第8話 ふたりの初めての夜
ユイは見るもの全てに驚きと興味が隠せずにいた。
(これはなに?)
(この人ひとり入れる箱は?)
(いっぱい回すものがくっついているこれは?)
無理もなかった。
ユイは音が聞こえない。街の雑踏音、音楽もそして無意識に聞こえるはずの、自身の呼吸音でさえ。
だからといって“音に携わっていない”のであれば、音楽機材を一般的に知っているほうがおかしい。
健常者、障害者など関係のない反応。
それだけコウキの部屋にある音楽機材は珍しく見えるに違いない。
コウキからすれば何だか新鮮な気持ちになった。
ユイが目をキラキラと輝かせ、自分の小汚い倉庫のような部屋を、まるで遊園地にでもいるかの如くはしゃいでいるからだ。
コウキはふと思った。
そういえばユイさんの部屋を見せてもらってないなぁ。
しかし慌ててその考えが下心丸見えの気がして恥ずかしくなる。
“絵を描く作業場、みたいな部屋が見たかった”と自分に言い聞かせるコウキ。
(これ)
ユイはコウキの肩を
コウキは我に返りその指す先に視線を向けた。
(触っても良い?)
ユイが指したその先に、小さな古いシーケンスが置いてある。
(あぁ、あれか。うん、いいよ)
ユイは子供のような表情でシーケンスに手を伸ばす。
珍しそうに触って見て、液晶画面を覗いたりボタンなどをいじってみる。
コウキがユイに
(それは僕が初めて買ったシーケンサー。中古でも高くてさ、アルバイト必死で頑張って手に入れたんだ)
(そうなの? まだ使えるの?)
するとコウキは首を横に振って
(いや、もう古すぎて。生産終了もしていて部品もないんだって。だからもう使えないんだ)
(ということは…思い入れがあるコウキ君の“宝物”だね)
宝物。
言われてみれば確かにそうだった。
その小型シーケンサーはコンセントを挿さなくても、単三乾電池六本で持ち運びしながらも出来る九十年代後期のシーケンサーだった。
手に入れた瞬間、コウキは説明書なんて一切読まずにコンセントを挿して、その小さな画面を見ながら色々な曲を作曲した。
そして出来上がった曲をスピーカーに繋いで流して聴いて、また新しい曲を作る。
それを繰り返していたと思い返す。
(古いでしょ?)
コウキがポツリと指先で呟いた。
(うーん…液晶画面が小さいし、カラーじゃないんだろうな、ってところをみると古いのかも)
(もう壊れてるけど…捨てられないんだ。僕が初めて作曲するのに
(そうなの? でもその気持ち分かるよ。愛着とかそういうのもあるんだけど…)
(けど?)
(恥ずかしい言い方をすると“原点回帰させてくれる御守り”……みたいな?)
原点回帰。
その言葉がコウキを深く揺さぶる。
壊れるまでギリギリ使って、自分が作曲した音楽が幾つ生まれたんだろう。
中にはボツになった曲だってある、しかし中古の小さなシーケンサーで作曲したそれは、形を変えて今もなお自身のDAWソフト内に、紆余曲折しながらも何曲も残っている。
ユイから教えてもらうまでコウキは気付かなかった。
捨てられないんじゃない。
原点回帰するための“御守り”だった。
無意識にコウキはそう思って残していたのだと。
(ユイさんにもあるのかい? “原点回帰させてくれる御守り”っていうのが)
するとユイは小型シーケンサーをデスクに置いて、ニコリと微笑み
(あるよ)
と答えた。
(コウキ君と同じでいっぱいあるかも)
(同じ?)
ユイは頷いた。そして部屋を見渡して
(私の部屋もコウキ君と同じ。しかも油やら薬品やらの匂いでキツイから…だから見せられなかった。だけど…)
その続きを言わずにユイはコウキの胸に飛び込んできた。
「ユイさん?」
狼狽しながらも思わず彼女の名を呼ぶコウキ。
するとコウキは背中に違和感を覚えて素っ頓狂な声を上げる。
だがすぐにそれがユイが指先で何かを伝えていることに気付いた。ゆっくりとなぞるユイ。
コウキはこそばゆさを感じながらも集中する。
わたしと
あなた
はたけはちがえど
ぜんぶおなじ
背中になぞるユイの指先がそう語っている。
コウキは思わずユイの表情を覗いた。
頬が真っ赤になっていた。
(見ないで。今、物凄く恥ずかしいことしちゃったって思ったから…)
コウキは
この世で一番美しく、そして愛おしいと素直に思った。
優しく抱き寄せてそのままキスを交わす。
コウキの彼女を欲する気持ちが高まる。
しかし。
強い力でユイに突き放された。
コウキは慌てて我に返り“ゴメン”と手話で謝罪をした。
ユイは優しい微笑みを返して
(シャワー、どこ?)
と尋ねた。
(ユニットバスだけど、平気?)
コウキ自身、狼狽しきって自分を見失っている気がした。気の利いた言葉が見つからない。
ユイはそのままコウキに見向きもせずにユニットバスに向かった。
失敗してしまった、コウキは頭を抱えるが小さく壁を
それに反応して向き直ると、ユイが恥ずかしそうに
(私がシャワー浴びた後、コウキ君がシャワー浴びてね。それからでも遅くないし。それとも…)
(いや! ちゃんと入ります!)
こうして二人の初めての夜を迎えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます