4・深海の底に花が咲く
第1話 初恋
残暑の厳しさを残す九月のことだった。
完成したユイの作品が、全国学生絵画展で入選したのだ。
その作品を描くのに、何度も何度も自分が納得いくまで描き直した。
あのライブハウスで味わった、インスピレーションを納得がいくまで描き続けた。
ある日作成中の中、休憩を挟んで何の気なしにスマホを開いたユイ。
今までコウキに送り続けていた、ユイのメッセージに既読が付いていた。
それだけで嬉しくて描く意欲が強くなっていった。
しかしコウキの作業を邪魔してはいけないと思った。
実はリキから随時コウキの近居報告を受けていた。
だから敢えてコウキにチャットメールを送らなかった。
(どんなことがあっても、俺はユイちゃんの味方だ。何せユイちゃんのおかげでコウキと音楽が出来るからな。感謝している、ありがとう。だからユイちゃんは作品に集中してくれ。コウキのことなら心配するな)
コウキと組む経緯をユイは伝えてもらっていた。
そして組むキッカケにもなったリキの母親についてのことも。
だから尚更、描き上げなければならないとも思った。
そしてその想いは、作品として形になった。
自分が納得出来る作品に仕上がった。
応募してから急に不安になった。
描きたいと思った作品を存分に表現した。
果たしてそれが理解されるだろうか。
独りよがりの作品と評され、落選してしまうのではないか。
とにかく、ユイの想いはただひとつ。
今度は自分がコウキに
この気持ちだけは決して、揺るぐことはなかった。
そして入選。
しかも最優秀賞だった。
過去に色々な賞をもらったことがある。
しかし今回に限っては違った。
特別だった。
本当の意味で、心の底から嬉しいと思った。
ユイの想いが目一杯詰まった作品。
授賞式の時も誇らしかった。
もし耳が聞こえて声を発せられるなら、やった! と叫びたいぐらいの感情だった。
そしてこの作品を、コウキに観てもらいたい。
それでやっとこの作品は、完成するのだから。
ユイはリキを呼び出し、ある物を渡した。
リキはそれを受け取ると、
(任せろ、ちゃんとアイツに届けるよ。だからあともう少し、辛抱な?)
と優しい手話でユイを安心させた。
リキを見送りながら、ユイは思った。
私は恵まれていたんだ。
聞こえないというハンデがありながらもこんなにも恵まれていた。
今までの辛い思いは、この日の為にあったのだ、と。
そして作品を描いているうちに自ら気付いてしまった。
ユイはコウキに特別な感情を抱いているということに。
それは体験したことのない感情で、想えば想うほどその感情は心が穏やかに、そして暖かくも感じた。
描いている時にいつもコウキの笑顔が思い浮かぶ。
そして優しい瞳。
だから音楽をやっていても構わない。
彼が輝いている姿を、この目で見ることが出来た。
そして彼の奏でる「音」が聞こえないユイの身体に、響き渡っていたこと。
こんなにも与えてくれた人なんていなかった。
不器用だけど、根は優しい人。
それを知っているのは、ユイただひとりなのだから。
そしてユイは気が付く。
それが“恋”だということに。
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