第32話 クライドとフィーネ

 翌日。私は薬草園で草むしりをしながらうなだれていた。


 レイナルド様に『フィオナ』として会うのは一度きりのはずだったのに。私は一体どこで間違えたのだろう。


 ううん。気が弱いのを自認しているくせに、王太子殿下相手に小賢しく立ち回ろうとした時点で間違っていたのだ。


 鼻先にカモミールの花があたった。くんくんと匂いをかいで深呼吸をする。うん、少しずつ落ち着いてきたから大丈夫……


「フィーネちゃんさ、なんでレイナルドに隙を与えちゃったわけ?」

「わぁっ」


「へー。フィーネちゃんがそんなに大きい声出したの初めて見た」

「あ……あの、申し訳……」


 驚いてしりもちをついた私は、声の主を確認して姿勢を立て直した。


 いつのまにか、私をニコニコしながら見守っていたのはクライド様で。


 今は日中、私は薬草園でお仕事中、レイナルド様は執務室でお仕事中、そしてクライド様はなぜここに。 


 それから『レイナルド様に隙を与えた』に全く心当たりがなくて、私は目をぱちぱちさせた。クライド様はカモミールをちょんと触って「この花、いい香りだね?」と言ってから続ける。


「あのサロンに入ってきたとき、フィーネちゃん『早く嫌われて帰りたい』オーラがめちゃくちゃ出てたから、てっきりそういう作戦だと思ったのに?」


「あ、あ……あの、確かにそういう作戦だったはずなのですが、失敗してしまって」


「あー無自覚天然ってやつ。おっけ、わかった」

「むじかく……?」


「だって、二回目の約束をどう取り付けようか考えてるとこに、お友達の話を振られてあんなに不安そうな顔するんだもん。余計な下心がなくても助けようって思っちゃうじゃん?」

「そ……そういうものなのですね」


「そうそう。それに、レイナルドもフィオナ嬢を前にして舞い上がってる感あったじゃん? 君たちお似合いのカップルじゃない? もーこれ」

「お……おにあいのかっぷる」


 いろいろ弁解したい気持ちはあるけれど、とにかく王太子妃にだけはなれない。


 自分を偽っていることも最低だけれど、そもそも、レイナルド様だってこんなに情けない『フィオナ』の姿を知ったら幻滅するはずで。


 そして、どうやらクライド様はうっかり二回目の約束を交わしてしまった私を心配して、薬草園に様子を見に来てくださったらしい。


 てっきり、煮え切らない態度を軽蔑されると思ったのに、なんていい人。


「……私がフィオナだということをお話ししなければいけないのはわかっています。このまま、嘘に嘘を重ねるわけにはいきませんから」


「まぁわかるよ。フィーネちゃんといるときのレイナルドはすごく楽しそうだもん。あれが失われるかもしれないって言われると、怖いよね」

「……」


 私がしているのはずるいことなのに、クライド様がそう言ってくださるともう少しだけ、という気持ちになってしまう。これではいけない。


「とりあえず、ジュリア嬢とドロシー嬢のことはレイナルドに任せてみたら。あれで、結構いい立ち回りしてくれると思うよ? 一応、この国の王太子殿下だし」

「も……もちろん……それはよく……存じています」


 何とか頷くと、クライド様はふっと笑った。


「何だか不思議だね。昨日のサロンでも、目の前にいる令嬢は確かにフィオナ嬢のはずなのに、なぜかフィーネちゃんに見えて笑っちゃった」

「や……やっぱりクライド様は笑っていらしたのですね……!」


「うん。だって、アカデミーではすまし顔のお嬢様だったでしょ? 薬草とか研究のことになるとあんな風に喋るなんて、反則だよ。ほんと面白いね?」

「も……申し訳……」


「ほらそんな顔しないの。これは褒めてるんだから」

「ほ、ほほ褒めてる」

「そう、褒めてる」

「……ありがとうございます、クライド様」


 クライド様の言葉に和ませてもらったけれど、こんな嘘は長く続けられない。近いうちに本当のことをお話ししなきゃ。


 そう思ってレイナルド様と一緒に過ごすアトリエの風景を思い出す。


 憧れの素材や道具が揃った素敵なアトリエのはずなのに、思い浮かぶのはレイナルド様と一緒に飲むコーヒーやパイの味、できあがったポーションを鑑定して検証し合う会話ばかりで。


 本当のことを話すことでレイナルド様との時間が消えてしまうのはさみしい。


 私が抱える秘密と勇気のなさを考えれば、仕方のないことなのだけれど。

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