第12話 夢中になれるもの

 その日の夜、寮の部屋に戻った私は、早速声を変えるポーションづくりに取り掛かった。


 声を変えるポーションのレシピはないけれど、前に本で『遮音瓶』という魔法道具の設計図を見たことがある。それは、置いておくだけで周囲の人に音を聞こえなくする魔法道具で。


 それに使われている技術を応用すれば、声を変えるポーションもできると思った。


「原理は認識阻害ポーションとも同じで、周囲に目くらまし効果を発揮するものなのよね」


 素材をフラスコの中に入れて火にかける。プリムローズだけは火魔法と風魔法で水分を飛ばし乾燥させてから粉末状にして投入した。本当なら、数日間天日干しにしないとできない素材。こういうときこそ、魔法を使えることに感謝したくなる。


 ぐつぐつ煮て、魔力を込める。私は魔法が使えるけれど、呪文を唱えなければ魔法にはならない。


「……できた!」


 とりあえずできあがったので、一口飲んでみる。


「……んんんんっ!?」


 ひどい味だった。認識阻害ポーション系のものだから予想はしていた。それにしてもここまでおいしくないなんて……!


 毎日飲むことを考えると……。単純に、蜂蜜や果実水を混ぜてみる?


 普通の錬金術では目的のものを作ったら終わり。けれど、実際に使う人のことを考えて生成するなら、さらに面白いものになる。


 私は一年間引きこもっていたけれど、新しい錬金術のレシピが思い浮かぶのは、いつだってお兄様と話しているときだった。


 とにかく明日の分のポーションは完成した。ノートには『味:要改良』と書き込んでおく。


 認識阻害ポーションは鏡に映った自分の姿を見て効果を確かめられるけれど、これはちょっとわからない。今度、ネイトさんの反応で確認するのがよさそう。


 さらに、蜂蜜と果実水を足してみる案と、薬草園のブルーベリーはとてもおいしいということも書き足す。


 それから、次にミア様に素材の採取を頼まれたら、品質はできる限り悪いものを選んで、ひとつふたつは間違った方がいい、ということも。


「この、加熱用のランプとフラスコだけだと、作れるものも限られるのよね」


 一通りの作業を終えた私はベッドにもぐりこむ。いつか、自分のアトリエを持てたらいいな。スウィントン魔法伯家で引きこもっていたみたいな、完璧な要塞はいらない。


 薬草園で草を愛でて、自分のアトリエで研究をする。うん、とっても楽しそう。まぁ、外に出たばかりの私には大きすぎる夢だけれど。


 目を閉じると、今日、薬草園の先で見たレイナルド殿下の素敵なお庭とアトリエがまぶたの裏に浮かんだのだった。



 ◇



 次の日。薬草園での仕事を終えた私は、奥にあるレイナルド殿下のアトリエ近くまでやってきていた。


 これは特に呼ばれたわけではなくて、ただの無断侵入。ううん、薬草園と向こうのお庭を隔てる柵を越えなければ大丈夫。


「やっぱり素敵だわ。いいなぁ」


 少し離れた場所から、丁寧に手入れされたお庭と温室、そしてアトリエを眺める。


 スウィントン魔法伯家を出たことを後悔はしていない。けれど、自由に魔法や錬金術を使える場所がなくなったのは寂しい。


 寮の部屋でもできなくはないけれど、やっぱり専用の器具や専門書、ハーブや魔石なんかに囲まれると安心する。


「遊びに来てくれたんだ」

「!」


 まさかの声に振り返ると、レイナルド殿下がいらっしゃった。沈みかけの夕日の色と青みがかった黒髪が混ざってとてもきれい、そう思ったら、不思議と緊張はしなかった。


「ここは、俺が十歳の頃に作ってもらったんだ」


 私の背後から現れた彼は、私のことを追い越してカラフルなレンガの家へと向かっていく。私に向けてお話ししていらっしゃるので、何となくついていくことになる。

 

「八歳のとき、魔力量が豊富だということがわかったんだ。それをきっかけに、錬金術や魔法の研究に夢中になった。フィーネ嬢は?」

「わっ……わ、わたっ、私はっ」


 急に話を振られて固まっている私のことは気にせず、レイナルド殿下はアトリエの鍵穴に鍵を差して回す。かちゃり、と音がしてかわいらしい木の扉が開く。


 レイナルド殿下が開けた扉の先に見えたのは、私にとって夢のような場所だった。


 壁一面に所狭しと並べられたカラフルな魔石や鉱石入りのガラス瓶。広い作業机の上には器具が揃い、本棚にはたくさんの錬金術の本が並んでいる。スウィントン魔法伯家のアトリエにあったのと同じ本も見えて少し親近感が湧いた。


「すごいわ……」

「ありがとう」


 思わず口から漏れた感嘆を、レイナルド殿下は独り言ではなく褒め言葉と受け取ってくれたらしい。


 本当は、彼と二人きりでこのアトリエにいるのは良くないこと。けれど、どうしても好奇心が抑えきれなくて私はカラフルなレンガ造りのアトリエに足を踏み入れる。


 もちろん、私は彼から見たら、ただの薬草園のメイド・フィーネに過ぎないのだけれど。


「わ、私も……魔法や錬金術が好きで……こ、このアトリエにいると、とても落ち着く感じが……します」

「やっぱり。そうだろうなと思った。この前も思ったけど、すごい技術と知識だね。あの肥料から察するに、魔力量も相当なものだよね? 誰かに習った? まさか独学? フィーネはアカデミーにいなかったよね。だから宮廷錬金術師の試験は受けなかったの?」

「……」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、私は目を瞬いた。それだけでなく、いつの間にか私は名前を呼び捨てにされている。


 レイナルド殿下の様子からすると、話に夢中になっていてそれにすら気がついていないのだろう。アカデミーでの印象とは余りにも違っていて、本当に驚いてしまう。


 呆気に取られている私に気がついたレイナルド殿下は、数秒固まったあと、ふっと笑った。


「ごめん。つい夢中になった」

「い……いいえ」


 私もつられてつい笑ってしまう。あ、こんな風に……お兄様以外の人に自然に笑えたのは、いつ振りだろう。そんなことを思ったら、なんとなく思い浮かんだ言葉をそのまま口にしていた。


「あ、あの……出来上がったポーションの味が苦くて」

「へえ」


 唐突な話題だったのに、彼は興味深そうに話を聞いてくれる。人と話すのはドキドキして怖いけれど、なぜか彼になら話せそうな気がする。


「は……蜂蜜や、果実水を混ぜてみようと思うのですが。他に方法はないかなって……考えていたのです」

「素材のレベルは変えてみた?」

「も……もちろん。少しポーションの機能を上げようとし過ぎて苦みが出てしまったんだと思います」

「なるほど。それなら、これがいいかもしれない」


 そう言いながらレイナルド殿下が出してくれたのは小さな粒だった。よく見ると、真ん中に線が入っていて割れるようになっているみたい。


「東の方の国で最近開発されたものだって。ポーションの結晶を作って、この中に入れる。そうすると、場所をとらずに持ち運べるし飲みやすい。味わわずに飲みたいっていう人にもぴったりじゃない? 結晶を作るのぐらい、フィーネならきっと訳ないよね」


「す……すすすすごいです」

「ただ、問題は値段。ひとつ、1万ベレン」

「い……いちまん」


 私はがくりと肩を落とした。このアルベール王国では、100ベレンでパンが一つ買える。この小さな粒は高級品だった。きっと、荷物を減らしたい遠征などで使われる高級品なのだろう。


 がっかりしている私を、レイナルド殿下はなぜかニコニコ笑って眺めていらっしゃる。不思議に思って、私は勇気を出して聞いてみた。


「あの……私、何かおかしいでしょうか」

「いや。こんな風に魔法や錬金術のことを話せる女の子は今までいなかったなって」

「!」


 女の子、と表現されたことに心臓が跳ねる。けれど、内気で弱気すぎる私の挙動が少しおかしいのはいつものこと。この前、私が逃げ帰る現場を見ていた彼は特に違和感を持っていないみたい。よかった。


「……そろそろ行こうか。寮の夕食の時間になる」


 私の夕食事情を気遣ってレイナルド殿下が立ち上がる。その瞬間、何かが落ちた。


「お……落とされました」


 それを拾い上げた私は固まる。


 紺地に、レイナルド殿下の瞳を思わせる空色の糸で刺繍が施されたハンカチ。確かに、私はこのハンカチに見覚えがある。


 それは、一年前に私――・アナスタシア・スウィントンが王立アカデミーで婚約破棄されたとき、レイナルド殿下に迷惑をかけたお詫びとして送ったものだった。

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