第5話 意気地なし

 数日後。

 いつもの公園にコウキとユイはいた。

 しかし何処か、コウキは上の空だった。

 仕方がないことだった。

 ここ数日、彼には考えさせられる出来事があまりにも多かった。

 彼女と一緒にいる時は、何もかも安らかな気分になれるのに今日はどうだ。

 それ以上に頭の中は真っ白。

 思考停止。

 考えることをやめたくなるような気分だった。

 人と関われば嫌というほど、現実を叩きつけられる。

 別に逃げている訳ではない。

 逃げていれば、こうやってユイとこの公園になんていないはず。

 逃げるのは簡単だ。

 だが結果として、それだけの人間に成り下がってしまう。

 そんな人間が人を感動させられる音楽を、果たして届けるなんて出来るのだろうか。

 だからこそ今日、ユイに伝えなければならない。

 コウキがやっているバンド、音楽についてのことを。

 どんな結果が待っていようと、自分の手で伝えなければならない。

 今日はそんな風に誓ってここに来ている。


(今日はどうかしたの?何だか元気がないみたい)


 ユイは勘が鋭い。

 耳が不自由になってから、相手の表情を読み取ることにとても長けている。

 コウキの表情から何かあったと感じ取ったのだろう。顔を覗き込んで心配そうに見つめてくる。

 意を決して、コウキは手話でユイに伝えようとしたその時だった。

(ユイさん、実はね……)

「あれ? コウキじゃねぇか。何やってんだ、こんな所で」

 聞き覚えのある声。

 コウキは声の主の方に振り向く。

 リキが立っていた。


 えっ? 何で?


 バイト先からはそれなりに距離があるはず。

 こんな公園に現れるはずが無い。

「もしかして、この娘が例の言っていた娘か?」

「あの、先輩。何でここにいるんです?」

 するとリキは、少しムッとした表情で、

「買い物しちゃ悪いか。服買いに来ただけだよ。ここを抜けると近道だからな」

 とぶら下げているビニール袋を見せる。

 きょとんとしているユイ。

 慌ててコウキは紹介をする。

(この人、バイト先の先輩でリキさんっていいます)

「この人がこの間話した、ユイさんです」

 あまりの狼狽ろうばいぶりに、手話との同時通訳どうじつうやく

 おそらくコウキにとっては最初で最後の、高度な手話テクニック。

 ユイはベンチから立ち上がりお辞儀をすると、首から下げているメモ帳で自己紹介をしようとしたが、それをリキが止める。

 コウキとユイは驚き二人でリキを見る。

 するとコウキよりも早い、見事な手話を披露ひろうした。

 二人とも呆気あっけにとられる。

「あれ? 久々だから間違っていたかな?いや、そんな事はないと思うんだが…」

 リキはブツブツと言っていたが、その手話は見事なものだった。

 慣れている手付きである。

 自然な手話だった。

 コウキのような、少し片言かたことな手話に比べてしまえば。

「先輩、手話出来るんですか?」

「あれ? 言わなかったっけ? 俺の母親が聴覚障害者だってこと。あ、言ってねえや」

 悪戯っぽく笑うリキ。

(初めまして。ユイっていいます。よろしく。手話、上手なんですね)

(よろしく、母が聴覚障害者でね。いつも聞いてるよ、コイツから。自慢の彼女だって)

 慌てて間に入るコウキ。

 いきなり何を言い出すんだ、この人は。

「いつ言ったんですか、そんなこと! 一言も言ってないでしょう! デタラメを教えないでくださいよ!」

 ユイの方に振り向くコウキ。

 若干、頬を赤く染めているように見えた。

 その姿に不覚にも『可愛い』と思ってしまう。

(悪い悪い、冗談だよ、冗談。こんな先輩ですよ)

 リキは笑顔でユイに弁解する。

 だが、その笑顔を違う思いで見ているコウキ。

 あの悪びれる事のない態度。

『鬼軍曹』って思っていた自分が間違っていた。この人はそんなレベルじゃない。

『悪魔』だ。

 コウキはリキを勝手に格付けしていた。

 そしてこの人に相談した自分が、今更だが馬鹿だったと思った。

 今目の前にいるのは、手話が出来る悪魔。

 そうにしか見えなかった。

(コイツ、俺の悪口ばかり言ってません? 結構厳しくしてるから)

(そんなこと全然ないですよ。尊敬出来る先輩がいるって言ってましたけど、リキさんだったんですね)

 あの時までは尊敬出来ていたが、普通に手話で会話しているリキから、悪魔の尻尾が見えるような気がした。

 それでもこの会話の中で、コウキの株を下げることもなく、上手くフォローをしてくれるユイ。

 しかし余りにも慣れた手付きで会話を繰り広げる二人。

 手話の動きが早すぎて目で追うのが精一杯であった。

 完全に取り残されるコウキ。

 その姿に気付くリキ。

「お前も何か喋れよ、いいのか? 彼女とこうやってくっちゃべっても」

 ユイにも分かるように、手話を交えてコウキに突っ込んでくる。

「いやぁ、あまりにも二人が凄すぎて。手話を目で追うのがやっとなんですよ」

「ダメだなぁ、素人は…」

 この時だけ、リキは手話を使わなかった。

 しかしすかさず、ユイはリキに向かって、

(何です?)

(いや、もっと手話に慣れろって説教を。ユイさんがコイツに合わせているのは、もう一目瞭然いちもくりょうぜんだし)

(そんな。いつの間にか覚えてくれたんですよ。しかも短期間で。びっくりしましたよ)

(短期間で? だったら尚更ですよ。手話でリードするぐらいにならなきゃ)

 またユイが少し頬を赤く染めている。

 何か余計なことを言ったな、とコウキは思った。

 不覚にも何を言ったのか読み取れなかった。

「コウキ、これは脈アリだぜ。早く告っちまえよ」

「だから、そんな関係じゃないって言ってるでしょ?」

「お前、ドーテーか?」

「いや、だから、もう…」

「中々いないぞ、眼鏡美人めがねびじんって。掛けている時と掛けてない時の素顔が見れるんだぞ? 二度おいしいだろ」

 返す言葉が見つからない。

 品性下劣ひんせいげれつとまではいかなくても、もう少し言葉を選んでほしいと思うコウキ。

 するとユイは、コウキ達が手話を使わず、二人で会話していることに気付いて反撃してきた。

(二人で内緒話をしている、ズルいですよ)

(いやー、コウキがあまりにも不甲斐ふがいない後輩なんでね。仲良くしてやって下さいよ。コイツ、良いヤツなんで。俺が保証します)

(分かってますよ、私。一人の時が多かったからコウキさんと知り合って、お喋りだったんだなぁって気付かせてもらえました)

 ユイの生い立ちはコウキも聞いている。

 聞こえないことが原因で壮絶なイジメにあった過去、絵を描くキッカケ、親に反対されても説得して美大に進んだことも。

 コウキが感じていた孤独とどこか似ている。

 傷を舐め合うわけでもないが、彼女とのこの関係が心地良いのは事実だ。

 それを邪魔してきた悪魔、リキにコウキは仕返しをしたくなってきた。

(リキ先輩、本当は口が悪いんだよ。手話では気取って丁寧なだけ)

 やられっ放しではいられない。

(そうなの?)

(そうだよ、もうずーっと、どやされっ放しだし)

 するとユイは笑顔を見せ、リキの顔を覗いた。

「お前なぁ…せっかく紳士的な態度を示しているというのに、余計なことを言ったな」

「事実じゃないですか、でもそのおかげで根気こんきが身に付きました」

「言うじゃねぇか、コノヤロウ」

 何だかリキも楽しそうに見えた。

 初めてだった。

 リキの表情が垣間かいま見えたのは。

 バイト先では叱られてばかりだから、鬼の形相ぎょうそうではあるが今日はそんなことはなく、穏やかな表情をしている。

 いや、これではただ怒り狂っているだけのヤバい人じゃないか。

 そんな風に思うと、コウキは何だか可笑しくなってしまった。

 だが、そんな風に思っていたのも束の間。

 その瞬間にリキは何気なく、確かに手話でユイに尋ねた。

(コイツ、音楽の話とか、します?)

 それは何気ない一言だったに違いない。

 別に意地悪いじわるで伝えたようにも見えなかった。

 だが、そのリキが使った手話に言い表せない影をコウキに落としたことには違いなかった。

 何よりコウキ自身から伝えたかった言葉。

 それをさらっと、呆気なく、ユイに伝わってしまった。

 しかも自分ではなく、リキの手話で。

 逆に余計言いづらくなってしまった。

 おそらくリキのことだから、気を使って伝えてくれたのかもしれない。

 だけどそれは出来るなら、コウキは自分で伝えたかった。

 中々伝えられず、くすぶっていたコウキに落ち度はある。

 勝手にそう思ってしまった。

「おい、コウキ?」

 呼ぶ声と同時に、逃げるように走ってその場を後にしてしまった。

 リキの声が何か言っているのは聞こえたが、そんなのは関係なかった。

 本当は自分で、自分がやっている音楽の事を、コウキは伝えたかった。

 こんなにも意気地いくじがない自分に気付いてしまったコウキは、その場にいることが耐えられなかった。

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