第53話 図書館で出会った人

 魔力を魔法へ変えるためには『呪文』が必要。簡単な風や火を起こす程度のものなら暗唱できるけれど、ちょっと複雑なものになると魔法書を見ないと発動させられない。


 ということで、魔法で薬草を新鮮な状態にすることを思い立った私は、工房の帰りに王立図書館へやってきていた。


 この王立図書館はアルヴェール王国で一番の広さを誇る。錬金術の資料や特別な魔法書まですべてが揃った、夢のような場所。


 五階まで吹き抜けの造りになった受付スペースを通り抜けて、専門書の場所まで歩く。真っ白い大理石の床に音が響かないように気を付けながら歩く。


「い、いつ来てもすごいわ……!」


 思わず感嘆の声をあげた私の目の前には、たくさんの魔法書が壁いっぱいに並んでいた。


 専門書のコーナーは五階の吹き抜けの先、一番奥。ステンドグラスが埋め込まれたドーム型の天井が太陽の光を透かすその場所は、ものすごく広い。


 引きこもり時代から憧れだったこの場所が、私はアトリエの次に気に入っている。休日にこそこそと訪れては、錬金術の本や魔法書を眺めてぼうっとしていた。


「魔法書も普通に手に取れるのが不思議なのよね……」


 この世界で魔法は消えたとされている。だから、魔法書の管理はそこまで厳重ではない。さすがに禁忌呪文や危険な魔法がのった魔法書は無理だけれど、一般的な魔法書は図書館内で普通に閲覧できる。


 魔力を持った人間が呪文を唱えても何も起こらないのだから、当然と言えば当然だった。


 私のお目当ての魔法書は、少し奥まった場所の高い場所にあった。薬草園の仕事で体力はついたけれど、私は機敏に動けるタイプではない。落ちないようにしっかりと手すりを握り、恐る恐る梯子によじ登ろうとしたところで声がした。


「あら、あなた。淑女がそんなところに登っては危ないわ。人を呼んであげるから待ちなさい」


 驚いて振り向くと、夜明けの空のように青みを帯びた黒髪をなびかせた女性がいる。はっきりした目鼻立ちと凛とした佇まい。とってもお綺麗な方だ。


 身に着けた光沢のある淡いオレンジ色のドレスは、一目で上質なものとわかる。この王宮に勤める人……ではなく、まるで使う側のような高貴な空気。気圧された私は、あわてて梯子を下りた。


「……あ、あの、ありがとうございます……ですが、大丈夫です……!」

「その制服は錬金術師見習いの子ね。工房にない本を借りたかったの?」

「あ……あの、いえ、その」


 まさか、魔法に関する本を読みたいなんて言えない。言ってもいいのだけれど、この方がどんな方なのかわからないのにお話しするわけにはいかなかった。


 もごもごおどおどしている私と目を合わせてふわりと微笑んだ女性は、私が登ろうとしていた梯子の先に視線を向ける。


 そこには「光魔法」の魔法書があった。ちなみに、魔法書にはどれも劣化しない魔法がかけられている。数百年前から変わらずに存在する、魔法書とはそういうものだった。


「あら。あなた、錬金術の本ではなく魔法書を探しているのね」

「はっ……はい、いえ、あの……」

「ふふふ。もう消えたと思われていても、わくわくするわよね」


 女性は悪戯っぽく微笑むと、梯子に手をかけて登っていく。まって。今、私を『危ないから待て』って止めたのはどなたでしょうか……?


「あ、あの!」

「あなたがほしいのはこれかしら?」


 それは自分で……! と慌てた私の目の前で、女性は一冊の魔法書を抜き取り梯子から降りた。そして、私に渡してくれる。


「あ……あありがとうございます……ですが、あの」

「いいの。私もここは好きだし慣れているのよ。懐かしい想い出がいっぱいの場所だから」


 女性はそうおっしゃると目を細めて、ドーム型の天井を見上げる。気がつかなかったけれど、この方は私よりも少し……ううん、結構年上なようだった。


 美しい方だから年齢がわからなかったけれど……もし、私のお母様が生きていたらこれぐらいだったのかもしれない、なんて思ってしまう。


 とにかく早くお目当ての呪文を覚えて帰ろう。私は女性に淑女の礼をすると、隅に置かれたベンチに座り魔法書を開くことにする。


 礼の仕方には気をつけるようにレイナルド様に言われている。けれど何となく、この方には礼儀正しい令嬢の挨拶がふさわしいと思った。


「ふふふ。錬金術師の服を着て魔法書を読むなんて……あなたはうちの息子と好きなものが同じなのね。なんだか懐かしいわ」


 聞こえた言葉にハッと顔を上げると、階段を下りていく青みを帯びたなめらかな黒髪が見えた。


「独り言、だったのかな……」


 一人、専門書コーナーに残った私はふと気になった。


 さっきの方のお声はどこかで聞いたことがあるような。うーん、でもどこでだったかな。


 どうしても思い出せなくてもやもやしたけれど、魔法が大好きな私は、すぐに手元の魔法書に夢中になったのだった。

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