第36話 その質問は『私に』でしょうか
今日は工房勤務の日。
私は落ち着く薬草園が大好きだけれど、この王宮の工房も好きな場所のひとつになりつつある。
たくさんの素材の香りと、宮廷錬金術師さんたちの研ぎ澄まされた魔力の気配。透き通ったポーションとキラキラ輝く魔石、特別な粉で描かれた設計図、朝日をたっぷり浴びた布に、夕日に照らしたペン、夜の匂いを漂わせた深い色の水。
工房の一画には素材が収納された倉庫がある。天井との境目ギリギリまで一面に棚がそびえ立っていて、梯子を使ってそこから集めていくのだ。もちろん、この棚に素材を見分けた上で収納するのは宮廷錬金術師見習いや私のようなアシスタントの仕事。
「ねえ。このフェンネルの葉、ちょっと黄色いんだけど。レベルは何なの?」
「えっ……えっと、あの」
「あなたねえ。もっとはきはき喋んなさいよ。平民から成り上がるなら、強かさがないと大変よ?」
私に厳しい視線を向けているのはミア様だった。いま、この棚の前には私とミア様の二人だけ。
ミア様が私に薬草園での素材採取を押し付けていることはこの工房では有名な話のようで、私の勤務日はミア様がお休みの日に設定されることが多かった。
けれど、今日はミア様と勤務が被ってしまい、しかも二人揃って作業をすることになってしまったのだ。いくら認識阻害ポーションを飲み声を変えて別人になりきっているとはいえ、ミア様と二人というのは私にとってなかなかハードルが高い状況で。
「れ……れれれレベルは最低ランクで……あの、それとその中でも、素材の鮮度で、あの」
「何よ!? はっきり喋ってくんないとわかんないわよ! しゃっきっと! 喋る!」
「はっ……はいっ」
ミア様がこんなに粗暴な言葉遣いをされる方だったなんて。今日のお仕事はミア様と一緒だということを知ったときはショックで頭が真っ白になりかけたけれど、その後作業を始めたらあまりにもこれまでの印象と違うので、私はただただ驚いていた。
「モゴモゴして何言ってんのかわかんないただの薬草園勤務のメイドがよくここまで来れたわね? さすがに錬金術師にはなれないとは思うけど。魔力量が大事なのよ。生まれが平民ではまず無理ね」
「……」
ふん、と鼻息を荒くされているミア様を横目に見ながら、私は手もとのカゴに入った素材を無言で仕分けして棚に収納していく。余計なことを喋っては、またミスをしかねない。
この前、レイナルド様が手配してくださったお茶会で私――フィオナ、がミア様に嫌われていたことをはっきりと認識してしまった。
正直なところ、空白の一年間を返して……という気持ちはフェンネルの小さな葉一枚分ぐらいはある。けれど、この環境が気に入っている私は『フィオナ』としてミア様を咎める気にはなれなかった。
「……今日はいつもの倍以上の速度で作業が捗るわね。あなたが毎日ここで働いてくれたら、私も楽なんだけど。……あっ! ねえ、上にお願いしてみなさいよ! 週に二回じゃなくて五回働かせてくれって」
「!? あ、あの、わ……わわ私は薬草園が好きなので……っ」
突然のミア様からの提案に、私は目を泳がせる。無理。そんなの無理です……!
「ぇえ!? うそでしょう? あんな日差しいっぱいなところにいたら日に焼けちゃうじゃないの。 それに、アトリエ付きのメイドのほうが特別手当がついてお給金がいいのよ?」
「い……い、いえ、あのそういうのではなくって」
「ただのメイドよりも、専門職のメイドのほうが絶対にいいのに。あなたのご両親も絶対喜ぶわよ? いいご飯が食べられて、きれいな服が着られるし。ね、そうしなさいよ」
ミア様は何か勘違いをなさっているようで。確かに、前に平民だと決めつけられて否定をしなかった私も悪いのだけれど……あまりに親身になって具体的なアドバイスをくれるので、私は居心地が悪くなってしまった。
「あの、」
私は向こう側の棚で作業をするので、と伝えようとしたところで、倉庫の扉が開いた。
そこから顔を覗かせたのは、青みがかった艶やかな髪と空色の透き通った瞳をもつ青年――レイナルド様、だった。
「レ、レイナルド殿下!」
声を一オクターブ上げたミア様に、レイナルド様はそっけなく仰る。
「君はもういいよ」
「えっ?」
「工房長が呼んでいたから、そっちに行って」
「あの。……し、失礼いたします」
一言でミア様を追い出したレイナルド様は、私の目の前にある梯子に手をかける。
「棚の上のほうは危ないから俺がやるよ。フィーネは下のほうをお願いしてもいい?」
「あ……ああああの、レイナルド様、お仕事は」
「今日は携帯型の浄化装置を広く流通させる件でここに来たんだ。用事は終わった。そしたら、ミア嬢がフィーネを責める声が聞こえたから。……大丈夫?」
私はこくこくと頷く。そもそも、ミア様の口調は粗暴だったけれどお話の中身は意外と普通だった。私がただ怖がっているだけで、内容自体は親切だった……ような。
満足そうに微笑んだレイナルド様は梯子に座って棚の上部に素材を詰めていく。壁一面に規則正しく並んだ真四角の棚が、ひどく特別なもののように見えた。レイナルド様は、本当にとてつもない空気感をお持ちの方だと思う。
ところで、レイナルド様と私が協力して改良した携帯型の浄化装置はめでたく完成した。レイナルド様が描かれた設計図にはわずかな不足もなく、威力を高めた商品としては成功だったのだけれど。
「あの魔石を……もっとたくさんつくれたらいいのですが」
「宮廷錬金術師に加工させてみたら、一日でやっと一つだったよ。しかも、フィーネが加工したみたいにはできなかった。あれでは、改良前のものしか動かせない」
やっぱり魔石の加工ができる人がいなくて、すぐにたくさんを流通させるのは難しいみたいだった。
「で、ででしたら、魔石自体違うものを生成した方が早いかもしれないですね。浄化装置にあわせて作られているのはわかりますが、あまりにも魔力の吸収が良すぎますので」
「やっぱりそうか。装置の中で自動的に薬草と魔力を反応させられる魔石は名案だと思ったんだけどな。フィーネは魔石の生成も得意?」
「教本と図書館にある錬金術の本に載っている範囲なら、一通りは生成したことがあります」
「そっか。じゃあ、今度アトリエで一緒に魔石を生成してみようか。俺もフィーネがどんな魔石を作るのか見たいな」
「はっ、はい……!」
レイナルド様とこうして錬金術のお話をできるのはとても楽しい。工房での仕事中だと忘れてしまいそうになる。
「フィーネは、休日に出かけるならどんなところに行きたい?」
「っつ……ごほんほんごほんごほん!」
レイナルド様も私が仕事中だということをお忘れだったらしい。あまりにも関係のない質問が飛んできて、私はむせてしまった。
「大丈夫、フィーネ?」
「あのっ……どうか、お気になさらず……!」
これは、もしかしなくても『フィオナ』とのお出かけの話のような気がする。この前、レイナルド様に何かお礼を、と申し出た私は結局外出の約束をすることになってしまった。
その日はまだ先なものの、今から嫌な予感しかない。きっとクライド様がついてきてくださるとは思うけれど、大体は私があたふたしているのを見て笑われるだけのような気もする。
「そう? 本当に?」と私を心配そうに見下ろすレイナルド様の空色の瞳はどこか楽しそうで。それを見るだけで、今この場でひれ伏して正体を明かしたくなる。
けれど、レイナルド様はフィオナとフィーネが同一人物とは微塵も思っていない様子だ。この前、フィオナの前にいた完全無欠の王太子殿下はここには見えない。
「フィーネなら、錬金術の本を扱う図書館に行きたいと言いそうだね」
「わ……わわわ私は……レイナルド様とクライド様と、三人でおいしいご飯が食べたいです」
「クライドも、ってとこが不満だけど……。俺もだよ、フィーネ」
ついうっかり本音をつぶやくと、レイナルド様はひときわ優しい瞳で私を見つめて、微笑んでくれた。
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