ログアウト

 あれから数時間ラインにしごかれ、流石に限界を迎えた俺は、彼女に断ってログアウトした。NPCにお伺いをしないとログアウトできないゲームがあるってまじっすか。いやまぁそれは俺に原因があるんだけど。コミュ力不足っていうね。俺だけかもしれないけど、何をするにも人の許可がないと不安なのだ。うーん、これは陰キャ。



 改めて自分は人間社会に向いていないということを自覚し、ため息を付いた。



 VRMMOにログインするためにつけていた機械を外し、ベッドから降りる。当たり前だが、周囲に広がるのは土壁でできたラインの家でも、ましてや草原でもなく、長年暮らしてきた俺の部屋だった。



 ……そういえば、あれって女子の家にお邪魔したことになるのだろうか。修行がきつすぎて正直考えもしなかったが、冷静になってみればそうだ。おや、これはリア充覚醒イベントか?



 そんなわけないか、と頭を振り、ドアノブをひねる。そのまま廊下に出ると、階段を降りて食事にありつく。ゲームで遊んでいたら、いい感じの時間に。まさかラインはこれを狙っていた……?



 なわけ。荒唐無稽な思いつきをハンバーグとともに飲み込み、消化する。夕食はハンバーグだった。大好物ってほどではないが、それなりに好きだ。ちなみに俺の大好物は羊羹な。こいつさえあればなんだってできる気がする。他人との会話を除いて。



 夕食を終えた俺は、再び部屋に舞い戻りパソコンを起動する。そしてそのままUnendliche Möglichkeitenの攻略サイトを開こうとしたが、しばし迷った末やめた。



 それじゃあ、つまらない。



 基本的にゲームで遊ばない俺だから、たまにそういうのをやるときはガンガン攻略サイトにお世話になっていた。しかし、今度は別。まるで本物のような世界で遊べるのだ。これで攻略サイトなど見てしまったら、きっとつまらなくなってしまうだろう。せめてあの難敵スライムの倒し方くらい調べようかな、なんて悪魔のささやきが聞こえてきたが、鉄壁の自制心でブラウザバック。



 時計を見れば、後数時間はゲームができそうだった。



 パソコンの電源を落とし、一応スマホに連絡が入っていないか確認し、当然何もなかったので枕に叩きつける。いやー、こんな時のために高い枕にしておいて良かったぜ。



 





































 さっきまでは昼だったが、今では夜になっている。あたりを見渡せばプレイヤーが殆どで、NPCはあまり見えない。そして夜なのだからモンスターが強化されているであろうことを推理した俺は、あえて街の外へと飛び出した。



 昼ですらスライムに勝てないのに、夜になったらもっと無理だろって? ナンセンス。逆に勝てるかもしれないだろ。もしかしたら夜に弱体化するタイプかも知れない。



 そんな八月に氷点下になるくらいの確率を盲信し、ずんずんと草原を突き進んでいく。いつもならこの辺でスライムに遭遇するのだが、何故か影も見えない。



 おかしいなー、とは思いつつ、歩みは止めない。そして数十分ほど歩いた頃、一体のモンスターに遭遇した。



「グルルルルルルルルルルルル……」



 その毛並みは真っ黒で、月の明かりを反射して銀色に光っている。鋭いその目で貫かれたら、恐怖に支配されて動けなくなるだろう。俺はもっと危ない獣とドンパチしてたから、それほどでもないが。その獣というのは、青いゼリー状のやつだったり、素手でそいつを爆発させるようなロリだったりするんだが、まぁそれはいい。



 そいつは四肢を地面につけ、低い姿勢で威嚇してきた。俺は反射的に手に持っていた杖を構え、今すぐにでも飛びかかってきそうなモンスターを牽制する。



 狼だ。真っ黒い狼。



 モンスターの頭上に現れるウィンドウを見ると、そこにはこいつの名前が。



『シャドウウルフ』



 俺は初めて遭遇した敵と、戦闘を開始した。

















 戦闘開始の合図は、俺がつばを飲み込む音。



 それが暗い草原に吸い込まれる前に、シャドウウルフは俺に飛びかかってきた。口から鋭い牙をのぞかせて、さぁ噛んでやるぞと言わんばかりの跳躍。



 ラインのところで修行した俺にはその軌道がはっきりと見え、直撃を回避すると代わりに杖を直線上に設置した。流石に空中で方向転換はできないらしく、細い杖に吸い込まれるシャドウウルフ。



 キャン、と甲高い鳴き声を漏らすと、後ろに飛び退った。それを予想していた俺は地面を強く蹴り、肉薄する。驚いたように金色の目を見開いていたが、何ら情を動かすことはなく蹴りを叩き込む。



 再び甲高い鳴き声。何だか動物虐待をしているような気分になるが、気の所為だと意識を外す。油断なく杖を構えると、やつは怯えたように一歩後ずさった。



 HPバーを見れば、一割ほど削れている。なんと、あの程度の攻防で一割も削れたのか。どう考えてもスライムよりも弱いな。やはり、スライムはこのフィールド最強のモンスターだったのだ。



俺は改めてスライムの強さを再確認し、それに勝つためにもっと努力をしなくては、と決意した。ハッキリと言うと、明日からもラインのところで修行をしよう。俺がシャドウウルフの動きについていけるのは、ひとえに彼女のおかげだ。それがなければ、先程の飛びかかりで牙の餌食になっていただろう。



 一歩後ずさったからと言って、やつは逃げたりしない。このゲームのシステムとして「逃げる」というものはあるが、それをするのはレアモンスターや高度なAIが搭載されたモンスターだけだ。おそらくシャドウウルフはレアモンスターじゃないだろうし、ましてやこんな序盤にそんな高レベルモンスターが居るはずない。……いや、超強力なモンスターであるスライムがゴキブリのように湧いてくるゲームだから、もしかしたらあるかもしれない。



 しかし俺の杞憂だったようで、シャドウウルフは愚直に走り寄ってきた。これ幸いと杖を地面と水平に構え、突撃を避けると足を引っ掛けた。



 勢いよく転ぶ犬っころに、にやぁと歪んだ笑みを浮かべる。考えてほしい。ボロボロのローブを纏った不審者が、自分にさんざん暴力を振った末に転ばされ、おぞましい笑みを浮かべるさまを。一種のトラウマになるに違いない。少なくとも俺だったらなる。



 それはモンスターにも共通だったようで、そいつはビクッと肩を揺らすと媚びを売るように上目遣いで見てきた。もちろん心優しい俺はそれに答え、地面に転がるシャドウウルフに馬乗りになる。



「よい、しょっと……」



 杖を振り上げ、頭に向かってまっすぐ下ろす。杖は鼻面に吸い込まれて、騒がしい悲鳴をあげた。痛みから逃れるためか、身を捩って拘束から抜けようとする。それを許してしまうと俺が死ぬので、当然足に力を込めて逃したりしない。



 こころなしか絶望に目が揺れていたが、気の所為に違いない。モンスターにそんなAIが搭載されているわけがないのだから。そのまま数分一方的な暴力が続き、ついにシャドウウルフのHPが消し飛んだ。



『レベルが上がりました。称号【悪逆非道】を手に入れました。スキル【近接戦闘】が取得可能になりました』



 初めての勝利に、抑えきれない喜びが湧いてくる。しかしスライムに対する醜態を思い出すと、スッと冷静になった。いやいやいや、よく考えてみれば、初めての勝利がマウント取って殴り殺すってどうなんだ。俺は錬金術師っていう立派な魔法職だぞ。狂戦士じゃあない。



 それにさっきのアナウンスだが、非常に聞き捨てならない称号を手にれていなかったか?



 そう思い、ステータス覧を開く。そこで燦然と輝く新たな称号を開き、その説明を読んで見る。



【悪逆非道】

 悪辣なるものに送られる称号。与ダメージ+2%。NPCからの好感度−10%。



 おいおい、身に覚えがないんだが? 誰だよ悪辣なるものって。俺とかいう聖人君子を捕まえて悪逆非道呼ばわりするのやめてくれる? 聖人君子過ぎて人と全く関わらないようにしているのに。ほら、君子危うきに近寄らずって言うじゃん? そういう事。



 まぁ、ダメージが増加するのはありがたい。これで打倒スライムに一歩近づいた。それでNPCからの好感度が下がるのはしょうがないか……。あれ、じゃあラインとかおやっさんからも嫌われるってこと? 嘘だろ。せっかく仲良くなったのに!


 

 俺は絶望して、膝をついた。あ〜、涙が溢れてくるぜ。たくさんいる友だちが一人減るより、少ない友だちが一人減る方がダメージでかいんだぞ。



 しばらく落ち込んで、「でも、最初から好感度とか低いはずだから、関係なくね?」という自虐混じりの結論に至るまで、そうしてうめいていた。

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