物理系ロリ

 ………………は? スライムが強くない? ……何を言っているんだ?



 俺は一瞬真っ白になった頭で、ラインの言葉の真意をつかもうと努力する。しかし、どう頑張っても意味がわからない。あの・・スライムが弱いはずがない。何なら最強格のモンスターだろう。そのくせ、この草原にはスライムばかり湧く。これは鬼畜ゲーとしか言いようがない。



 ――そうか。わかった。きっとラインは勘違いをしている。おそらく、スライムのあの見た目から弱々しい最弱モンスターなのだろう、と誤った判断をしてしまったのだ。それはわかる。はじめは俺も勘違いしていた。だが、その慢心というか、誤りは自分の死によって正された。あの強さが最弱なわけがない。



 それを言ったところで、ラインは話を聞きそうにない。自信に満ち溢れたその表情からわかってしまう。彼女は決して動かないだろうと。それでは困る。それでは困るのだ。NPCである彼女には、生きてもらはねば。



「まぁ、お前はそんなこと言っても信じなさそうだよなぁ。……実際に、見せてやるか。もともとそのつもりだったし」



 こんな状況になっても、ラインはブツブツ何かを呟いている。今更になって命の危機に気がついたのか? それにしては平然とし過ぎであるが……。



「ポチ、見てな。私がスライムを倒すところを」



 静かだが、不思議とハッキリと聞こえてくる声。一本芯の入った凛とした声で、一瞬どきりとしてしまった。しかし、言葉通りに行動させてはいけない。そうすれば彼女は死んでしまう。



「やめ――」



 ラインに迫る影。そいつは彼女の後ろから襲いかかり、首を折ろうと飛びかかった。それを止めるために漏らした声は、どんなに頑張っても届かない。



 もうおしまいか、とくらい諦めが首をもたげる。前に突き出した手は少し落ち、同時に頭も地面に向かう。終わった。もう駄目だ。ラインは助からない。俺が殺してしまった。



 度重なる自己嫌悪。こんなことになるのなら、ゲームなんて始めなければよかった。NPCとはいえ、会話を交わすことができる存在を間接的に殺めてしまったという経験を背負うことはできない。俺の小さな精神では耐えきれない。擦り切れてしまう。



 彼女のHPバーが削りきれたとき、それが俺の最後だ。このゲームからログアウトし、もう二度とこの世界には戻ってくるまい。それでも自殺する勇気が出ないのだから、俺の意気地のなさにはほとほと呆れ果てる。



 すべてを諦めた、引きつった笑みを浮かべる。目はにごりきり、世界が真っ黒に染まっていった。



「えい」



 そんな中、立ち込める雲を切り裂き地上に降りる光のように、美しく響き渡った一つの声。その声に引き寄せられるように、俺の頭は持ち上げられた。



 そこには。



 ――後ろから飛びかかってきたスライムを、裏拳一発で仕留めるロリの姿が。



「…………はぁ?」



 思わず、呆けた声が一つ。目の前で起こったことに意識が追いつかず、脳が理解を拒否する。しかし俺が理解を拒んでいる間も時間は進み続け、ラインは残り二体を前蹴りと、そこからつながる後ろ周り蹴りでこの世から消滅させると、ものっすごい良い笑顔でこちらに近づいてきた。



「な? スライムなんて雑魚だろう?」



 開いた口が塞がらない。俺があんなに苦戦したスライムを、ほんの数秒で全滅させるとは。あそこにいたのが俺であれば、死亡必至。おそらく十秒ももたないだろう。



 未だに何が起こったのかよくわからないが、理解したことが一つだけある。



 ………………ラインは、物理系ロリだった。













 衝撃の光景を目撃してからはや三十分。俺たちは、草原にて殴り合いをしていた。スライムを倒したラインは、俺に稽古をつけてやる、とか言って、急に攻撃を仕掛けてきた。それに対応していたら、気づけばこんな状況に。



「スライムに負けるなんて、体捌きがなってないんだよ!」

「ぐ、うぉっ!?」



 ラインの左手を杖で流し、これで一安心と油断していたところに、鋭い蹴りが繰り出される。流石にこれは防ぎきれず、もろに食らってしまった。しかし数十分このような流れを繰り返していたため、体が勝手に後ろにジャンプし、衝撃を逃がす。



「甘い甘い甘い! それで終わりだと思うな、もっと先を読め!」

「がっ!?」



 だがそれすらも彼女によって亡き者にされ、あったはずの距離は殺された。その勢いでドロップキックを腹にもらい、数メートル吹き飛ばされる。



『称号【痛みを知るもの】を手に入れました』



 突如、頭の中に響き渡るメッセージ。どうやら、あまりありがたくない称号を手に入れてしまったようだ。



 いたたた……とつぶやきながら立ち上がると、目の前の少女に杖を向ける。何か俺、魔法職のはずなのに近接戦闘ばっかりやってる気がするんだけど、気のせいかな。



「……ポチ、お前、力とか速さとか、そういうものが足りなすぎるぞ」


 

 手を顎に添えたラインが、難しい顔をしてそう漏らした。曰く、五歳くらいの子供並みだ、と。



 そこまでSTRとAGI不足は深刻なのか……と地面に手を付き絶望したが、「でも杖で拳を流したり、衝撃を逃したりするのとかは上手いんだよな。……器用なのか?」という発言を聞き気を取り直した。そうだ、俺はDEX極振りなんだ。数々のVRMMOで、このステータスは器用さを表していた。であれば、俺が器用でなくてどうするんだ。おそらく、俺はこのゲームで最もDEXが高いプレイヤーなのだ。



「うーん、なぁポチ。多分、このままじゃお前はスライムに勝てない。いや、はじめに『スライムが強すぎる』なんて聞いたときは、何だこいつ頭おかしいのかとか思ったんだけど、実際目にしたら納得したわ」



 えぇ……。もしかして俺は、この先スライムに勝つことができないのだろうか。いくら最強格のモンスターとはいえ、一体もモンスターを倒さずゲーム引退とか勘弁してほしい。



「でも、お前の器用さは特別だ。おそらく武術とか、そういうのはやったことがないだろう? なのに、お前の動きはまるでやっていた者のそれだ。だから、極めればある程度行けると思うんだけど」

「……!」



 思わず大興奮。聞きましたか奥さん。俺にもあの・・スライムに勝てる可能性があるんですって。それは朗報。可能性があるのなら、俺は諦めずにそれを実現させて見せる……!



「そのためには、お前に体捌きを教えてやるやつが必要なんだが……お前に教えてくれそうなやつ、思い当たるか?」

「…………」



 いるわけないだろ、そんなやつ。俺は天下無双のボッチコミュ障ぞ? そんな知り合いいたら、こんな人生送ってないわ。



 そういう意図を込めた目線を向けると、「はぁ、まぁそうだよなぁ」と大きなため息を付いた。おっと、そこは意外そうな顔をしても構いませんのよ?



「……でも、ここでほらさいなら、あとは一人で頑張ってね。ばいばい! っていうのも後味悪いしなぁ……うーん、そうなったら、まぁ、しょうがないのか……」

「……?」



 天を仰いで、何かをつぶやくライン。何かこの子、こういうの多いな。もしかして、ちょっと危ない子なのだろうか。



 なんて失礼なことを考えながら、彼女が考えをまとめ終わるのを待つ。すると、目線を俺に合わせて――と言っても身長差があるから、俺が少しかがむ形になるのだが――喋りだした。



「よし、ポチ。私がお前に体捌きを教えてやる」

「え」

「喜べよ? これでも、前は私に弟子入りしようってやつが絶えなかったんだから」



 口を馬鹿みたいに開け、理解しておりませんという意を全力で主張する。しかしそれはラインによって華麗に無視され、弟子入りを強制されてしまった。……いやまぁ、彼女は俺よりも遥かに強いし、鍛えてくれるっていうんだったら、何も文句はないが。ロリであること以外は。



 ラインは俺が弟子入りを認めたのに気づくと、嬉しそうにはにかみながら、「じゃあどんなメニューをやらせようかな……? やっぱり、逆立ちで山を登らせるとか……?」なんて恐ろしげな計画を立てていた。やめて、俺が死んじゃう。



 まぁ、嬉しそうだし良いかな。どうして弟子入りさせてもらった俺でなく、彼女のほうが嬉しそうなのかはよくわからないが。



 ――――『隠しクエスト、【拳聖の弟子】を開始します』

















「九百八十九、九百九十、九百九十一……」



 杖を振り上げ、振り下ろす。右手と左手の間には拳一個分の隙間。これを維持したまま、先程の動作を繰り返す。長時間鍛錬をしているせいで、額に湧いている汗が目に入った。それを袖で拭うと、やっと目標の回数に達する。



「九百九十九、千……! …………ぉ、わった」



 杖を投げ出し、地面に寝転がる。ハァハァと荒くなる息を抑え、疲れからか揺れる天井を睨みつけた。この世界はゲームだから、筋肉痛とかにはならない。しかし、疲れや汗などの反応はしっかりと再現されているので、かなりきつい。そこだけ見れば、現実世界で同じ行動をしたときと同じくらいの疲れだ。



「よし、終わったな。時間がかかりすぎっちゃそうなんだが……まぁ何事も最初はそんなもんさ。じゃあ、次は打ち合いな?」

「……は、い」



 なんとか立ち上がると、杖は拾わずそのまま構える。するとラインが踏み込み、一瞬で目の前に現れた。



 反射的に拳を繰り出し、僅かな動きでそれが躱されるのを見届けると、右足を前に出す。さすがの反応速度でそれすらも躱されると、気づけば頬に拳がめり込んでいて、吹き飛ばされた。



 くの字で空を滑る俺は、吹き飛ぶ勢いを利用して回転し地面に手を付き、バク転の要領で着地に成功する。何度か同じような流れになったが、初めて成功した。だがこれで油断などしない。この程度、できなければ話にならないのだ。



 キッとラインを睨みつけると、彼女は面白そうなものを見たような顔で笑い、ふざけた雰囲気を消した。



「へぇ、さっきので慢心すると思ったんだけど。……そんなやつ相手に、ふざけたまんまじゃ失礼だよな。……私も本気で行かせてもらう」



 俺の初心者に毛が生えた程度の構えとは、比べ物にならないほど練り上げられた構え。それを見ただけで、圧倒的な実力差を痛いほど理解し、戦う気が失せる。だが諦めるわけには行かない。それに彼女はそんなこと許してくれない。



 全身から発せられる圧のせいで、言葉すら出なくなった。いつものコミュ障が関係するのではなく、他者に無理矢理黙らされる感覚。思わずつばを飲み込み、うるさいほど心臓が暴れ始めた。



「行くぞッ!」

「!」



 先程とは比較もできないほどの踏み込み。ラインは目の前から一瞬でかき消え、気づいたときには後ろに回り込まれていた。

 


 殺気を首のあたりに感じ、左手を防御に滑り込ませるのと同時、そこに蹴りが叩き込まれる。腕が爆発するように吹き飛び、ミシミシと嫌な音が耳に入ってきた。それに頓着することなく、後ろ蹴りを決める。だが苦し紛れのそれは当然のように躱され、更には両手で掴まれた後、ハンマー投げのように投げられた。



「……!」



 急速に移りゆく景色。回されたことで頭に回った血が、周囲を白く染め上げていく。先のように着地をしようとしたが間に合わず、受け身すら取れないで壁に激突した。



「カハッ……」



 肺の中の空気が全て抜けていく。全身を強く打ち付けたせいで骨が折れたか、と思ったがどうやら無事。さすがゲーム、そうでなかったら死んでいた。



「あぁー、ポチ、大丈夫か?」

「大、丈夫、です……」



 ヨロヨロとふらつきながらも、地面に手を付き立ち上がる。どうやらこれで打ち合いは終了したらしい。先ほどまであった緊張感がなくなっている。



 そのまま後ろに倒れ込み、天井を見上げる。ここはラインの自宅。そこに隣接していた道場のようなところで、俺たちは修行していた。弟子入りしてから約四時間。そろそろログアウトすべき時間だが、開放してくれなかった。これ言い方によってはモテモテのリア充っぽいな……。なんてふざけてみるが、疲労でそういうノリになれない。



 何も考えずにラインに弟子入りしてみたが、俺はもうやめたくなっていた。

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