面に表れてしまう。魔力が潤沢なことに油断して光魔法に一気に魔力を持っていかれてしまった私は、今まさにそんな顔をしているのだろう。


「鏡を見てみて。目が真っ赤だし顔色も不自然に青白い。魔力切れは起こしていないみたいだけど……一気に魔力を消費したときに見られる兆候だね」

「い……いい、いえ! あの!」


 どうしよう、また心配をおかけしてしまった……! 


 慌てる私を置いて、レイナルド様はアトリエの扉に手をかける。


「魔力を補充できるポーションをもらってくるから、フィーネは休んでて。三階にベッドがあるからそこを使って」

「だっ……だだ、だ大丈夫です、レイナルド様!」

「……身体が怠くて三階まで上がれない?」


「いっ……いえ、そんなことは」

「わかった。三階まで連れて行く」

「!」


 わかったって、全然わかっていないと思います……! 


 ……とまではさすがに言えなかった。けれど、返答を無視するレイナルド様のお顔は、あまりにも真剣だった。

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