第30話 フィオナへの誘い①
アトリエを出た私は認識阻害の効果を消すポーションを飲み、スウィントン魔法伯家に戻って支度をした。
寮の部屋で支度をしたかったけれど、人に見つかったらとても面倒なことになってしまう。
「フィオナ様……あの、本当にこのドレスでよろしいのでしょうか。お嬢様にはもう少しはっきりした色のドレスもお似合いになるかと思いますが」
「だ、大丈夫ですわ。このドレスがいいのです。それから、髪飾りもひとつにしていただけますか。もっと地味なものを。それから、メイクは私がします。薄めの色のお化粧品を」
「……承知いたしました」
私のオーダーにスウィントン魔法伯家の侍女はわけがわからないという表情をしている。
でも、長く引きこもっていた私が王宮に行かないと言い出したら大変だとも思っているのだろう。極力着飾りたくないという私のお願いに何の文句も言わずに応じてくれた。
レイナルド様とのお茶に指定されたのは、王宮内の南側のサロン。幸い薬草園に近いのでこっそり外から偵察したところ、壁の色がクリーム色だった。
だから似たような色の目立たないドレスと、地味な髪型、メイクを選んだ。これは、人との付き合いが苦手で夜会などにはめったに行かない私にしては名案だと思う。
とにかく、『フィオナ』がレイナルド様の印象に残らなければいいのだ。王太子妃になんて絶対になれないし、私がレイナルド様の前で自分らしくいられるのは薬草園つきのメイド『フィーネ』のときだけ。
アカデミー時代、レイナルド様が興味を抱いていた『フィオナ・アナスタシア・スウィントン』は実際には目立たない地味な令嬢で、話もつまらなくて、二回目はもう会わなくていいかな。そんな風に思われたかった。
王宮に到着した私は、指定されたサロンへと向かう。いつもは薬草園に向かって通り過ぎるだけの回廊を歩くと、足が震える。
でも大丈夫。両親を亡くした後、お兄様が私のためにしてくれたたくさんのことを思えばなんてことない。何よりも、フィオナとしてレイナルド殿下にお目にかかるのは、今日の一度きりなのだから。
王宮付きのメイドがサロンの扉を開けてくれた。アルヴェール王国ではこういうとき、立場が下のものが先に部屋に入るのがマナーで。当然、私もそのつもりで時間より前に到着したはずだったのだけれど。
扉が開いて、明るい午後の光に包まれたその場所には、なぜかレイナルド殿下が座っていらっしゃった。背後には微妙な顔をしたクライド様もいらっしゃる。
どうして。どう考えても早すぎませんか……!
「……っ」
ここまで待ちかまえられていることが完全に予想外だった私は、すっかり言葉が出なくなって固まってしまった。
ここは私からレイナルド様のところまで歩いて行って、淑女の礼をして名乗るのがマナーだ。けれど、足が動かない。どうしよう。
そんなマナーなどおかまいなしに、レイナルド様はスッと立ち上がるとあっという間に私のところまでやってきた。私はといえば、扉の前でただ立ち尽くすだけ。
「お久しぶりです、フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢」
「あ……あ、あの……フィオナ・アナスタシア・スウィントンと申します……本日は……」
「堅苦しい挨拶は必要ありません。来てくださったことに感謝を」
そう言って、レイナルド様は私をエスコートするように片手を差し出す。
これはもうこのまま私の足元に跪きそうな勢いで。背後にチラチラと見えるクライド様に「たすけてください」と視線を送ると、数秒の後に助け舟を出してくださった。
「……レイナルド殿下。フィオナ嬢がお困りですよ」
「え」
「ほら、お顔をよく見て……じゃない、よく見たら気絶しそーだから、顔はあまり見ずに席について、お茶を静かに飲めばいいかと」
「なんだそれは」
王太子殿下と側近モードのレイナルド様とクライド様にどきりとしたけれど、いつもの関係が垣間見える。
そっか、このレイナルド様は今朝私が一緒にコーヒーを飲んだお方。緊張する必要なんて……ない。けれど、一瞬だけ持ち直した私のメンタルは即破られることになる。
「今日は顔色がよくないですね。お倒れになったら大変ですので、どうか手を」
メイクは侍女に任せるべきだった。
仕方がないので、レイナルド様の手を取ることにする。ちなみに、私の手は薬草園での仕事でかなり荒れていたので、錬金術で生成したポーションで治した。ささくれひとつない、ちゃんとした貴族令嬢の手。
恐る恐るレイナルド様の手に私の手をのせると、彼の頬に赤みが差したように見えた。
たぶん、今の彼は王立アカデミーで私が目にしていた『レイナルド殿下』のはずで。錬金術や魔法の話で時間を忘れることはなくて、珍しいメイドにコーヒーやパイを振る舞うことはなくて、食事に連れ出すこともない。
誰にでも分け隔てなく公平に接する、この国の王子様。
それなのに、少しだけ覗き見てしまったレイナルド様としての表情――頬を赤らめる姿、に、とてつもない罪悪感がこみ上げる。
……私はなんてひどい嘘をついているのだろう。
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